2012年1月23日 (月)

S51SEとアンドロイドな日々

S51se

 タブレットとのデザリング用に、ソニーエリクソンのS51SEを買いました。最初は携帯型のWiFiルーターを考えていたのですが、思い切ってスマホにしてみました。使い始めたらいろいろな事ができるので、スマホ人気もなるほどと納得です。アメリカのテレビまで見ることができます。ミュージックプレーヤーとしても使えるので、さっそく試してみたら、なかなかいい鳴りっぷりです。数年前のgigabeatを通勤電車などで時々使っていたのですが、それよりもいい音です。同じく最近買ったタブレットはそれほどでもないので、S51SEの音がいいのでしょう。

 CDから曲を転送する時に、同梱ソフトだとMP3以外はジャケット画像が転送されません。絵がないとさびしいので、320kbpsで圧縮しました(ついでに、一度転送した画像はなぜか上書きできません)。同じ曲を無損失のWAVEでも入れてみたら、ちょっと差があるかなというくらいでした。手軽に持ち歩いて、隙間の時間にちょっと聴くというような使い方なので、この程度の差ならMP3でもまあいいかなと思います。三日ほど鳴らし続けてエージングしてみましたが、音がややすっきりしたくらいで今のところあまり違いはありません。プリセットされたイコライザーのパターンが何通りか選べますが、かえって変な音になります。

 手持ちのイヤホンをいくつか試してみました。イヤホンだけでも楽しめる音ですが、別項で紹介したMUSIC MAX LT1を使うとかなりいい音になります。アンプ経由だと、私の持っているなかでは一番値段の高いER-4Sがやはり格の違いを感じさせます。高音のきつさもイヤーチップを選ぶことでほぼ解消できました。アンプも一緒に持ち運ぶとなると手軽さが犠牲になりますが、しかたがありません。ヘッドフォンアンプを使うことにしたのは、スマホ側の音量調節が15段階で、ちょうど良いところに設定できなかったこともあります。小ぶりな音像なので、うるさくなるぎりぎり手前まで音量を上げないと聴きばえがしないのですが、そのためには15段階というのはあらすぎます。アンプを使わない場合では、ER-6(ER-6iではありません)が素直な音でした。ER-6はそれほどインピーダンスが大きい方ではありませんが、音量はぎりぎりでした。

 デジタル録音の音量のグラデーションもけっこう細かく再生しますし、なにより音楽が前に出てくる勢いがあります。オーケストラになるとさすがにむずかしいところが多くなってきますが、これもあともう少しと高望みさせるレベルの高さにもよります。音色に幅がないなど、自宅のオーディオシステムと比べてもしかたがありませんが、この小ささと値段から考えると大したものだと思います。

 アンドロイドの面白さが気に入って、ドロイド君の人形まで買ってしまいました。家内が、鉄人28号のぱくりだと言います。デザイナーは有名な人らしいのですが、子供の頃に鉄人を見たに違いないと言っています。たしかに、つのを取ってとさか?をつけると、そっくりな気がします。

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2011年11月 5日 (土)

MC09B

Mc09b

 たまにLPも聴くのですが、これまで使ってきたオルトフォンのMC20Sの音が割れるようになってきたので、交換することにしました。今ではMC20Wになっていますが、これだとかなり値段が高いので、MC09Bにしてみました。90周年記念モデルのなかのエントリーモデルとありましたが、値段は私に言わせればエントリーレベルではありません。MC20Sを気に入っていたので、エントリーモデルというくらいだから安っぽい音だったらがっかりだな、などと心配しながら使い始めました。10時間を過ぎたあたりで音が落ち着いてきて、うれしいことに性能はMC20Sよりかなり上です。技術の進歩なのでしょうか。ただし見た目は質実剛健というか、高級感はありません。

 MC20Sでは細かいところの角が丸くなってしまっていて、それがアナログの味なのかと思っていました。そこがくっきり聞こえてきて、その分だけ遠近感もはっきりしています。オルトフォンらしい自然な音色のままでCDに近い解像度といったらわかりやすいでしょうか。MC20Sの音色の華やかさに比べるとほんの少し地味ですが、生に近いとも言えます。

 LP用のシステムはただつないだだけで、手持ちの機器のレベルではこんなもんかなと思っていました。ここまでの音が出るならもうちょっとと思い、手軽にできることをいくつか試してみました。アナログプレーヤーまわりにはいろいろな調整や音質改善法があるようですが、そこまでのマニアではありません。ヘッドフォンアンプ(別項に書いたようにスピーカーは使っていません)の下に敷物を入れたり、脚の下に硬貨を入れたりして、ちょっと音の鮮度が上がりました。

 音が良くなったので、手持ちのLPをいろいろ引っ張り出して聴いています。はっきりしない録音だと思っていたものも、霧が晴れたようないい音で聴けたりします。アナログ録音は、CDでは平坦な音になってしまうので、もともとLPにかないません。デジタル録音のLPは、アナログとデジタルのいいとこ取りをしたようなとても魅力的なメディアです。

 MC09BがCDに近いと言っても、そこはやはりLPの音です。CDに比べるとレンジが限られるので、ひろがりや抜けの良さはある程度我慢して、楽器の響きの一番いいところに集中したものになります。これが場合によっては実際以上にこくのある音になります。聴く側は音色そのものに注意が向きがちになり、そこに感情移入していくのですが、これにはまってしまうと、中毒性があるのでなかなか元に戻りません。LPで聴く音楽は実際の演奏会とは別の世界だとあらためて思いました。オーディオとは多かれ少なかれそういったところがあります。

 LPでどうしてもついていけないのが、大編成オーケストラのテュッティで録音レベルが頭打ちになり、いきなりホール最後列のようなバランスになったり、反対に緩徐楽章ではかぶりつきに移動したように録音レベルが上がったりするところです。なかにはこういった調整を気づせないものもありますが、実際とは何となく様子が違います。もっとも、ピアノや室内楽だと、古い録音でもこういう違和感はありません。

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2011年9月25日 (日)

コンセルトヘボウの音響

 コンセルトヘボウ管をコンセルトヘボウで聴いてみたいと思っていましたが、やっとチャンスがありました。二ヶ月前にインターネットで予約したのですがその時点でほとんど売り切れで、前から二列目、ファーストヴァイオリン3プルト目の足元の席になりました。コンセルトヘボウの舞台は大人の肩くらいの高さがあるので、席に座ると舞台の縁を下から見上げることになります。眺めが限られるからだろうと思いますが、30ユーロと一番安い値段でした。

 こんなかぶりつきの席なのでバランスが他の席とはかなり違うと思いますが、それでもホールの独特の音響に驚きました。残響というより増幅している感じです。楽器の音がホールの中にどんどんたまっていって、音量まで増していくように感じられるくらいです。金管の入ったフォルテでは、私の席では相当な音量になりました。最前列といってもいい席だったので、目の前のファーストヴァイオリと、離れたところの他の楽器では聴こえ方がかなり違うのはしかたがありませんが、遠くの楽器でも細かいところが残響に埋もれてしまわないのが不思議です。残響が豊かでも減衰は早いのでしょうか。

 20年くらい前に、イタリアの有名なソプラノによるアリアの夕べをこのコンセルトヘボウで聴きました。時間ができたのが当日だったので、その時も最後の一枚とか言われて舞台裏最上段の一番端という席でした。オーケストラをバックにソプラノが歌い始めた時に、中音の響きが特別に強調されるので、どうなっているのだろうと思ったものです。とにかく響きの強いホールです。

 ちょっと驚いたのは、ファーストヴァイオリンのメロディーが表に出るところでは、かなり前のめりに弾いていたことです。場合によっては指揮者より先だったかもしれません。そうすることによって、ホールの中に響く時点では他の楽器とちょうどいいタイミングになるのでしょう。私の席がファーストヴァイオリンの直接音が聴こえる場所だったので気がついたのかもしれませんが、上手側にいるセカンドヴァイオリンともかなりの時差がありました。この時差を調整しながら弾くというのはかなりの熟練がいるはずです。

