2019年12月 7日 (土)

台北で中古レコードを買う

 台北がこれほど寒いとは思っていませんでした。気温は10℃台のなかごろなのですが、暖房がない国なのでどこへ行っても寒々としています。湿度が高いこともあるのかもしれません。こちらの人はそこまでと思うくらい厚着をしていたりします。分厚いダウンのコートの下は、一年中そうなのですがスポーツウェアみたいないつもの気軽な服装で、ほとんどと言っていいくらい運動靴です。そして、これもほとんどの人が鞄を手に持たずにリュックです。あなたもスポーツウェアに運動靴でリュックを背負えば、もうほとんど台北の人です。そこにマスクをすれば、誰も日本人だとは思わないでしょう。

 この二、三日はどんより曇って、雨も続いて冷え込んでいます。今日の土曜日も冷たい雨がしょぼしょぼ降る中を、楽器をナップザックに入れて背負い、運動靴でいつもの楽器屋に練習に行きました。それから思いついて、前に調べた中古レコード屋に足をのばすことにしました。

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 その店までは地下鉄の駅からちょっと歩きます。店に着いて、インターネットの記事に出ていた通り靴を脱いで置いてあるサンダルに履き替えて中に入ると、私よりちょっと年配と思われる、たぶん店の主人が出迎えてくれました。半分以上がクラシックレコードで、かなりの量がありました。日本盤と欧米盤がそれぞれレーベル別になっていて、日本盤が六割以上とやや多目です。これといって探しているレコードがあったわけではなかったのですが、それでも小一時間かけて見ていると買ってもいいかなと思うものがいくつかありました。うろうろしていると、ご主人の奥さんと思われる年配の女の人が日本語でコーヒーはどうかと言うので、いただくことにしました。いろいろ手間をかけてコーヒーを淹れてくれました。

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 せっかくなので何か買って帰ろうと思い、コープマンのブランデンブルク二枚組と、ホリガーがオーボエで吹いたテレマンのフルートのための12の幻想曲に絞りました。値段はそれほど安くなく、二枚組のバッハが箱の状態が良くないからか二千円ちょっと、ホリガーは二千円弱で、ヤフオクで送料を含めたくらいです。クレンペラーのベートーヴェンの1・8番の米エンジェル初期版があったので値段を見たら三千円弱です。ディスクユニオンなら千円くらいでしょう。韓国も安くなかったので、東アジアでは日本のディスクユニオンが一番安いです。買った二つはどちらもCDで出ているのですが、同じくらいの値段だし、レコードの音で聴くのも悪くありません。

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 入れてくれたビニール袋を見たら、二手原版とあります。中古の意味でしたが、セカンドハンドから来ているのでしょうか。レコードは唱片なのですが、黒膠はアナログレコードのことのようです。

 店の奥がオーディオ修理工房みたいになっていて、壁の棚にたくさんの中古プレーヤーが積んであります。B&W801が、何やら大きな真空管がたくさん付いた自作と思われるアンプで鳴っていました。床にはハンダごてが置いてあります。ただ、アンプ類はスピーカーにつないであるものだけくらいなので、プレーヤーの修理と販売が中心なのかもしれません。せっかくなので買ったコープマンを聴かせてもらいました。さすがにいい音でしたが、カートリッジがデンオンらしく、そのせいかやや平べったい音でした。

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 地下鉄の駅から店に向かう途中で古いレンガの家がカフェになっているのを見かけました。台北ではこうやって古い建物を活用することが多いようですが、後で調べたら台北市の古蹟に指定されている萬華林宅でした。中はスターバックスです。レコード屋からの帰りに寄って、一息つきました。

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2019年9月 5日 (木)

写真日記:台北市西門

 台北には日本統治時代の古い建物がたくさん残っていて、多くが古蹟に指定されて管理されています。街を歩いているとそういう建物があちこちにあって、いちいち見ていたらきりがないくらいです。練習室を借りに行っている楽器店がある西門(シーメン)にもたくさあります。

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 地下鉄を降りて西側に出ると、そこが三級古蹟‎の西門紅樓です。1908年に近藤十郎が設計した台湾初の公営市場だったそうですが、今は内部がリフォームされて劇場、工房、飲食店などが入っています。日本統治時代の建物にはこういった東京駅みたいな赤レンガが多いです。

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 駅の反対側には中山堂があります。1936年に井手薫によって設計された公会堂で、こちらは国定史蹟のようです。台北の日比谷公会堂ですね。1,122席の大ホールは設備などが改修されていて、臺北市立交響樂團が演奏会場の一つとして使っています。先日聴きに行ってきましたが、思ったよりずっとまともな響きでした。ただ、舞台が、幅や高さがあまりないわりに奥行きがあって、ちょっと洞穴みたいです。残響が少なくて広がりがないので古いモノラルレコードのような音ですが、各楽器がバランス良く聴こえてきます。いろいろ工夫しているのかもしれません。

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 このオーケストラは1969年創立と歴史があるせいか、合奏もかなりこなれていていい感じです。何と8月にエルイアフ・インバルが首席指揮者に就任したそうで、10月にはそのインバルが来て、マーラーの2番、4番、8番を三週間で立て続けに公演します。4番がこのホールなので独特の雰囲気になるのではと思ったのですが、あいにく帰国予定と重なっていました。近代的な國家音樂廳での2番の方の切符を買いましたが、安い席とはいえ千円くらいです。市立オーケストラだから補助が出ているのでしょうか。いずれにしてもインバルを千円ではなかなか聴けません。台湾のオーケストラとして一番格上なのは国立の國家交響樂團で、こちらも近々聴きに行きます。

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 中山堂の三階に臺北書院というのがあって、茶席が楽しめる茶房や、いろいろな講座や講演会をしています。毎週金曜に書法研習班すなわち書道教室があるので、月に二回ほど稽古に通っています。広間の前のロビーなのですが、隣りで花を生けていたりしていて、落ち着いた雰囲気でなかなかいいです。

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 練習している楽器店は中山堂の隣のブロックにあるのですが、そこを横に曲がって1ブロック行くと臺灣總督府です。長野宇平治の最初の設計に森山松之助が手を加えて1915年に完成したそうです。私見では台北で一番見ごたえがある建物で。これも国定古蹟です。いくつかある国定史蹟一つの北門(ベイメン)が台北駅にそばにあり、たまたま通った時に撮ってきました。一番下の写真です。台北城に5つあった門のうち現役当時の姿をとどめる唯一の門だそうです。完成は1884年とのことで臺灣總督府とそんなに違わないのですが、日本統治時代より前ではあります。