 マリス・ヤンソンスの指揮で、ストラヴィンスキーの詩篇交響曲とモーツァルトのレクイエムでした。合唱はオランダ放送合唱団。4回連続の最後に当たる日曜のマチネーです。合唱もオーケストラもソリストも舌を巻くくらい文句のつけようがありません。演奏とホールが作り出す暖色系の彩りの豊かな響きににどうしても耳がいってしまい、ストラヴィンスキーやモーツァルトを聴いているという実感がありませんでした。下からヤンソンスを見上げ、その上にひろがる高い天井を眺めながら、こんなに豊満なモーツァルトもあるのかと思いました。ウィーンのムジークフェラインも一度だけ聴く機会があり、これも素晴らしいホールですが、コンセルトヘボウほどホールの個性が前面に出てくるところは他にないのではないでしょうか。ものすごいホールです。

 ホールの響きに溶け込んだ管楽器の歌いまわしも素晴らしいものでした。後でホームページを見てみたら、一番フルートの女性はイギリス人で、何と1903年製のLouis Lotのフルートを使っていると書いてあります。ピッチのことなど考えると実際の演奏会で使っているのかどうか半信半疑ですが、確かにオーケストラ全体が角の取れた独特の柔らかい音色です。他の大多数のオーケストラの近代的な音色と大きく違うので、かなりのこだわりがあるのは確かだと思います。


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2011年3月23日 (水)

兵庫芸術文化センター管弦楽団第41回定期演奏会


2011年3月20日
兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール
  指揮:岩村力
  大鼓:林英哲

伊福部昭:SF交響ファンタジー第1番
山下洋輔:プレイゾーン組曲(オーケストレーション:挾間美帆)
武満徹:鳥は星形の庭に降りる
松下功:飛天遊


 墓参りで関西にいった機会に、何か音楽会はないかと探しだしました。2005年にできたばかりの若いオーケストラで、芸術文化センター(Performing Arts Center)の名から、PACと呼ばれているようです。どうかなと思いながら足を運んだのですが、指揮者ともども終始集中力の張り詰めた立派な演奏でした。コアメンバーと呼ばれる団員の他に、主要ポストに他のオーケストラの主席奏者などを呼んでくるという体制ですが、奏者全員の一体感、音楽に対する誠実な態度が演奏をとてもすがすがしいものにしていました。現代日本の作品ばかりの正味で二時間を越えるプログラムを聴き終え、少し疲れを感じたくらい、こちらも力が入りました。

 内容から言うと二曲の和太鼓協奏曲を演奏しきった林英哲の音楽会とも言えるものでした。こういうプログラムはなかなかお目にかかれないものですが、満員の盛況でした。毎月の定期演奏会は金土日の三日連続ですが、2001人のホールをいつも満員にしているのであれば見事です。

 オーケストラのむらのない明るい音色、安定した音程とリズムに感心しました。一週間前に聴いた上海交響楽団をホームページの方で報告しましたが、PACの方が格段に上です。素晴らしいホールの響きとあいまって聴き応えがありました。これだけのものを、一番いい席でも4000円ではなかなか聴けるものではありません。
 
 ただ、どこをとっても同じような音色でなめらかに進んでいってしまうところがあります。最初の伊福部昭は、濁ったり軋んだりする音によって生きてくるところがあると思うのですが、PACのひっかかるところがあまりない演奏だと、せっかくの曲の味が外に出てきません。耳や目は楽しめるのですが、それがただ通り過ぎていくのを眺めているだけといった気分でした。これは、この演奏会全体を通して感じられました。

 今のレベルになるだけでも大変なことではもちろんですが、音楽はそこから始まるように思えます。音符ごとに響きを変え、時には細かく伸び縮みしながら、まるで話すように演奏するオーケストラが世の中にはあります。その演奏は音楽のなかの世界を感じさせます。若い団員が多いPACは、経験を積んでいくことで、遠からずそこに近づいていく可能性が十分にあります。

 林英哲の和太鼓にも、ところどころで同じように感じました。和太鼓というものは、一打ごとの音色の不均一性、あるいは西洋の楽器のようには整理されてない、いくつもの音色が重なった複雑な響き、といったものがまず最初に頭に浮かびます。また、間合いもいわゆるクラシック音楽とは違っています。この日の和太鼓の協奏曲では、曲のせいかもしれませんが、そういった和太鼓本来のものからかなりクラシック音楽寄りだなと感じました。一ヶ月前にN響で聴いたグルービンガーの、クラシック音楽的なものの一つの究極のような痛快な打楽器が耳に残っているので、それに対して和太鼓ならどうできるかをつい考えてしまいました。

 そんな事を思いながら聴いていたのですが、大きな太鼓の腹に響くような音にしだいに圧倒され、林英哲の音楽への誠実で真摯な姿勢に感銘を受けました。終演後は、余韻にひたりながら、とぼとぼと宿に向かいました。


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2011年3月20日 (日)

上海の吉野家

Yoshimoya01

 上海の街角で吉野家を見つけました。ちょうど昼時だったので、さっそく入ってみました。

 カウンターで牛丼(中国語では牛肉飯でした)を注文し、その場で受け取ってテーブルに移動します。私の知っている限り日本以外ではこのカウンター式です。値段は16元(だいたい200円)ですが、20元札で払うとおつりとして10元札を渡されました。計算が合わないのでとまどっていると、店員のおねえさんが壁の張り紙を指差します。特別割引でその日は10元ということらしいとわかりました。日本に比べるとかなり割安です。

 味は日本とまったく同じです。日本のご飯は最近の安売り競争のせいか味が落ちましたが、その落ちた味と同じです。中国のお米なのでしょうか。写真のとおり器も同じです。言葉が通じず勝手のわからない海外の街で、食べ慣れたものを気楽に食べられるのはとても助かります。同じような意味で、マクドナルドにもあちこちでお世話になっています。

Yoshimoya06

 下の写真は、窓に張り出された日替わりの割引品です。その日は土曜日(中国語で周六)だったのですが、牛肉飯の中碗(すなわち並盛)が通常16元のところを10元とたしかに出ています。牛丼以外にもいろいろなメニューがあることがわかります。

Yoshimoya05_2

 ニューヨークの吉野家もこのブログで報告しているので、よかったら読んでください。この間シンガポールでも吉野家を見つけました。地下の食品売り場の一角にカウンターがあり、その前にテーブルが並んでいました。その時は食べる機会がありませでしたが、こちらもいずれレポートしたいと思ってます。

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2011年2月19日 (土)

N響定期

 第1696回をサントリーホールで聴いてきました。ショスタコーヴィチとペルトにはさまれて、2007年に作曲されたドルマンの打楽器協奏曲です。いずれも我々の世代の音楽ですが、どちらかというと感覚的に捉えやすい曲です。とても聴き応えのある演奏会で、大いに満足しました。

 10年くらい前にデュトワの指揮でN響のラヴェルを聴いた時に、ちょっと墨絵のようだと感じたことがありました。やや地味な音色ですが、とても整っていて、全体に何とも言えない静けさがありました。こんな印象のオーケストラは世界中に他にないと思います。韓国はもっと積極的な音色を持っています。東京の他のオーケストラも確かにこれと似た雰囲気がありますが、N響ほどそれがつきつめられていないように思います。

 盛り上がるところでも、外よりも内に向かうようなところがあり、時に物足りなく感じられることがあるかもしれません。これがいい方に向かうと、他では聴けないような瞑想を音楽から引き出してくるのです。これを可能にしている高い技術も相当なものですが、それが音を研ぎ澄ますことにまっすぐに向かっています。日本人の資質の一つに音楽がうつしだされた演奏とも言えると思います。

 ペルトなどはそういった瞑想だけでできているような曲で、感覚的な捉え方だけだと薄っぺらく感じられることもあるのですが、N響だと外面的なところが抑えられて、深い静けさが生まれてきます。ショスタコーヴィチは、私の耳には何が起こっているのか捉まえきれないとことがあるのはいつものことなのですが、曲が進むに従って徐々に奥に入ってくるものがありました。

 オーケストラの定期演奏会では真ん中に協奏曲が置かれることが多く、このせいで印象が散漫になりがちなので、協奏曲のないものを探して行くようにしています。ところがそういう演奏会はほとんどありません。今回は打楽器なので、ありがちなショー的なところはないだろうと予想していました。独奏者のグルービンガーはまだ二十代の若手ですが、圧倒的な演奏を繰り広げ、そんな心配は無用でした。リズムというものは、この精度までつきつめられるとまったく違ったものに聴こえてきます。この曲は彼の委嘱なのだそうで、内容的にはやや気楽なところもありますが、技の冴えに最後まで惹きつけられました。とにかくすごい奏者です。