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 台北の建物と言えば台北101が有名で、ドゥバイのブリュジュ・カリファに抜かれるまでは世界一高かったこともあり、別の機会に一応見に行って来ました。ホームページに世界の高層建築や煙突の写真を載せている高い建物おたくの私でもどうもあまり興味がわきません。たぶん形のせいだと思いますが、それなりの見ごたえがないわけではないので、敬意を表する意味で写真を載せておきます。

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 臺灣總督府からちょっと歩くと、今は法務院になっている台北第二高女だった建物があります。私の母が通っていたところです。戦災にあって修復されたとありましたが、昔の雰囲気が残っています。頭が悪くて第一高女に行けなかったと何度か聞かされました。小さい頃に掛け算の九九を声を出してそらんじていたら、聞いていたお手伝いの中国人の娘の方が先に覚えてしまっていやになった、などと言っていました。第一高女は昔の建物のままで近くの総督府にそばにあり、第二高女はそこに合併されてしまったようです。

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 祖父が三井物産だったのですが、北門のあたりをうろうろしていた時に三井物産の倉庫が資料館のようになっているのに出くわしました。当時は三井物産の倉庫などが広大な敷地を占めていたようです。古い写真もあり、昭和初期の母の家族の暮らしぶりを想像したりしました。

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 台北の街には昭和初期の木造の日本家屋もところどころにに残っていて、タイムスリップしたような気分になります。

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2019年8月18日 (日)

ザッハレンコヴァのゴルトベルク

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 二十年前に「ピアノのバッハ」をホームページに書いてピアノで弾くバッハにけちをつけたのですが、エストニアのイリーナ・ザッハレンコヴァが弾くゴルトベルクを聴いて認識をあたらめました。チェンバロなど表現の幅が大きくない楽器でも、演奏者の心の中では音に出る以上の心の高揚や沈潜、あるいはこれがなければバッハではない独特の力の入り方などが大いにある(と私は思っている)のですが、ピアノだとそのかなりの部分を音に出すことができます。心の動きの方向や深さや強さがなるほどバッハだと思われれば、彼女のようにディナーミクやアゴーギグの幅が大きくても十分バッハになります。これをを可能にしていたのが、繊細で正確で軽快なタッチと、うっすらと柔らかい色のついた透明な音色です。この長い曲で聴き手の気持ちを弛ませなかった集中力と構成力も見事でした。

 何度も美しい音楽だと思いました。私見ですが、ピアノに限らず若い女性にしか出せない音色があると思っています。彼女は四十代前半らしく若いとは言えないかもしれませんが、見た目も演奏振りも若々しいういういしさがあり、音楽もそのままでした。男性の太い指や腕、硬い筋肉ではこういう音は出ないだろうなと思いなが聴いていました。

 これだけのピアニストはなかなかいません。ライプチヒのバッハコンクールやエネスコなど、名だたるコンクールで優勝していますが、世界的に活躍しているようでもなく、台湾まで来て日本には行かないんだろうかと思いました。

 この長い曲を弾きとおす演奏者の大変さは想像を越えていますが、聴く方にとっても一種の苦行みたいなところがあります。二百人くらいのなかには知らずに来てしまった人もいるかもしれないし子供も見かけたので心配だったのですが、大した物音も立てずみななんとか持ちこたえていました。ホールの音響は、まあ十分といったところです。二千円弱の席で、内容を考えるとものすごく安い値段です。なお、最初にイタリア協奏曲が演奏されました。

「華麗郭德堡-」薩哈納科娃鋼琴獨奏會
Splendid Goldberg- I.Zahharenkova Piano Recital
2019年8月16日 星期五 19:30
台北市國家兩廳院演奏廳

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2019年6月16日 (日)

日本センチュリー交響楽団 第236回定期演奏会

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 初めてザ・シンフォニーホールに行ってきました。大阪での音楽会は、四十年前の新入社員研修で大阪に泊まった夜に当時のフェスティバルホールで聴いた朝比奈・大フィルのブルックナーの8番以来です。音楽会だけではなく、大阪の街自体もほとんど素通りするだけでしたが、しばらく行ったり来たりすることになりそうです。この機会に大阪の音楽会もいろいろ聴いてみたいと思ってます。

 ビジネス街の中をうろうろしているだけでコアな大阪は未経験ですが、まだ来たばかりで旅行客気分が抜けていないせいか、大阪の街が何となく懐かしく楽しく感じられます。ビジネス街の風情は八重洲と両国を足して二で割って、人を減らした(これが大切です)といったところです。新しい建物が目に付きがちな東京と違って、古びているわけではありませんがちょっとタイムスリップしたような気になります。何故か高校を卒業して札幌に住み始めた時の気分と似ています。札幌は広い道が真っ直ぐ続いていて、あまり人影がありません。そして、やはりちょっと前の時代の雰囲気が残っていました。

 結構いろんな国に行ったので、そういうところで自分が異邦人であることの感覚がだいぶ退化してしまって、どこの国にいるのかあまり気にならなくなっています。大阪でも観光客気分で、不案内な街のなかを道を探しながら歩くのは、パリやロンドンで演奏会場を探して右往左往する時と同じ気持ちです。どんな音楽会かなと期待しながらの、一種のわくわく感でもあります。大阪がパリやロンドンに似ているというわけではないし、まして大阪の人が他の国の人に見えるわけではもちろんありません。見慣れない場所ということで同じような気持ちになるようです。反対もあって、パリに行ったら日本の知らない都市にいる気になったりもするものです。

 大阪駅からシンフォニーホールまで歩いていこうと思ったのですが、予想通り大阪駅で迷って余計な時間がかかってしまいました。シンフォニーホールに無事たどり着いて、席に座って、やや古びた感じの壁紙などを見渡しながら一安心です。今回は様子見ということもあり、それほど値段の高くない前から二列目の席を買いました。オーケストラが舞台袖ぎりぎりまで出てきているので、予想外の近さでした。オーケストラはまだいいのですが、写真にあるようにリストのピアノ協奏曲風の曲でまるではピアノの響板の下に潜り込むような感じです。写真は広角気味なので、実際はもっと間近です。まるでグランドピアノの蓋のなかに頭をつっこんだ時のような轟音を頭から浴びることになりました。いい経験でした。