 指揮者はジョナサン・ノットです。比べられるほどはN響の演奏会に行っていないのですが、最後まで演奏の集中力がとぎれなかったのは、指揮者の力が大きいのでしょう。またN響を聴きたくなりましたが、プログラムを見ると相変わらず協奏曲付きのものばかりなので、次はしばらく先になってしまいそうです。今回はLBブロックで聴きましたが、とてもいい席でした。

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2011年2月14日 (月)

カラヤンのチャイコフスキー第五番

 カラヤン75年録音のチャイコフスキー第5番を久しぶりに聴いてみました。なりふりかわまず突き進む激しさは聴くたびに驚かされます。カラヤンといえば端正で優美な印象がありますが、まったく正反対のカラヤンのもう一つの顔です。実演のカラヤンは録音と違った勢いがあったと書かれているのを時々見かけますが、このレコードはそういった実演に近いのかもしれません。記録によると一日で録音されています。あるいは興に乗った一発録りのようなものだったのでしょうか。オーケストラも限界を越えそうなくらい楽器を鳴らしていて、あらゆるものを押しのけて突進していくような熱気があります。カラヤンの録音では珍しいことですが、アインザッツがどうのとかいう細かいことは後まわしです。フルートやファゴットの音がひっくりかえっているところもあります。その一方で、この時期のカラヤンならではの、絶妙なバランスを保ちながらの透き通ったような静寂もあります。ホルンが遠くから響いてくるところなど、その独特な寂寥感が印象的です。

 ちょっと乱暴なところはこの曲だからなのかと思い、写真にあるように他の録音も集めては聴き比べしたものです。年代的に近い71年のEMI盤は基本的には同じような熱い演奏です。この時期のカラヤンとベルリン・フィルは一つの絶頂にあって、あり余る力が時として曲の枠を越えてしまうような演奏も残しています。EMIに録音した未完成などは、まるでブルックナーのような巨大な響きで、聳え立つようなシューベルトになっています。ただ、このチャイコフスキーはイエス・キリスト教会を使っていた頃の録音で、音像のスケールは大きいのですが残念ながら鮮明ではありません。これより若い頃の65年のグラモフォン盤は、スマートさが前面に出たカラヤンらしいもので、安心して気持ちよく聴いていられます。これはこれで魅力的ですが、75年の演奏を聴いた後だと何となく物足りません。この曲は先に進んでいくほど音楽に深みがなくなっていくところがあるので、なおさらです。古い録音で、音色はとてもいいのですが、ダイナミックレンジが狭いところが聴き栄えしません。晩年のウィーン・フィルとのものは、淡々としてまったく別人のようでした。

 最近はCDが中心なので、ひさしぶりのLPの音にとまどいました。アナログ録音のレコードも、室内楽やピアノなどの音の幅が大きくないものでは違和感が少ないのですが、オーケストラだと細かいところが聴こえないぼやけた音像だったり、狭いダイナミックレンジに納めるための編集や誇張がCDよりも耳につきます。75年あたりになるとダイナミックレンジも解像度もかなり良くなってはいるのですが、慣れてくるまで音量を変えたりしながら何度も聴くはめになってしまいました。EMIでも前出の未完成のように同じ時期に同じフィルハーモニーでの録音がありますが、オーケストラの近くで聴いたような、それぞれの楽器がくっきりと聴こえるものです。解像度や迫力はこちらの方が上ですが、ちょっと誇張されているかなとも思います。音の精度を上げるための犠牲になったのか、音色もややモノクロです。一方DGは、ホールの真ん中よりちょっと後ろくらいの距離感で、音色の美しさとホールトーンの雰囲気の豊かさがすぐれていますが、音が遠いぶんだけレコードらしい盛り上がりは今一つです。生で聴いたらたぶんDGに近い音なのだろうと思いますが、フィルハーモニーでの録音ではEMIのほうが聴き映えはします。


Karajan_no5

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2010年11月16日 (火)

サントリーホールのポリーニ

 2010年10月17日サントリーホールのポリーニのリサイタル(ショパン、ドビュッシー、ブーレーズ)。音楽の聴き方が根本から変わるような体験をしました。ポリーニのCDやレコードは日頃から聴いていますが、実演ははるか30年前以来です。見た目もずいぶん歳をとっていました。演奏も古い録音のような鮮やかさはありませんが、とにかく不思議な印象でした。音楽が盛り上がってきそうになると、それを消し去るように敢えて勢いを落とすのです。湧き上がるような感動を避けていると言ってもよさそうです。他の演奏家や、音楽学校で教えているのとは正反対です。聴いていると頭が冴えてきて、頭のなかが整理整頓されていくような、今まで経験したことのない感覚を体験しました。これを音楽の感動と言っていいのだろうかと思いながら聴いていました。

 家に帰ってからポリーニのCDを聴いてみました。音楽の勢いを抑えているとは今まで感じなかったのですが、そのつもりで聴くとたしかにそうです。ショパンのような勢いのある曲では独特の落ち着きといった程度ですが、内向的なドビュッシーになるとかなりはっきり感じられ、だんだん気持ちが沈んできたくらいです。ポリーニは音楽の構造以外の表面的なものを取り除こうとしているのでしょうか。録音で聴いても、最近のものほどその傾向が強くなっているようです。グールドのところで書いた気分に近いものがあるのですが、ポリーニの最大の特徴の強くてしかも決して途切れない緊張が前面に出てきて、ショパンでもバッハでも同じように聴こえるのは、ポリーニだけです。

 ポリーニの残した感触を頼りに他のピアニストの録音を聴いてみると、たとえば今までは音が多いだけにしか感じられなかった多声的な音楽が、何となく見えてくるような気がしました。バッハでは、声部が折り重なっていくと音楽の中に圧力のようなものが生まれてくるのが伝わってきます。音楽は憧れに形を与えて夢見心地にしてくれるところがありますが、この正反対です。普段のままの心のなかに、強さを生み出してくれるのです。

 何十年も音楽を聴いてきましたが、メロディーに感情移入し日常から離れて夢想するという聴き方から抜け出すことがなかったのだろうと思いました。音楽に最も感動するのが仕事などのあとでほっと一息いれる時というのも、そのためなのでしょう。私の場合、休養でのんびりしてしまうと音楽の効き目がそれほどでもないのも、同じことだと思います。定年退職して毎日が日曜日というような生活になったとしたら、果たして音楽を聴く気になるだろうかと、勝手に心配していたくらいです。

 一方でポリーニが示してくれたのは、音楽に慰謝を求めない聴き方と言えるかもしれません。没我的な陶酔や熱狂の音楽ではありません。耳を傾けるのにちょっと骨が折れますが、どんな時でも力を与えてくれるような気がします。これまでも西洋の理知的なところを感じさせられる機会がありましたが、たぶん今回もそれだろうと思いました。これで定年後の音楽鑑賞も大丈夫かもしれません。

 10月23日のベートーヴェンの晩(30、31、32番)も続けて聴きに行きました。ベートーヴェンだとどうなるのだろうかと期待していたのですが、早目でほとんど伸び縮みしないテンポで、さらさらと弾いていき、あっという間に終わってしまいました。後からレコードで31番を聴いてみたのですが、もうちょっとめりはりがあって盛り上がりもあり、こちらはかなり聴き応えがありました。今回の演奏はそっけないものでしたが、今まで聴いたことのない左手の不思議な雰囲気や、高い音や低い音の音色を目立たせない抑えた響きなどは印象に残りました。CDなどで何となくぱっとしないと思うこともあったのですが、今はどう聴いたらいいのか何となくわかりました。

 かなりの境地に達している演奏家だとあらためて思いますが、演奏会の一回勝負なかではそこまで感じることはできませんでした。レコードやCDで繰り返し聴けるのは、私のようなレベルの聴き手にはとても有益です。満場の客席がポリーニに喝采を送っていましたが、それぞれがどのように感じたのかを想像しにくいくらい違った音楽でした。

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2010年2月19日 (金)

CDMP352にやっと居場所

Cdmp352


 ホームページのカセットウォークマンのところにポータブルCDプレーヤーのCDMP352を紹介しましたが、ようやくいい音が出せるようになりました。イギリスのe-Bayで見つけてから数年になります。いくつかのイヤホンを試してきたのですが、なかなか満足できる音になりませんでした。最近になって中国製のMUSIC MAX LT1というポータブルヘッドフォンアンプを買ってしばらくエージングしてみたところ、誇張のない自然な音でいい具合です。これにEthymoticのER-4Sを組み合わせると、ところどころでポータブルとは思えないような音を出すようになりました。自宅の据え置きのシステムには太刀打ちできませんが、そういった比較を忘れて十分に楽しめるところまでになりました。オーケストラも結構いけます。

 値段を考えずに欲を言えば、音色の色合いがあまりありません。響きの広がりに鮮やかさがあるとカラフルに感じるのですが、その意味ではサントリーホールはカラフルで、上野の文化会館はややモノクロです。CDMP352で聴く時は、地味な音のホールにいるつもりになると素直に聴けます。鮮やかさという意味ではカセットウォークマンのDD9が一枚上手で、DD9が動くうちは持ち歩くのはそれ一本のつもりです。ダビングではなく、デジタル録音のミュージックテープが中心です。今頃ミュージックテープなどどこで手に入れるのかとよく聞かれますが、LPほどではないにしてもアメリカやイギリスのサイトまで手を伸ばせば中古品がまだかなり出回っています。

 CDMP352+MUSIC MAXだと今となってはポータブルというにはちょっとかさばることもあり、CDMP352は勤め先で昼休みにのんびり聴いたりしています。持ち運べないほどではないので、DD9が動かなくなった時の代りができました。家のシステムで聴いたCDも、演奏会場の別の席で聴いたような、また違った印象が楽しめます。演奏のそのものの印象がほとんど変わらず、これが何より大事なところです。

 値段を考えるとプレーヤーとアンプを足したものよりもイヤフォンの方が高く、同じレベルで揃えるとイヤフォンが割高ということなのだろうと思います。DD9用ではSHUREのE4C(SCL4)に席を譲っているER-4Sですが、それなりに高いものなので、有効活用できてこれも一安心です。

 音の純度が上がってきたのでCDプレーヤーの電源による違いが出るかなと思ったのですが(MUSIC MAXは電池駆動)、ACアダプターでも電池でも私にわかるほどの差はありませんでした。CDMP352はテープヒスのようなシャーというノイズが入るのですが、アンプ経由だとインピーダンスの違いのせいかこれが消えます。CDMP352はイヤホン出力の他にライン出力があり、イヤホン出力からだと音質が落ちます。他のところに書いている廉価盤CDの音質は、この程度の装置だと気にならないものです。

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2010年2月 1日 (月)

ハムかつ

Ham
 家内がハムかつを作ってくれました。ハムかつといえば子供の頃のおやつの一つです。昭和三十年台中頃でしたが、おやつ代わりに母が私と弟にそれぞれ十円をくれて、それを持って近所のパン屋でコッペパンを買ったりしていました。肉屋の店先で揚げていたハムかつは確か一枚五円で、コロッケが十円だったと思います。コッペパンは十円で、ジャムをつけてもらうと十五円といった記憶もありますが、もう五十年も前の事なので、値段についてはあまり確かではありません。

 陸軍の駐屯地だったところの隣に住んでいて、茶色い木造二階の兵舎が何棟もあり、住宅として使われていました。反対側は陸軍病院が国立病院になっていて、同じような木造の建物が土手の中に並んでいました。私はその病院で生まれたのだそうです。そんななかの小路に、駄菓子屋や八百屋や床屋など、いろいろの店が並んでいました。国道が舗装されてきたことが授業で話題になるくらいで、あたりの道は土か砂利でした。茶色や土色ばかりの風景で、その寂しいような暗いような色合いが私の体の芯に残っています。中国の古い町並み通り過ぎながら、薄暗い電灯の下で夕食の材料などを買う人々を見かけたりすると、心の奥からなつかしさのような独特な気持ちがこみあげてきます。そこに戻ろうという気持ちはありませんし、戻るれるわけでもありません。ホームページのほうのあるところに書きましたが、過去がなつかしいのは、確定してしまってるところにもぐりこめる安心感と無縁ではないと思っています。

 買ってきたハムかつをどんな場所で食べたか思い出せませんが、せいぜい近くの原っぱだったような気がします。すぐになくなってしまわないように、表のころもをはがして食べ、次に裏のころもを食べてから、油のしみたハムを食べました。紙カップに入ったアイスクリームはたまにしか食べる機会がありませんでしたが、ふたの裏にはりついたところから食べるものと決まっていました。私と同世代には同じことを言う人がいます。すりこまれているので、まわりを気にする必要がなければ今でもそうします。家内のハムかつはころもを剥いで食べたりはしませんでしたが、しばし感慨にふけりました。

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2009年7月20日 (月)

輸入盤CDの音質(違うプレーヤーで試聴)

Cd72

 輸入盤と国内盤のCDの音質の違いをかなり断定的に書いてきたことに多少責任を感じ、実家に移してあったマランツのCD72を持ち帰ってきて、聴き比べの再確認をしました。

 CD72もそれなりの機器なので、FMJCD33とはまた違ったいい音かもしれないと期待していたのですが、やはり3倍の値段の差は歴然でした。CD72では上も下もいま一つ伸びきらず、ゼンハイザーのヘッドホンの傾向にちょっと似たつまった音です。響きにわずかにホールの残響がのっているはずのところでも、あまり聴こえてきません。中音域はだんご気味です。もっとも、響きの細かいところを味わおうというでなければ、音楽の表情と雰囲気を感じ取るにはまあ十分です。

 プレーヤーによってはもしかしたら国内盤の方が相性がいいかもしれない思っていたのですが、結果はそうではありませんでした。聴き比べたのは、86年録音のポリーニのベートーヴェンのピアノソナタと、91年録音のブーレーズ指揮クリーブランド管弦楽団のストラビンスキーです。国内盤のピアノソナタはSUPER BEST 100として再発されたものですが、ストラビンスキーは最初に出たものです。輸入盤はいずれもドイツ製で、後から中古CDを買ったものです。

 ピアノではFMJ以上に差が出ました。国内盤ではプレーヤーの性格とも重なって上下の伸びがさらに抑えられ、響きのないスタジオで聴いているような音でした。これはこれで好きな人がいるかもしれませんが、音楽会で聴く生の響きとは違った感触です。音の表情は倍音の具合の変化によるところが多いように感じているのですが、国内盤では高次倍音があまり出ていないのかもしれません。グラデーションと言われるのもこれに関係しているのか、国内盤はやや一本調子な傾向です。

 オーケストラではCDにおさめられた情報量がCD72の能力を越えてしまっているようで、国内盤、輸入盤のいずれでもだんご状態になってしまいました。わずかではありますが国内盤の高音が硬く私には耳障りで、輸入盤の方がひろがりがありましたが、その差は聴き比べてやっとわかる程度でした。

 ホームページにも書いていますが、再生機器で音楽の印象が結構変わってしまうことをあらためて感じました。どんな環境で聴くかは(ある演奏会をどの席で聴いたか、どんな装置で聴いているかなど)、その人にとってのめぐりあわせのようなものです。大きく言うとそれぞれの人生の反映でもあり、他人とは共有できない部分でもあります。共有できない部分の存在を認めながら、残されたところを共有していくことが人のつながりなのでしょう。

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2009年5月30日 (土)

オーケストラ・リベラ・クラシカ第23回公演

 第20回をこのブログに書きましたが、一年ぶりに出かけてきました。満員の盛況のなかで直前にチケットを探したのですが、運良く良い席を手に入れることができ、湧き立つような演奏を堪能しました。彼らの演奏に比べると、CDで聴く有名な楽団の演奏はなんだか音が合いすぎているように思えるくらいです。OLCの奏者達も高い技術を持っていますが、最後は精巧さよりものりの良さが前面に出て来ます。音のお尻などがちょっとばらけるところがあっても、それがかえって生演奏の勢いとして感じられました。主宰する鈴木秀美氏の音楽を全員で分かち合えているのでしょう。ライブ録音のCDも出ていますが、録音では臨場感が目減りしてしまうタイプの演奏とも言えます。