Symphony02

 プログラムはリストとバルトークで、指揮者もソリストもハンガリーの音楽家です。大変聴き応えがありました。弦チェレを生で聴くのは初めてでしたが、テンポの早いところでも音楽が軽くならず、湧き上がってくる力があって、こういうことだったのかと納得しました。オーケストラの音色は、日本の他のオーケストラのいくつかと似た、暖色系でわずかに暗く、どことなく湿り気のある響きです。この湿り気とは、音程とか、音の移り変わりのキレとか、音の立ち上がり(早ければいいというものではありません)の揃い方などによります。世界には、明るく透明な鮮やかな音色で、まるで機械のような精密な演奏をする超一流楽団がありますが、それだと抜け落ちてしまう音楽の手触りというものがあります。日本センチュリー交響楽団は、そういったぬくもりを感じさせて、ハンガリーの作品には向いています。思い切りがいいので、音楽に勢いや厚みがありました。東フィルにいた荒井英治さんが主席客演コンサートマスターとして率いていましたが、そのせいか東フィルに似た鳴り方でもあります。コントラバス6本の中編成でした。当日の舞台写真がホームページに出ていたので、拝借して一番下に載せました。客席の入りは七割といったところでしょうか。

 後ろの席だとこの湿り気がすっきりとまとまって聴こえるのか、あるいは何となくぱっとしなくなるのかは、次の機会を待ちたいと思います。次回の狙い目は舞台横の二階席です。その時にはホールの響きもわかると思います。帰り際に事務局の人とお客さんと思われる会話を耳にしましたが、この晩の演奏をNHKのFM番組用に収録していたそうです。確かにたくさんマイクがあるなと思いました。

 

日本センチュリー交響楽団第236回定期演奏会
2019年6月13日
ザ・シンフォニーホール

指揮:ヤーノシュ・コヴァーチュ
ピアノ:ガーボル・ファルカシュ

バルトーク:舞踏組曲 BB 86a
リスト:ハンガリー狂詩曲第2番 S.244
リスト:ハンガリー幻想曲 S.123
バルトーク:弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽 BB 114

 

Century

 

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2018年11月20日 (火)

ソウル・フィルのプロコフィエフ

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 半年ぶりにロッテコンサートホールに行ってきました。今回はソウル・フィルで、生で聴いてみたいと思っていたプロコフィエフの5番です。指揮はオスモ・ヴァンスカ。いつものアートセンターではなくロッテで聴くと響きが豊かで、オーケストラの印象が違います。行けなくなることも考えて舞台横の安い三千円の席にしてあったのですが、臨場感があって悪くありません。ただ、下の写真にあるようにコントラバスが見えないので、コントラバスがややぼやけた間接音です。演奏は相変わらず見事なものでした。個々の奏者の技量も高く、合奏としての音色や表情も十分に練られています。

 このプロコフィエフの交響曲はアナログ録音の頃からレコードで聴いていましたが、打楽器と金管楽器の大音響がレコードには入り切らないので、欲求不満がありました。生で聴くとどうなるのかがこの演奏会で一番気になったところです。ソウル・フィルも演奏が破綻しないぎりぎりのところまで全力を出すのですが、どこかふっきれません。アインザッツが乱れないかとか、汚い音になったり音をはずしたししないかとか、そういうコントロールが行き届いているような気がして、こういう箇所でも言ってみれば美しい演奏です。アジアの音楽家の傾向として音の出し方が丸みをおびていることもあり、たとえば欧米人の大男の金管奏者が細かいことを後回しにしてひたすら大きな音を出すような演奏だったら、もしかしたらもう少し凄みが出るかもしれないと思いました。もっと極端に言うと人間離れした、あるいは人間であることををやめたような異常さがこの音楽では有り得るのかもしれないと考えながら聴いていました。ソウル・フィルのトランペット、トロンボーン、ホルンのトップは白人奏者でしたが、彼らもオーケストラの枠からはみ出すようなことはありませんでした。こういう演奏ならCDのダイナミックレンジにもある程度おさまって、印象も大きくはが変わらないかもしれません。

 生の演奏会ではCDやレコードと違って後に行くほど熱気が出てくることがありますが、今回も徐々に盛り上がり音に激しさが出てきて、最後にはさすがソウル・フィルと思わせるのは相変わらず見事です。他の曲はブラームスの悲劇的序曲と、ボストリッジの独唱でマーラーの角笛から四曲です。これらも立派な演奏でしたが、ブラームスのこの曲は何度聴いてもただ暗いだけの曲にしか思えません。マーラーはボストリッジの歌い方だとドイツ語の意味がわかっていないと置いてきぼりになると思い、実際に私はそうなりました。なお、ボストリッジはこのホールのArtist-in-Residenceだそうで、この演奏会もBOSTRIDGE SINGS MAHLERと銘打たれていました。

 以前はKBS交響楽団の方が上だと思っていましたが、ややゆるいところのあるKBS交響楽団よりもこのところ引き締まってきたソウル・フィルの方が聴き応えがあります。土日続けての公演の二日目でしたが、意外に入りが悪く、半分くらいだったでしょうか。最近のソウルのオーケストラ演奏会は空席が目立つので心配です。

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BOSTRIDGE SINGS MAHLER

SUN Nov 17, 2018 17:00 LOTTE Concert Hall
Seoul Philharmonic Orchestra
Osmo Vanska, conductor
Ian Bostridge, tenor (Artist-in-Residence)

Brahms, Tragic Overture, Op. 81
Mahler, Des Knaben Wunderhorn
- Des Antonius von Padua Fischperdigt
- Der Tamboursg'sell
- Revelge
- Wo die schonen Trompeten blasen
Prokofiev, Symphony No. 5 in B-flat major, Op. 100


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2018年5月30日 (水)

写真日記:ロッテワールドタワー

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 前報のロッテコンサートホール訪問のもう一つの目的はロッテワールドタワーでした。世界で五番目、韓国で一番高い建物です。飛行機からも見えるし、ソウルの町並みの彼方に何だか得体の知れない塔のように見えたりしていました。ソウルの東の端なので、なかなか近づく機会がありませんでした。間違えて一つ手前の地下鉄の駅で降りてしまったので、そのまま遠くから少しずつ近づく姿を味わいながら歩いて行きました。

 上海の高層建築群と同じような高さなのですが、まわりにそれほど高い建物がないので突出している印象があります。そういう意味ではドバイのブルジュ・カリファを思い出します。どちらも銀色に輝いていて、実用的な建物というより何か別のものに見えるところも同じです。ブルジュ・カリファは空に突き刺さるような尖った形をしていますが、ロッテワールドタワーはちょっと丸みがあって、下から見上げると中空に浮かぶ宇宙船のようです。上下が反対になったように感じて、自分が空に向かって落ちていきそうでそわそわしていまいます。近くのものに思わずつかまりたくなります。高い建物が好きでホームページやこのブログでたくさん紹介していますが、こんな感覚は初めてです。下の写真の角度では、大きな宇宙船の背中に放り出されて落ちそうになっている自分を想像してしまい、気持ちが落ち着きませんでした。なかなかスリルがあります。てっぺんに世界一高い展望台があるのですが、そこまで高いと飛行機から見ているのと変わりがないし、特に登ってみることはしませんでした。

 デザインは六本木ヒルズや、あの栓抜きのような形をした上海の森ビルと同じアメリカの建築事務所です。

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2018年5月29日 (火)

写真日記:ロッテコンサートホール

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 2016年にオープンした新しいホールなのですが、オーケストラ演奏会はソウルアートセンターが中心で、聴きに行く機会がなかなかありませんでした。そんななかでKBS交響楽団が定期演奏会を時々ここでやるようになってきて、今回はその一つにスケジュールが合いました。2014年から音楽監督を務めているイスラエル出身のヨエル・レヴィの指揮でマーラーの第九番です。音楽監督になったばかりの頃に、春の祭典やブルックナーを聴いたことがあるのですが、丁寧なのですが穏健というかやや間延びしたような演奏でした。KBS交響楽団を聴くのはそれ以来ですが、指揮者もオーケストラも見違えるような出来でした。

 もともと落ち着いた整った演奏をする団体です。韓国のオーケストラらしい、柔らかいなかにも芯がある明るめの音色です。節度のあるなかで豊かに歌います。そういった性格は今回も変わりませんでしたが、演奏の精度が随分上がっていました。細かいところまでよく聴き取れるホールだったので、いろいろな楽器がぴたりと合って重なり合う微妙な色合いなど聴き応えがありました。管楽器に白人奏者の多いソウル・フィルに比べてKBS交響楽団はほとんど韓国人だけと言ってよかったのですが、今回はフルート以外の管楽器の主席奏者とコンサートマスターは白人でした。出演者名簿によるとこの半分とコンサートマスターは正団員ではなく招聘団員とのことです。彼らがかなり貢献しています。

 熱のこもった演奏でしたが、イスラエル出身の指揮者にしてはやや淡白なところがあります。ぐいっとかばしっといったひっかかりがありません。分裂的といっていいくらい楽想が入れ替わっていくところの場面転換のようなものがそれほど前面に出てきません。もともとマーラーのそういうとことが苦手な私は、どこにいてどこに進んでいくのかわからないままのところがありました。ところが、メロディー主体の第四楽章になるとこの指揮者とオーケストラの美点ががぜん生きてきて、消え入るような最後までマーラーの音楽に引き込まれてしまいました。

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 私の席は舞台近くの下手の中二階のようなところです。写真は広角気味のスマホなので、実際はもっと舞台に近づいた感じです。手すり横の二列が安い値段なのですが、手すりが目に入るからかもしれません。私は手すりから二列目だったのでそれほど気になりませんでしたが、試しに隣の席に座ってみたら確かに目障りです。オーケストラ全体が斜め上から見渡せるし、音もいいし、得な席です。値段は上は九千円から下は二千円までの真ん中の五千円でした。今回も舞台の裏と横の席には客を入れておらず、三階席の両端もほとんど客がいませんでした。2,036席のホールですが、1,000人くらいだったのかもしれません。

 最近の傾向なのか、響きを生かしながら細かいところまで聴き取れるかなりいいホールです。デジタル録音の音質を連想するような感じで、ヨーロッパなどのこくのあるホールなどとは違います。三年前にレポートした飛びぬけた音響のパリのフィルハーモニーから、鮮やかさをやや抑えて精緻さを向上させたような音です。ドイツグラモフォンが実況録音していましたが、このホールを選んだのはそれだけいいホールなのかもしれません。一回聴いただけで判断するのは早計ですが、アジアで最上のホールの一つかもしれません。他にはシンガポールのエスプラナードがあって、その次くらいがサントリー他でしょうか。これも一回行っただけですが、札幌のキタラホールが同じような印象でした。実はミューザ川崎には行ったことがありませんが、話しに聞くとロッテと似たような音なのかもしれません。ロッテは永田音響設計がかかわっていますが、パリもミューザもキタラも永田音響設計によるものです。傾向の違うサントリーや東京芸術劇場やトリフォニーも彼らなので、これだけが永田音響設計の音というわけではないようで、私にはそれほどと思えないホールもいくつかあります。

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今回のもう一つの目的は、ホールの隣のロッテワールドタワーを見ることでした。世界で五番目、韓国でもっとも高い建築です。次の記事にレポートを載せました。上の写真の坊主頭のようなところが、7階建のショッピングモールの上にのっているコンサートホールです。


The 730th Subscription Concert of KBSSO
Conductor : Yoel Levi
Program : G. Mahler
Date:2018.05.26(SAT)
Time : 20:00
Venue : Lotte Concert Hall


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2018年2月22日 (木)

フルートの音色

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 小学校の頃だったと思いますが、観光地の広場にアルルの女のメヌエットが流れていました。どこかで聞いたことがある程度で曲名も知りませんでしたが、この世のものとは思われないくらい美しいと思いました。今から考えるとフルートの音色にそう思ったのでしょう。管楽器を好きになる人は音色に魅かれてというのが多そうですが、フルートの音色をたとえてみると、品があって表情がやや硬い細身のお姫様といった印象かなと最近は思っています。天上の音楽と言えば、ダイアモンドの光のようにひんやりとして澄んだ音色のフルートの出番です。モーツァルトの協奏曲の緩徐楽章など、いろいろ思い当たります。笛の音色はフルートに限らず冥界を感じさせることがあります。能管が鳴り始めると、能舞台にあちら側の世界が口を開けます。現代フルートではありませんが、トラヴェルソの菅きよみさんの演奏はどこか遠いところにつながっていきました。