 こういった熱気もハイドンの本質を追い求めた末に出てくるものなので、違和感のない正統的な安定感があります。声楽やオルガンが入り、いろいろな角度からハイドンの音楽を見渡していくなかで、一つの世界が立体的に浮かびあがってきました。遠いハイドンの時代の宮廷の広間から響いてくるように感じられたものです。特に人の声が入ると、いにしえの世界へ一気につながったように感じられました。それは私の毎日の生活のなかには存在しないものなのですが、豊かで不思議になつかしく感じられるものです。18世紀の貴族は今の我々のように世界中の一流のものを身近に持っていませんでしたが、特権的な貴族にとってはあたりまえにしても、はるかに豊かな時間を過ごしていたことを実感できたように思いました。

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2009年5月 5日 (火)

輸入盤CDの音質(フィリップス編)

 今回は、国内盤の方が輸入盤より音がいい、あるいは同等という、私の経験では例外に近いものをご紹介します。先に書いておかなければならないのですが、中古CDしか買わないこともあって、私が聴くのは90年前後の録音が中心です。そんなわけで、最近のものについては比較できていないことをお断りしておきます。

 図書館にクラウディオ・アラウが晩年にデジタル録音したベートーヴェンのピアノソナタがありました。悲愴などの入った、オリジナルと思われる西ドイツ製のCDです。最初に借りた時は何となくおぼつかない演奏に感じられたのですが、二度目に聴いて、深い落ち着きがとても印象に残りました。さっそく中古CDを探しましたが、アラウの晩年のものはあまり見つからず、あっても中古としては高い値がついているので、たまたま見かけたワルトシュタインの入った国内盤を買ってみました。すると、輸入盤と同等以上の音質に驚きました。しかも、この国内盤は再発物です。

 フィリップスに限らず、輸入盤でのピアノは、ダンパーやハンマーが動くのが目に浮かぶような鮮やかな音がします。胴に伝わったり蓋から反射したり、あちこちからの響きが混じりあったピアノが鳴っているという感覚を見事につかまえています。まるで、舞台の上に立って聴いているよう感じです。演奏会場ではピアノのそばで聴くことはほとんどないので、オーディオの魅力でもあります。なお、ピアノに限って言えばドイツグラモフォンも近い響きですが、フィリップスに比べるとより華麗で、フィリップスはくっきりしたなかにも落ち着いたたたずまいがあります。

 悲愴の入った西独製CDもあらためてネットオークションで手に入れたのですが、ワルトシュタインの国内盤もほどんど同じ上質な音です。高い音の音色がちょっと違うのは楽器のせいか、あるいは調律の関係もあるのかもしれません。他のソナタのCDも聴いてみれば元の楽器の音がどれくらい違うのかだいたいわかるかもしれませんが、まだ機会がありません。これも、どちらがいいかという差ではなく、ピアノの響き方のわずかな違いです。

 フィリップスの国内盤CDはそれほど持っていないのですが、あらためて聴いてみるといい音のものが多いこともわかりました。国内盤CDにがっかりさせられ続けて買う気持ちがなくなっていたところだったので、日本人としてうれしい発見でした。

 なお、最初に書いたように最近のCDは持っていないので、ユニバーサルの傘下になってからのことはわかりません。

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2009年2月23日 (月)

輸入盤CDの音質(英米対決)

 CDを聴く時の音質向上は、私の場合はノイズ対策が効果的でした。ヘッドフォンで聴いているので、よけいノイズが気になるのかもしれません。デジタル録音のみで、アナログ音源のものをCDで聴くことはほとんどありません。音がくっきりしているデジタル録音だと特に音の立ち上がりのガサガサが気になり、いかにも電気的な音に興ざめしてしまいます。いわゆるクリーン電源を使ったりしていますが、一番はっきり変わったのはクリーン電源からCDプレーヤーまでの電源ケーブルを替えた時でした。穂先の乱れた筆のようだったものが、一本の繊細な線にまとまり、音の見通しが良くなって、無音の時の静けさが際立つようになりました。この他に、スタビライザーのようなものも使っていて、結構効果があります。

 ここまで来ると、CDごとの音の違いが気になってきます。文庫本のような廉価盤CDの音質についてはこのブログに掲載済みですが、ハードカバーに相当する通常の値段の国内盤でも、輸入CDと音が違います。どちらがいい音かといった判断について軽はずみなことは言いにくいのですが、違うことは間違いありません。家族に手伝ってもらってブラインドテストをして実証しようかと思ったことがありますが、差はそれほどはっきりしています。そして、私の装置と私の聴覚や好みの組み合わせでは、欧米でプレスされたCDの方がいい音に思えるのです。

 LPでは国ごとの音色の違いが話題になることが多いのですが、デジタル情報であるCDでは、元のデータが同じであれば音はほとんど同じことを期待してしまいます。ところが、CDの場合は読み取り精度の問題があるようで、製盤の具合などが影響するのかもしれません。あるいは、ポリカーボネートの材質の微妙な違いが、レーザービームのかく乱の度合のようなものに関係してくるのでしょうか。いずれにしても、LPほどではないにしても音は確かに違い、それが主に「ノイズ」の差になってきます。

 こんな様子なので、中古CD屋で輸入盤CDを見ると、つい買ってしまって音を比べたりしています。オーディオは音楽を聴くためのもので、再生音の細かいところに過度にこだわるのは後ろめたくはあるのですが、一つの趣味です。いつもそんなことばかり気にしてCDを聴いているわけではないことを、言い訳がましいですが付け加えておきます。

 廉価盤CDの話に続いて、こういったCD音質比較を報告したいと思っています。手始めに、バーンスタイン指揮コンセルトヘボウ管弦楽団によるシューベルトの交響曲9番(7番)ハ長調のCDの比較です。アメリカ製と、ドイツ製が手元にあります。ドイツ製のパッケージに入っているCD本体は何故かMADE IN UKと表示されているのでイギリスのものです。

 一言で言うと、アメリカ製の勝ちです。特に弦楽器の響きに「ノイズ」がなく、純度の高い音がします。それに関係するのか、広がりと色彩感があります。もっとも、比べてみて初めてわかるくらいのわずかな差です。輸入盤を手に入れたもともとの理由が、国内プレスの廉価盤だと音がぱっとしないので、聴きながら気になってしまうからでした。これに比べると、アメリカ製でもイギリス製でも、鑑賞には差し支えなさそうです。

 日本製の悪口を書くのは気がひけるのですが、廉価盤でなければ日本製の方が音がいいこともあるかもしれず、機会をみて比較を報告していきたい思います。

Bernstein

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2008年12月12日 (金)

ニューヨークの牛丼

 一年半ぶりにニューヨークに出張し、吉野家に寄ってきました。一人だけでレストランに行くのはわびしいので、出張先ではマクドナルドのようなところで簡単にすましたりします。ニューヨークだったらラーメンもあります。吉野家は、東海岸では今のところタイムズスクエア近くのこの一軒だけです。インターネットでも情報が少ないようなので、こんな記事でも旅行者の参考にもなるかもしれません。

Yoshinoya11

 何年か前に車から見かけて朝早く歩いていったのが最初ですが、何と営業時間外で閉まっていました。24時間営業ではないのです。今回は朝の10時前にやっているかどうかわからないまま行ってみたのですが、運良く開いていました。朝の8時から早朝3時が営業時間と書いてあったような気がしますが、曜日によっても違うようです。ちゃんと見なかったので、旅行者用情報としては不足ですがあしからず。

 牛丼の味は日本とほぼ同じです。前に行った時は、肉がやや厚くて何となくステーキっぽいと思ったことがあったのですが、今回はそんなこともありませんでした。吉野家のホームページを見てみたら、レシピは世界中同じとありました。ごはんも日本と大差ありません。

 メニューは以前から牛丼以外もいろいろあるのですが、牛丼以外はアメリカ風の大味なジャンクフードに思えて、いつも牛丼の単品です。前の時の値段はおぼえていませんが、今回は牛丼単品では4.49ドルでした。写真を撮るために初めて味噌汁をたのんでみましたが、やはりちょっと違う味でした。日本と味を変えているのか、その日の担当の作り方のせいか、どちらかわかりません。写真にあるように、容器が発泡スチロールなのがちょっと寂しいです。

Yoshinoya22

 行く前に場所の確認も含めてインターネットを見てみたら、アメリカ人がいろいろ書き込みをしていましたが、味の評価は意外に低いものでした。それほどおいしいものではないと言われればそんな気もしてきます。まあまあ客も入るようだし、何より何年も営業しているので、ある程度の人気はあるのでしょう。