 フルートは金属製の場合は特に音色が硬質で、他の木管楽器にない独特のものです。オーケストラのなかの木製フルートに書きましたが、合奏のなかで浮き立つ、あるいは浮いてしまいます。表情の幅も音量の幅も広くありません。どことなく打ち解けにくく、品はいいけど人間味を感じさせないお姫様ということになります。フルートを好きな人はフルートだって表情豊かだと反論するかもしれません。音色だって暖かい、あるいは太い演奏もありますが、他の楽器と比べるとこういったフルートの性格からそれほど離れるものではありません。フルートの音楽会は音色や表情の変化が乏しいので、よほどのフルート好きでなければだんだん飽きてきます。自分で吹いていて、オーボエやクラリネットのように変化がつけられたらと思うことがあります。ヴァイオリンや声楽の自在さにはいつも感服します。

 木製フルートは金属製より音色が柔らかなので合奏にもなじみますし、いろいろ変化がつけられますが、一方でフルートらしいお姫様の度合いは減ってしまいます。木製フルートでの演奏をCDなどで聴いてみましたが、印象は木製フルートで何をねらっているかで変わります。フランス系の奏者は均一で美しい音色で吹くことを目指す傾向があるので、ガロワなども木製を使ってもその音色を生かすことに重きを置いているような気がします。一方で、オランダのジャック・ズーンは、木製で可能になる音色の変化で音楽の表情を作っています。ちょっと明るめではありますがバッハなどはニコレに通じるところがあります。そのニコレのフルートはひたすら音楽の核心に向かって歌いむもので、もともとあまりお姫様的ではありません。フルートらしい浮き立つような硬質感がないのも独特で、60年代初めに録音されたプーランクなど、暗く重く、力ぐいぐい進んでいくような、およそ一般に思われているプーランクとはかなり違います。モーツァルトなどでも、フルートを聴いたというより、何か別の印象が残ります。柔らかい音色から楽器を鳴らしきった太く力強い音色までの幅もフルートの常識を超えるものです。ニコレは金属製の楽器ですが、木製フルートを使い始めてニコレには木製フルートと共通なところがかなりあると思いました。

 ところで、バッハの無伴奏フルートのパルティータは、ニコレが吹いたものでも全然バッハに聴こえないので、なんでだろうと思っていました。先のズーンが木製フルートで吹いた無伴奏チェロ組曲の編曲と無伴奏フルートパルティータを聴いてみると、前者が普通のバッハなのに、後者は単純だったりして何かちょっと違います。それでも、バッハがフルートに独特の軽さを念頭に置いたのかなと思って聴くと、何となくわからないでもありません。管弦楽組曲の第二番などのイメージです。こういったフルートらしい浮世離れした明るさや軽さをどう取り込むか、あるいは聴きとれるかが、この曲のポイントなのかもしれません。


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2018年1月 8日 (月)

写真日記:タタールスタン

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 年末年始にロシアのタタールスタン共和国に出張してきました。ロシアは12年ぶりです。モスクワから飛行機で東に二時間。ニジネカムスクというロシア有数のコンビナートのあるところです。50年前に何も無いところにプラントを作ることになり、そのために作られた新しい街です。タタール人が半分とのことなのですが、外国人にはロシア人との区別はつきません。見たところ普通のロシアの街です。生活関連以外は何もないといっていいのですが、名物といえば強豪のアイスホッケーチームの本拠だそうです。今回は遠征中で試合を見ることはできませんでした。

 ゆったりとしたというよりはがらんとしていて、広々とした静けさと寂しさがあります。雪に覆われた白と黒の無音の風景に何となく懐かしい気持ちになりました。そういえば札幌の郊外に雰囲気が似ています。日本での慌しい毎日と違って、時間がゆったり過ぎていく感覚を思い出しました。短期間だったのでこんな気軽な感想が言えますが、日本から長期で滞在している人達は単調さに耐えなくてはならず、大変だと思います。

 歴史の厚みを感じるようなものはあまりありませんでしたが、何となくロシアの懐の深さを感じることもできました。そんな気分でロシアの作曲家の音楽を聴いたりすると、思い込みのせいかその気になれます。プレトニョフの弾いたチャイコフスキーの18の小品は、これまでは何だかよくわかりませんでしたが、もしかしたらこんな聴き方をするのかなと思いました。YouTubeでラフマニノフの晩祷を聴いたりもしました。

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 上の写真の奥が宿舎のホテルで、他から遠征してきたアイスホッケーチームが泊まったりするようです。ホテルにはレストランもあるのですが誰もいません。フロントに声をかけると呼ばれたレストランの人がしばらくして出てきます。時間もかかるし言葉も通じないので、朝は部屋でパンと牛乳やジュース、あるいはインスタントラーメンということになります。写真にあるようにホテルの前が商店街で、夜十時まで店が開いています。黒パンを買ったのですが、チーズをのせたりしてなかなかおいしいです。下の写真がボロディンスキーという種類で、酸味と香りがあってずっしり重いです。日本円で一つ百円くらい。為替レートで考えると安いですが、比較すべきではないのかもしれません。

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 ついでに、またほとんどの人には興味のない蛇口の話です。下の写真はホテルの流しのものですが、ロシアでは右がお湯で左が水のようです。日本と反対です。ただ、洗面所は配管を間違ったのか、印と逆に左がお湯になっていました。

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2017年12月28日 (木)

演奏者の気概

 音楽の演奏者が何かを伝えようとする気概のことです。ベートーヴェンの第九の演奏に参加することができました。自分の演奏は失敗だらけで今回も落胆することになってしまいましたが、クラシックの音楽のなかで最もテンションの高い曲の一つです。指揮者の黒岩英臣先生の熱い心を噴出させる指揮ぶりに引っ張られて、その巨大さをあらためて感じさせられました。大きな力を求められる曲なのですが、どこに向かう力かというと、とにかく聴き手に伝えようとする強い気持ちです。あらめて考えてみると、この強い気持ちが演奏という行為にどうしても必要なものなのではという考えにいたりました。音が出れば何らかの表現をすることができますが、伝えようという意欲がなければ、聴き手に届くものは限られてしまいます。この強い気持ちは、大きな音とか、大きな身振りといった外から見えるものではなく、もう少し奥の方にある覚悟のようなものです。一生懸命とも違います。楽譜通りに間違いなく演奏することとはなおさら違います。こう書きながら、これを文章で説明する力は自分にはなく、ほとんどわかってもらえないことは自覚しています。また、ある人にとってはそんなことは当たり前で、あらためて書くほどのことではないのかもしれません。

 演奏は聴き手がいることを一応念頭に置いています。聴き手がいない状態でも、その気になって演奏することは可能ですが、想像にしろ聴き手は不可欠と言っていいと思います。聴き手が想定されていないように見える例もあるかもしれませんが、その場合でも何からの形で他者が意識されているように思えます。聴き手が想定されることで、実際に聴き手がいなくても伝えようという気持ちになれるものです。聴き手の反応が演奏を変えていくという話によく出会いますが、私はそれを実感したことがありません。私の演奏者として、また聴衆としての経験から、演奏者と聴衆の間の演奏中の交歓というのは錯覚、あるいは状況からの想像のように思えます。そして、演奏者の大きな喜びの一つは、伝えたいことを自分から放出する喜びなのかもしれません。音楽に限らずいろいろ表現は、自分の中に抱え込んでいる、あこがれ、葛藤、といったようなものに形を与えることで解き放つもののように考えています。それが相手に伝わろうが伝わらなかろうが、外に吐き出すことがある欲求の充足として感じられるのではないかと思っています。実際に聴衆がいれば、より直接的にそれを感じることができます。そして、聴き手はそれを追体験することで、同じような充足を感じることができるのです。アマチュアオーケストラに参加していますが、その仲間は一番身近な演奏者であり聴衆で、お互いに音楽で語りかけあえることが大きな魅力です。

 専門家はこれができる人が残っていくのだろうと思いますが、アマチュア演奏家にとって、この気概というか一種のテンションを自分の中に生むことは簡単なことではありません。まずある程度の音を出すことを何とかしなければなりません。それでも、上手、下手にかかわらず音楽を通して呼びかけることのできる人もいます。そういう人の演奏は、どこか心に響くものです。そうでない人も、うまくリードされればその感覚が身につくこともあると思います。ただ、これについての具体的な方法論はなさそうです。アマチュアの場合、こちらのほうがきちんとした演奏をするよりずっと大切なのかもしれません。私としては、第九の演奏でふと意識したこの感覚をもうしばらく心に留ていたいと思います。

 ブログの方に、「補償としての音楽」という題で人がどうして音楽に惹かれるのかということの一面を考察しています。よかったら見てください。




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2017年11月20日 (月)

最近のソウル・フィル

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 韓国に出張中は、何かいい演奏会はないかと探しては聴きにいっています。このブログでも報告しているように、ソウルアートセンターの大ホールでいろいろなオーケストラを聴いてきました。今年はソウル・フィルを聴く機会が二度あり、以前と随分違った印象を持ったので報告しておきたいと思います。かつてのかなり外向的な演奏が、反対に内省的なものに大きく変わりました。

 ソウル・フィルは10年前4年前にチョン・ミョンフンの指揮で聴く機会がありました。コントラバス12本の大編成で細かいところにはあまりこだわらず思いきり弾くような、熱い演奏をしていました。ソウルには一方にKBS交響楽団があってこちらは落ち着いた演奏をするので、どちらかというKBS交響楽団の方が好みでした。こちらも時々聴く機会がありますが、最近はちょっと元気がないように思います。

 ソウル・フィルは、一昨年にインバルの指揮でブラームスの一番を聴きましたが、予想に反して地味な演奏でした。集中力があって高揚するところでは熱がこもってきますが、弱音ではどこか醒めたようなところがありました。音が遠い二階席だったからかなと思いました。弦楽器の数も以前ほどは多くありません。いずれにしても、チョン・ミョンフンとの二番とはまったく違った印象でした。

 今年からマルクス・シュテンツが常任指揮者になり、6月にブルックナーの7番を振るのを聴きました。アジアのオーケストラではヨーロッパのオーケストラとは違ったブルックナーになることが多いのですが、この時も第二楽章にアジアの神が出てくるのではと思っていました。第一楽章は何も起こらないまま通り過ぎましたが、第二楽章はその通りになりました。全曲にわたって、どちらかというとさっそうとした演奏でしたが、細かいところまで神経がゆきとどいていて、このオーケストラの技術の高さを感じました。

 今回はヴァイオリニストとして有名なトーマス・ツェートマイヤーの指揮で、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲、シェーンベルクの浄夜、メンデルスゾーンの三番です。最前列のコントラバスの真横の席です。間近で聴くと、弱音でのこのオーケストラの表情がよくわかります。小さい音になると、倍音が減るというか、音が痩せていると言ってもいいくらいです。音はぴったり合っているし楽器もちゃんと鳴っていて緊張感も十分なのに、不思議です。このホールは温かい響きで、どちらかというと個性がやや強いほうです。それが、弱音では音の角を落とす方に働いているのかもしれません。コントラバス8本と、以前よりは小振りなのも関係していと思います。ただ元気がないだけのように聴こえかねないこの弱音の緊張感を聴き取れると、ソウル・フィルの音楽がわかるような気がしました。

 浄夜は私にはどう聴いたらいいのかわからないところがあり、生で聴くとまた違うのではと期待していました。納得できたというほどではありませんが、半分は期待通りでした。ツェートマイヤーは以前にも登場してブルックナーなどを振っていたようですが、集中力のある演奏に感心しました。メンデルスゾーンの最後のとって付けたようなところも、うまく盛り上げて違和感がありませんでした。4年前の演奏会レポートで触れた女流フルート奏者は健在です。彼女の演奏もすっかり変ってやや地味なくらいですが、ぴったりとはまって以前よりも見事です。

 このホールでの最近の韓国のオーケストラは、後ろの合唱団席に客を入れないようになっているようです。聴衆が減っているのでしょうか。以前は、演奏の出来に関係なく曲が終わると同時に奇声をあげて喝采していた若い聴衆もみかけなくなり、拍手も普通になりました。


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2017年9月30日 (土)

桜井フルートの試奏

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 横浜の島村楽器で桜井フルートが試奏できるというので、近くで用事があった時に行ってみました。桜井フルートは銀座の山野で中古の木製を試したことがあります。その時は鳴らない楽器だと思ったのですが、そんな印象を吹き飛ばす素晴らしいフルートでした。

 まず最初に見た時に、歌口の穴が小さいのでどうかなと思ったのですが、吹き始めたらやや控えめながら普通に音量が出るので驚きました。音色もこれもやや控えめでしっとりした美しいもので、フルートらしい華やかさもあります。何より音色をいろいろ変えながら歌える楽器です。反応も悪くありません。吹いていて幸せになれる楽器です。キングウッドで、頭部管と本体は違う材質という説明だったのですが、うわの空で聞いていたのでよくわかりません。低音をぶーぶーならす楽器ではないし、目立つことを優先する人には向かないのも確かです。どういうわけか頭部管をほどんど一杯入れて442でした。唇の形のせいか私はかなり抜く方なので、普通の人が吹いたらどうなのか気になりました。