 店の雰囲気は、マクドナルドの店で牛丼を出していると思えばだいたい合っています。席の写真も載せておきます。朝のせいか、広い店内に客は私ともうひとりだけでした。

Yoshinoya33

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2008年11月15日 (土)

ガルバ、インドの盆踊り

 なかなか記事の追加ができないので、少し古い話なのですが、2003年にインドで見た盆踊りのようなものをご紹介します。

 10月に一週間かけて行われるお祭りの間に毎晩行われるもので、ガルバ)と言います。日ごとに盛り上がって、最後の晩は徹夜で踊り明かすのだそうです。本場はグジャラート州で、そこの化学肥料プラントを訪問した時がたまたまガルバの時期だったので、連れていってくれました。大きな工場で、周りには社宅があり、そういった会社関係の人達を中心にした会社主催のものです。

 行って驚いたのが、日本の盆踊りにあまりによく似ていることです。広場の真ん中に歌と楽器の舞台があり、そのまわりを輪になって踊ります(左回り)。歌手が歌うフレーズの合間にバックコーラスの女性達が高い声で合いの手を入れるところなど、日本の民謡にそっくりです。メロディーは五音音階風ですし、日本の盆踊りほどはゆったりしていないものの、踊りのためなのでテンポもそれほど違いません。私には盆踊りそのものとしか思えませんでした。

Gharbha2003a_2

 ガルバは、両手に短い棒を持って、それを隣の人のものとカチンカチンと打ち合わせながら踊るものなのですが、私が見ていた間は棒を持たずにくるくると回るものでした。このステップを練習するための講習会がたくさん開かれ、何週間かかけて身につけることも多いようです。若い男女の出会いの場でもあり、グジャラートで見たものでは、みんなきれいに着飾ってとても華やかでした。インド人は踊りが好きなようですが、晴れがましい表情でとても楽しそうでした。私自身はいつものように尻込みしてしまって一緒には踊らず、脇に設けられた観覧席で蚊に悩まされながらしばし観賞させてもらいました。

 下の写真は、ムンバイに戻って宿舎の窓から近くの広場を撮ったものです。こちらは一般の人達が集まるもので、入口で料金を払って中に入るようになっていました。はっきり覚えていませんが、全体が輪になって踊るのではなく、それぞれその場で踊っていたような気がします。

Gharbha2003b

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2008年9月 5日 (金)

オクラホマ

 オクラホマ州のタルサに二週間半滞在しました。この街は、私の出身の宇都宮と姉妹都市なんだそうです。アメリカ訪問は今まで長くても一週間程度だったので、私のアメリカ滞在最長記録になりました。時差ぼけがおさまるまで一週間かかってしまうので、初めて時差ぼけなしの平常心でアメリカに接しました。

 アメリカに来ると感じ方が変わってしまうとホームページのほうのあちこちに書きましたが、気持ちが落ち着いてくるとこういった違和感もやわらいできます。なんだ意外と日本と同じじゃないかと思ったりしました。だだっぴろいだけに思えていた風景も、彼らなりに細かい気配りをしているところもあることがわかって、親しみがわきました。建物の色や形も慣れるとあたりまえに思えてきて、以前の特別な印象がかなり消えました。それでも気持ちの底に流れている気分はやはりアメリカで、音楽の感じ方も日本と変わってしまうことは同じです。

 アメリカで感じる音楽の音色、あるいはアメリカ人が音色に感じているだろうと想像されるものは、日本やヨーロッパとも、もちろん中国やインドとも違うものなのでしょう。音をより立体的に感じるような気がするのと、陰影や含みよりも素朴な音そのものを楽しんでいるような気がします。日本人の感じ方はかなり平面的です。なかなか言葉で伝えられるものではなく、アメリカに来て感じるしかないかもしれません。日本とどちらがいいかという問題ではなく、それぞれの特徴を活かした独自の表現の可能ということです。

 ただ、アメリカでのクラシック音楽が私の心の比較的浅いところまでしか届かないことが多いのは、陰影のなさが関係していると思います。一方では、広々としたたたずまいが日本以上にくつろいだ気持ちにさせてくれるところもあります。これもなかなか悪くありません。古典派やロマン派の曲がのんびりした大柄な音楽に聴こえてくるから、不思議なものです。

 タルサの地平線の写真を載せておきます。

Tulsa

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2008年6月23日 (月)

グレン・グールド

 たまたまグレン・グールドの演奏を耳にしたら何となく面白そうだったので、CDを集めていろいろ聴いてみました。今までそれほど熱心に聴いたことがなく、印象もはっきりしなかったのですが、新鮮な驚きでした。聴き始めてから最初のうちはつかみどころがなく感じられたのですが、慣れてくると独特の感興があります。はまる人がいても不思議ではないと思いました。

 馴染むのに時間がかかったところは、音楽以外のところにつながっていくような何か退行的な雰囲気がただよってくることでした。これがしだいに独特の落ち着きとして感じられるように変わってきました。もともと演奏という行為には芝居がかったところが大なり小なりあるものですが、私にとっては余計なものです。劇場的な気分の高揚や、終演後の拍手などは、どちらかというと無いほうが気楽です。オペラが好きになれないのは、言葉のわからないと聴く意味が半減すると思っているだけではなく、こういったことも理由です。グールドは、聴き手にこういった劇場のカタルシスを与えることを徹底して避けています。グールドを聴くと、音楽だけを聴いている静かで落ち着いた気持ちになります。その力がとても強いので、あまり続けて聴いていると気分が沈んでくるというか、自分が魂を抜かれたようになってしまいそうで不安になってくるくらいです。副作用の強い精神安定剤といったところでしょうか。

 それでは冷たい音楽なのかというと、音楽独特の気持ちの盛り上がりは十分にあります。音楽一般にとって、この気持ちの盛り上がりこそ本質と言っていいと思うのですが、言葉で言い表すのは簡単ではありません。音楽モードに切り替わった頭のなかにある世界がひろがって、その空間に力が生まれてくるような感じです。グールドの演奏の最大の魅力は、人間の雑多な感情から音楽を隔離し、そこで開放された音楽の力を聴き手に返すことではないでしょうか。音楽の盛り上がりとそこに生まれる力は人間的でロマンティックなものなので、主知的なグールドの演奏の核心がそういったところにあるというのは、見方によっては矛盾でもあり、なかなかつかまえにくいところです。

 最初にこれはいいかもしれないと思ったのはスクリャービンでした。ある意味思わせぶりな音楽を、静かなたたずまいのなかでじっくり聴かせてくれました。ベートーヴェンも最初は屈折した演奏だと思ったのですが、ベートーヴェンの演奏で時に鼻につく押し付けがましさがなく、気に入りました。モーツァルトはパロディーだとまで評されてきた演奏ですが、それほど抵抗はありません。最近はもっと変わったモーツァルトの演奏が出てきているからかもしれませんが、既に歴史のなかに入ってしまったような古めかしさはあっても、不自然さはそれほどありません。グールドのなかで一番わかりにくかったのが実はバッハの演奏でした。これをつかまえるポイントになったのが、音楽が生み出す力を感じることでした。意外にロマンティックな聴き方が合っているんだと思いました。

 いずれにしても、グールドの場合は、グールドの演奏であることを強く意識して、そのつもりで聴くことが必要で、その意味では他の演奏とは別の扱いが必要です。聴きすぎると気分が落ち込んでくるところが、私としては一番注意すべきところです。

 一連の演奏はLPではなくCDで聴いたのですが、思った以上に新鮮な音で聴けました。デジタル化技術の進化のおかげだと思います。もともと高域と低域がカットされたような音なので、MP3に落としてもあまり劣化しませんでした。クラシック音楽はカセットテープ以外のポータブルプレーヤーでは無理だと思っていましたが、グールドの録音は今のところ唯一の例外です。

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2008年3月21日 (金)

AKGのK601

K601_2  CD用のヘッドフォンとして、ネットオークションでAKGのK601の中古を手にいれました。「驚きの高音質」という題でアマゾンにレビューを書いたので、若干追記してここにも載せておきます。アマゾンのものは、ヘッドフォンナビにも転載されています。