 店にあったフィリップ・ハンミッヒもついでに吹かせてもらいました。悪くはないのですが、比べてしまうと音色が平板で一本調子です。店の人も桜井とハンミッヒでこんなに音色が違うのかと驚いていました。ハンミッヒの方は値段も桜井の三分の二で、キーは銀メッキ、全体に値段通りという印象です。658/2というモデルでした。桜井はリングでH足、ハンミッヒはカバーでC足でした。

 三響の銀管からほとんど全てが正反対というドイツ製の木管に替えて、あまりの違いに他の楽器はどうなんだろうと思って、機会があると吹かせてもらっています。三響はリングで、キーの開きも小さく、スプリングも軽目。木製の方はカバーで、キーは開きも大きく重いです。三響の時の指の感覚でいると、時々塞ぎそこなってしまいます。音色も、明るめの細身と暗めの極太の両極端です。今回の桜井はこの二つを足して二で割ったような両方のいいとこ取りで、ただ音量がやや控え目というのが大筋の感想です。この前試奏したベルンハルト・ハンミッヒに似ていて、そこから音色がちょっとモダンになったという感じで、値段はベルンハルト・ハンミッヒの半分なことを除いても、これはありだなと思う楽器でした。


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2017年9月15日 (金)

オーケストラのなかの木製フルート

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 オーケストラがテュッティで鳴り響く時に、高い音域で虹のように縁取りするのがフルートの魅力の一つだと思っています。木管楽器のなかでフルートは特に違った音色なので、オーケストラの響きの幅をひろげるのにも役立っています。木製フルートを使い出して、こういった特徴が金や銀の楽器のようには出せないことがわかってきました。木製といってもメーカーによって違い、高音では金属に近い輝かしさを持たせたものが主流のようですが、それでも同じにはなりません。フルートの音色はオーケストラの響きに結構影響すると思うので、プロのオーケストラでは木製がどう受け入れらているのか気になります。30年前に聴いたコンセルトヘボウは木管でしたが、これは独特でした。最近は木製フルートを使っているオーケストラも増えてきましたが、まだ会場で聴く機会がありません。N響や東響の演奏会で神田さんや高野さんが吹いているのにそのうち出くわすかもしれません。ジャック・ズーンが吹いていた時のベルリン・フィルの響きは、CDで聴いただけですが、それまでのものとかなり違っています。YouTubeでブラウがベルリン・フィルで木管を吹いているのを見た時には驚きました。ラトルの指揮でしたが、同じような演奏のCDがあれば聴いてみたいです。

 一時はフルートの演奏と言えば、ひたすら輝かしい音色で突き進むことが第一のようなところがあり、よく回る指で淀みなく進んでいきますが、何だかスポーツみたいで飽きてしまいます。オーケストラでは先に書いたようなフルートの役割を果たせればいいというところもありますが、世界中のオーケストラの響きがどんどん明るくなっていき、それに輪をかけてフルートの音色が派手になり、音楽の内容と関係なく目立つので、場違いに思えることも一度ではありませんでした。これまでの反動か、最近はちょっと控え目で柔らかい音色が増えてきたように思いますし、歌い方も柔軟になってきています。私は柔らかく落ち着いた響きで、細かい音色の変化で歌うような演奏が好きです。40年近く使ってきた三響は、澄んだ音で鮮やかさもありますが、やや細く硬い音色です。木製フルートに替えたのは、こういった好みもありました。

 古いメーニッヒの木管を試奏したことがあります。しみじみとした美しい音色でしたが、音量はあまりなく、音程もやや低かったのでオーケストラではむずかしいと思いました。最近ベルンハルト・ハンミッヒの木製フルートを吹く機会がありましたが、これは惚れ惚れするような優美な音色でした。細かい歌い回しも思うようにできます。中古として店頭に出ているもので、使われずに置かれているせいか音量が今ひとつでした。日常的に使っていると鳴りが良くなってくると思いますが、それでも最近の強力な金属製フルートのようにはならないでしょう。この優美な音色は、アマチュアオーケストラのなかではかき消されてしまうだろうと思いました。音の動きの激しい現代曲にも向きません。同じ店にヤマハの木管の中古があったのですが、こちらはすべての音域でバランス良く鳴るし反応もいいのですが、比べてしまうと単純な音色のうえに変化の幅があまりありません。どんな曲でもそれなりに、という感じです。

 自分のクリスチャン・イェーガーも比べて吹いてみたのですが、あらためてこの楽器の特徴を認識しました。一言で言うと、尺八風のちょっと枯れた太い音で、音量も結構あります。優美さとは対極のようなフルートで、さすがにプーランクなどには向きません。この太い音がいいなと思ったのですが、近代のフルートらしさを出すにはやや強めの息で、くっきりと細く吹く必要があると思いました。オーケストラで演奏する時に、特に高い音をどうイメージしたらいいのか、しばらく試してみたいと思います。上の写真にあるように、歌口は木製としては普通で、金属のものよりは小さめです。ちょっと変った歌口の削りを撮ったものも載せておきます。たぶんオリジナルのままだと思いますが、わかりません。中で一旦狭くなって、また拡がっています。歌口の先の息の当たる外面を落としてあるのがわかります。唇が乗る手前側もちょっとへこませてあります。

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2017年9月 3日 (日)

クリスタルチップス

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 DP-X1Aに使っている10proのイヤーピースをクリスタルラインオーディオのものに替えてみました。同じウレタンフォームのコンプライがだめだったのでどうかと思ったのですが、こちらはとてもいい感じです。先に書いたように、DP-X1Aはやや音色が硬く、音の立ち上がりがややがさついていたのですが、だいぶ改善されました。音色の細かいグラデーションが聴き取れるようになったので、奥行きも出てきました。遮音性も宣伝しているだけのことはあります。

 これに合わせてイコライザーを再調整しました。大きくは変わりませんでしたが、やっぱりあちこち違っています。今回も500Hzあたりに山がありますが、これが特にヴァイオリンの音色に影響するポイントの一つで、ちょっとした違いで胴が鳴る響きが出るようになります。ピアノの側板に響きが伝わる感じも聞こえるようになりました。もう一つが8kHzあたりで、ヴァイオリン独特のぴんと張りつめた高い倍音がきれいに抜けてくるかどうかです。パイプオルガンの低音がふやけ気味だったので32KHzを絞ってみましたが、ほとんど可聴範囲外のところだし、変わりませんでした。