 スピーカーとアンプは片付けてしまって、ヘッドフォンとヘッドフォンアンプだけで聴いています。CDにはゼンハイザーのHD580とAKGのK501を使いながら、ヘッドフォンだとこの程度なのかなと思っていたところです。もう少しいい音と思いAKGのK601を手に入れ、別格の音質に驚いてしまいました。K501と同系の音と言われていますが、比較にならないくらいです。実力を発揮させるには電源まで含めてそれなりのシステムが必要ですが、それに応えてくれるヘッドフォンです。ポータブルで使う意味はなさそうに思います。

 私はクラシックしか聴かないのですが、たとえて言うならK501はホールの中から後ろ寄り、K601だとかなり舞台に近い感じです。音像が前後左右に大きく広がり、それぞれの楽器の鳴りの細かいところまで聴こえてきて、臨場感は十分です。オーケストラで弦楽器の内声が実体をもってしっかり聴こえてくるのは、解像度が高いだけではなく音色のバランスがいいからだと思います。これはスピーカーも含めて高級オーディオでもめったにないことです。低音が薄いという評価も見かけますが、まったくそんなことはありません。これ以上低音が目立ったら音楽がひっくり返ってしまいます。もっとも、クラシック以外ではわかりませんが。

 AKGはあっさりした音と言われていますが、生に比べるとやや明るくつやがあります。こういった色づけはオーディオではありがちで、生の音とは違ったものになることが多いのですが、K601はまだ許容範囲に入ります。実演に近いということではK501がこれまで使ったなかでは一番ですが、残念ながら高音がきつく聴きづらいところがありました。

 ARCAMのFMJCD33にTalismanのヘッドフォンアンプを直接つないでいます。K601を手に入れて最初に音を出した時のケーブルはオルトフォンの7NXで、ちぐはぐな音だったのでZU Cableの一番安いPILに替えたところ、がぜんバランスが良くなりました。値段でいうと2割弱の安いケーブルの方が音がいいということがあるのかと、いまだに半信半疑です。今はSAECのSL-1903にして、わずかですが音の曇りが取れ、さらに生に近い感じです。このSAECのケーブルも、K501では甲高くて耳障りな音だったのですが、相性なのでしょう。

 値段が安い機器がまじっているとその癖のようなもので全体のバランスを損ねてしまい、他の機器のいいところが裏目に出るようなことを何度か経験してきました。反対から言うと、高い値段のそれなりの機器を揃えれば、上の7NXのことも起こったりはしますが、相性などをあまり気にしなくてもある程度の音になるような気もします。K601を手に入れたことで全体がすっきりと通るようになり、あくまで私のシステムでの比較ですが、デジタル録音であればCDがLPを凌ぐところまでにやっとなりました。

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2008年2月23日 (土)

オーケストラ・リベラ・クラシカ 第20回定期演奏会

 めったにないくらい印象深い音楽会でした。余韻からまだ抜け出せないでいます。

 去年の10月から東京勤務になり、いろいろな音楽会に行きやすくなりました。さっそく選んだのがオーケストラ・リベラ・クラシカ(OLC)です。評判が高いうえ会場の浜離宮朝日ホールはそれほど座席数が多くないので、売り切れだろうと思いながら朝日ホールに電話してみたのですが、最前列や端ならわずかに残っているとのことだったので、最前列を選びました。

 OLCは初めてだったのですが、プログラムを開くと、資金の関係で大きな編成での演奏会は当面今回が最後とのこと。定期的に聴こうかとも考えていたのでちょっと残念でしたが、しばらく聴けなくなってしまう編成での最後の音楽会に行けたのは幸運でした。

 ハイドンも素晴らしかったのですが、何と言ってもジュピター交響曲の演奏に心を打たれました。とらえどころのない曲に思えていたのですが、初めてこういう曲だったんだと感じることができました。古楽器による演奏としては正統かつ真摯なものでしたが、それに加えて、これだけ趣深くいきいきとした演奏にはめったに出会えるものではありません。各声部が手にとるように聴こえてくるので、古い楽器の澄んだ響きと、あちこちに力点が置かれた立体的な演奏を堪能することができました。最前列の客席で、演奏者の集中と熱意に巻き込まれてしまいました。

 第四楽章の展開部が繰り返されたあたりで、聴いている集中力がちょっと落ちてしまったのですが、力が抜けたためか、もうひとつ奥の境地から音楽が響いてくるような不思議な体験をしました。最後のフーガはこれ以上はないくらい切実な音楽ではないかと思っているのですが、ずっしりした余韻を私の中に残しながら通り過ぎていきました。

 終演のあとにロビーでワインがふるまわれて、そこに演奏者も参加していたました。随分前にアマチュアオーケストラでご一緒したことのあるコントラバスの小室さんに話かけたら、覚えていてくれたようで、演奏についての話をうかがうことができました。

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2007年12月12日 (水)

廉価盤CDの音

 中古CD屋で、ガーディナー/ビルソンのモーツァルトピアノ協奏曲20&21番のCDを見つけて買ってきました。ドイツのオリジナル盤です。すでに同じ演奏のCDを持っているのですが、そちらは国内版の再発CDで、何となく音が薄っぺらいのが気になっていました。聴き比べてみると、ドイツ盤の方はやや厚みと奥行きがありました。それほどの差ではないのですが、ちょっとした臨場感の違いがその気になって聴けるかどうかの差になってくるので、無視できません。再発CDでも特に廉価盤の場合はこういった薄い響きが多いように感じています。どれくらい違うのか調べるために、鮫島有美子の「日本のうた」というCDを買い集めて比較したことがありました。

 鮫島有美子のCD聴き比べの発端は、日本航空に乗った時におみやげにもらったCDで、そのなかの夫君のドイッチュのピアノ伴奏で歌った日本歌曲が気に入りました。しばらくたって、もっとちゃんと聴いてみようと思い、図書館で「春・櫻」というCDを借りたのですが、同じ演奏でも録音レベルも音質も違いました。この2枚は室内オーケストラ伴奏のものも入ったコンピレーションアルバムだったので、廉価盤CDで出ていたピアノ伴奏だけのオリジナルの「日本のうた」を買いました。ところが、この音が薄っぺらいのです。こんなはずではと思い、インターネットで90年の再発CDを手に入れたら、やはり奥行きと厚みがありました。それならということで、85年のオリジナルのCDまで買って比べてみたのですが、こちらは90のものと同じ音でした。

 音の厚さでは、図書館で借りた「春・櫻」が一番でしたが、全体的には85/90年のCDが一番バランスがいいように思いました。音が薄いと、中音域でメゾピアノ以下だと音程がぶれるのが気になります。音が豊かだと、表情と勢いで不思議と気になりません。オリジナルのLPレコードをYahoo!オークションで見かけましたが、これだけCDを集めた後だったので、さすがにあきらめました。ホームページに書いているように、LPではまったく違った響きであることは確かです。

 再生装置によって出る音が違うので、廉価盤の音は安っぽいと一概には言えませんが、オリジナルと音が違うことは確かです。もしかしたら、高価な装置で聴くとあまり差がないのかもしれませんし、ヘッドフォンで聴いているので必要以上に差が気になるのかもしれません。廉価盤の音は、聴きようによってはくっきりしているとも言えるので、もしかしたら最新の技術でマスタリングしなおした結果かもしれず、装置によっては案外そちらの方がいいということもあるのかもしれません。

 なお、鮫島有美子の「日本のうた」の音楽について、いずれ書いてみたいと思っています。

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2007年8月 5日 (日)

アジア・フィルハーモニー管弦楽団2007

 またソウルに来ていますが、今度はアジア・フィルハーモニー管弦楽団をアートセンターで聴いてきました。提唱者のチョン・ミョンフンの指揮で、ドボルザークの8番、ブラームスの1番、他です。切符は三ヶ月前に売り切れという状態でしたが、キャンセルの切符を韓国の人に電話予約してもらえました。満員の客席の熱気がすごく、若い人がほどんどでしたが、一曲目の5分もないよう曲が終わった瞬間から、怒涛のような歓声が起こり、なかなか次の曲にかかれないくらいでした。

 オーケストラのメンバーは、弦楽器の半数はチョン・ミョンフンが音楽監督を務めるソウル・フィルからでしたが、残りはシカゴやニューヨークなどの欧米のオーケストラから駆けつけた韓国人、中国人、日本人です。私のウェブサイトの方に紹介していますが、アメリカの主要オーケストラの弦楽器のかなりの部分が今やアジア人で、コンサートマスターを始め、見覚えのある人も何人かいました。管楽器は、ほとんどがソウル・フィル以外のオーケストラからの混成メンバーでした。

 チョン・ミョンフンとソウル・フィルは、6月にブラームスの二番を聴いたばかりですが、オーケストラの印象も含めてとても似ています。ソウル・フィルに比べると、ちょっと鳴りが良く、管楽器が上手かなといった程度の違いに思いました。アジア人奏者のよく訓練されたむらのない柔らかい音が特徴で、チョン・ミョンフンの大きな節回しにぴったりつけていました。明るめの音色ですが深みもあり、歌いこんでいくと情緒的な表情が濃くでてきます。こういった特徴は、ソウルで聴いたKBS交響楽団とソウル・フィルとまったく同じです。全てを同じ会場で聴いているので、ホールの性質ももしかしたら関係しているのかもしれません。ソウル・フィルの時に比べると比較的はっきり拍をきざむ指揮だったのは、臨時編成のためもあったのでしょう。

 ドボルザークでは、音楽の表情のひだに分け入るような素晴らしい演奏でしたが、ブラームスの、それも1番となると、やや勝手が違います。6月に聴いた2番は、歌心と深い表現が素晴らしい演奏でしたが、1番では響きの重さがどうしても出てきません。フレーズを細かく歌い込んでいくので、インテンポをベースに石を積み重ねたような演奏で出てくる重層性がないのです。どちらがいいかは好みの問題かもしれませんし、ブラームスの演奏の一つの方法ではあると思いますが、アジア人が西洋クラシック音楽にどう向き合うかというむずかしさが出たように感じました。

アンコールは、ブラームスのハンガリー舞曲第一番ですが、ジプシーっぽいところがこういったアジア的な性格ではうまく表現されて、見事な演奏でした。聴衆の興奮もややあきれるくらいの絶頂に達しました。

 カーテンコールの途中でチョン・ミュンフンが指揮台からかなり長いあいさつをしていました。もちろん韓国語でいっさいわかりませんでしたが、マイクを使わなくてもよく通る声でした。あちこちのオーケストラからメンバーが集まったという以上の特別な雰囲気があったのは、チョン・ミュンフンのこの熱意があったからなのでしょう。

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ソウルフィルハーモニー管弦楽団

【ブログ引越しにともない、2007年6月30日作成のものを転記します。】

 インドからの帰国の途中で韓国に寄りました。先月のKBS交響楽団に続いて、今月はソウルフィルハーモニーを聞くことができました。KBS交響楽団の演奏会はホームページの方で報告しているので、ブログではソウルフィルハーモニーの方を書いておくことにします。同じ公営放送のオーケストラということもあり、KBS交響楽団は韓国のN響とも言えるリーディングオーケストラです。これに対し、今や世界的指揮者であるチョン・ミョンフンを音楽監督に持つソウルフィルは、小沢征爾と新日フィルを思わせます。一方ではソウル市が面倒を見ているらしいので、都響とも言えます。

 会場はアートセンター、曲目は、ブラームスの二重協奏曲(ジャン・ワン他)と、同じくブラームスの交響曲第二番でした。音楽監督であるチョン・ミュンフンの指揮です。

 何より凄かったのは、演奏後の聴衆の盛り上がりです。他の国のクラシック演奏会にはない若い兄ちゃん達のイェーという嬌声が一斉にあがりました。演奏も以下に書くように立派なものではありましたが、そこまで騒ぐほどではないと思ったのは、私が韓国事情に疎いからかもしれません。カーテンコールが続くなかで、チョン・ミョンフンも指揮台からガッツポーズを繰出し、聴衆全員に立ち上がるように求めたり、舞台と客先が一体になって喜びを分かち合っていました。

 韓国の音楽界は今が伸び盛りなので、一回ごとに成長していく充実感が共有されているのだろうと思いました。今度はここまでできたぞ、ということなのかもしれません。今はマンネリとも言える安定期に入ってきている日本とは大違いです。若い聴衆の方が多いのは世界的に見ても珍しく、勢いの現れです。

 KBS交響楽団との比較は、それぞれ一回しか聴いていないし、同じホールとはいえ席が違うので(今回は一階下手8列目)、断言はできませんが、音色などを含めてソウルフィルの方がわずかに地味かなと思いました。ただ、印象はかなり似ています。若々しい弦楽器群がなかなか聴かせるのも同じです。音色の変化はどちらかというと控え目です。こちらもコントラバス10本の大編成でしたが、音量的にも、それほど大きな音にはなりませんでした。KBS交響楽団はほぼ韓国人だけですが、ソウルフィルは西洋人が主要ポストを含めてかなりいました。ヴィオラを筆頭に、ボディーアクションがかなり大きい主席奏者が何人か目立ちました。

 独特だったのはフレージングです。チョン・ミョンフンのものなのでしょうが、とにかくフレーズの頭がどこから始まったかわからないくらい湧き上がってきて、アインザッツはないといってもいいくらいです。メロディーのなかの短い音符を長めにたっぷりとるので、拍からどんどん後乗りになっていき、次のフレーズの始まりがさらに遅れるという、最近はあまりない歌謡的なものでした。ブラームスだからそうしているのだろう想像しながら聞いていました。もしかしたら繰り返し練習したのかもしれません。指揮者がアインザッツを出さないので、木管の出だしなどがちょっと揃わないことがあるのは、大きな流れの方を優先したということだと思いました。

 演奏は十分に準備された正統的なもので、現代におけるブラームスの可能性と限界までも的確に表現しきった演奏だと思いました。聴きながら、ヨーロッパで聴いた音楽の感触を思い出したのも一度ではありませんでした。

 アンコールはハンガリー舞曲第五番ですが、アンコールにはもったいないくらい立派な演奏でした。団員達も楽しそうに弾いていました。その後の喝采がものすごかったのは言うまでもありません。

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ムンバイから

【ブログ引越しにともない、2007年6月24日作成のものを転記します。】

 記念すべき最初の書き込みはインドのムンバイからです。初めて来てから10年以上になります。最近は、年に一回か二回くらいです。

 インドでは道には車がひしめきあっていて、顔の黒いインド人があふれていたり、あちこち汚れていたりぼろぼろだったりするのですが、なんとなくゆったりした気分がただよっています。宗教的な深みといったらいいのか、そこに南国的な色彩や香りがまざったような、濃くて豊かな静けさです。私はこれがとても好きです。インドの女性のしなやかな身のこなしを連想させたりします。インドの魅力の本質はこれではないかと思うようになりました。言葉ではわかりにくいと思いますが、たとえば日本の夏の昼下がりや黄昏に、どこかゆったりした気分になるのに近いかもしれません。

 基本はのんびりしているのですが、表面は騒々しいエネルギーがあふれいていいます。ムンバイの道には、蜂の巣に蜂がむらがっているのと同じくらい車がびっしりで、クラクションを鳴らしながら5センチくらいの隙間を争っています。そういうのを見ていると、こちらまで何となくわくわくしてきます。あちこちに小さな飾りをつけていることもあって、毎日がお祭りといった気分です。

 妙に細かいのに、大雑把なところもあり、歴史や宗教など、とにかく奥が深い国です。事務所にいるだけではだめで、旅行したり、音楽会などに通ったりしているうちに、そんな風に感じるようになりました。インドにはまる人がいるのもわかります。インドに親しんでしまうと、東南アジアや韓国は、薄っぺらく思えてあまり魅力を感じません。アジアでインド文化に対抗できるのは中国くらいだと思います。

 今回も音楽や踊りの会を新聞で探しては、出向いています。音楽もそういうゆったりとした雰囲気が下敷きになっているので、くつろいだ気分になります。実は最近ジャズにも同じような穏やかな気分を感じるのですが、これが何故かはまだわかりません。

 バッハからマーラーまで、何本かカセットテープを持ってきているのですが、何故か西洋のクラシック音楽を聴く気になりません。反対に、日本でインド音楽を聴く気にはならないし、聴いたとしてもつまらないはずです。おみやげを買って帰っても、日本で見るとさっぱりなのと同じです。

 ついでですが、インドのバナナは、見た目は悪いですが、味が濃くてとてもおいしいです。宿舎から見た写真をつけました。

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