 通勤で二週間ほど使っていたら、片方が割れてしまいました。6個入りなので代わりと交換し、その後は問題ありません。


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2017年8月14日 (月)

ジャコメッティ展

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 音楽会ほどではないにしても時々美術館にも行くのですが、このブログで国内の美術館の話題は初めてです。国立新美術館に行ったのも初めてでした。どちらかというとビュッフェの絵のように軽めな作風だと思っていましたが、じっくり見ることで印象が変わりました。それが不可能であっても人間を見えた通りに表現したいと語っていたとありました。人間の表面にはりついている皮相的なものに邪魔されないようにすると、このような姿が見えてくるのでしょう。そうはいっても個人が持っているいろいろな感情まで取り除かれているわけではなく、一つ一つの像は意識も意思も感じさせます。穏やかでどこかなつかしいところがあって、フランス風に洗練されていて、それが表現の痛切さをあまり意識させないのかもしれません。ジャコメッティの立像はあちこちにありますが、こんなことを感じたのは初めてです。広い空間のなかで静かに眺めないとわかりずらいのかなと思いました。観かたがちょっとむずかしい作品かもしれません。

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2017年8月11日 (金)

DP-X1A

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 AK100を使い始めて四年になりますが、もう少しいい音で聴きたいと思い始めていました。これといって不具合もないし安いものではないので迷ったのですが、DP-X1Aにのりかえることにしました。バランス接続ができるのできるのですが、対応したイヤホンとケーブルを買わなくてはなりません。まずバランス接続の前にいくつかのイヤホンを使ってみましたが、10pro(Triple fi 10)の音色が一番でした。10pro用のLunaケーブルが二組あったので、節約ため一組のケーブルのプラグをバランス接続用のものに替えてもらいました。買ったばかりの時は大したことない音にがっかりしましたが、一ヶ月通勤の往復で使ったら音がかなり良くなり、いよいよ本領発揮です。

 値段はAK100とほとんど同じですが、この四年でポータブルプレーヤーもかなり進歩していることを実感しました。AK100は直差しだとどうも非力だったのですが、DP-X1Aは電源部がしっかりしているためか、余裕のある鳴りっぷりです。据え置きのシステムと比べると音色の純度や深みがいまひとつで、音の立ち上がりもわずかにがさがさしていますが、かなり健闘しています。さらに値段の高い機器だとこの差が縮まるのでしょうが、私の場合に主に移動中の使用なので、そこまですることもない気がしています。いつものようにクラシック音楽に特化した感想を報告します。

 低音が出るか出ないかが大抵のレビューの話題の中心ですが、クラシック音楽を聴くためならポータブルプレーヤーや特にイヤホンの多くは低音過多のものが多いです。AK100も低音を出やすくしたmk2が出ました。家で使っているゼンハイザーのHD800も、低音を増強したHD800Sが出ました。クラシック以外の音楽を聴く人が圧倒的に多く、それには低音が求められるということなのでしょう。フラットな特性のものは限られています。10proも既報のように低音が膨らんでしまって、イコライザーでの調整が必要です。少しずつイコライザーをいじって、今のところ下の写真にようになっています。デジタルフィルターをSHORTにすると、わずかですが解像度が良くなりました。音の立ち上がりのがさがさはデジタルフィルターの設定では変わりませんでした。音色はやや硬めで、これもどんな設定でも変わりません。アップサンプリングも試してみましたが、使わない方が良さそうです。

 写真にあるようにシリコンのイヤーチップです。コンプライのウレタンフォームのものは音がこもったようになってしまって、まったくだめでした。ER-4Sはフラットでイコライザーを使わずにすむし、悪くないのですが、音色では10proが一枚上手です。AK100だとflacではwavより音の鮮度が落ちたのですが、DP-X1Aではその差はほとんど気になりません。CPUの余裕の違いなのでしょうか。高級なシステムだとソースの差がはっきり出るのも事実ですが、反対にソースに少し差があっても気にならないくらいいい音で再生できるということも他で経験しています。

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2017年8月 3日 (木)

チューリッヒ・ジングアカデミー演奏会

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 海外の音楽会のことばかり書くのもどうかと思っていましたが、今回は自分の記録のためにも書いておこうと思いました。急に台北に行くことになったのですが、飛行機が一杯で夕方着の便しか予約できません。夜の時間ができたのでインターネットで音楽会を探したらこの合唱団のものが出てきました。台北國際合唱音樂節(TICF17)というフェスティバルのなかのコンサートです。さっそくインターネットでチケットを買おうとしたのですが、中国語で要領を得ません。中国人の社員に手伝ってもらって、前から六列目の真ん中が一席だけ残っていたのを無事購入しました。上から二番目の値段で、日本円で約六千円です。このホールは、ホームページの方に書いたように、二十年くらい前に今の国立交響楽団を聴いて以来です。柿落しにはカラヤン指揮のベルリン・フィルが来ることになっていたのですが、その時のスキャンダルがカラヤン辞任の引き金になったホールです。いいホールですが、それにしても音楽ホールとしては外観が独特です。

 学生時代に合唱をしていたのですが、そのわりにはプロの合唱団はあまり聴いておらず、合唱付の曲でオーケストラと一緒に耳にするくらいでした。中古CD店でベルリンのRIAS室内合唱団によるブラームスを見かけて買ったことがあるのですが、それを聴いてここまで精緻な合唱ができるのかと驚きました。今回のチューリッヒの合唱団は、このCDの再現を生で聴かせてくれました。全曲アカペラで、中規模の組曲を中心にした聴き応えのあるものでした。指揮者の姿勢がしっかりしていて、運動選手のように鍛えられていることを感じさせました。腰の据わった安定した指揮振りが印象的でした。

 男女16人ずつの合計32名ですが、各声部が透き通った一本の線になって聴こえてきます。ソプラノの高い音が、ピアニッシモでもタイミングも音程も音色もぴったり一緒なるのは一体どうやったらここまでできるのか不思議です。ブラームス以外では単純な三和音は要所にしか出てこなくて、ほとんどがどこかで音がぶつかっているのですが、複雑な和音でも声部間のバランスもここまでできるのかと感心しました。声部の線が太くなってしまような大きな声までは出さず、抑制された緊張感からはみ出すことがありません。細かいところまで聴こえるステージに近い席だったこともあり、今までにない不思議な雰囲気に包まれました。

 高校までは楽器だったのですが、合唱をやってみたいと思い、大学は男声合唱団に入りました。入ってすぐに市民合唱祭というものに参加したのですが、そこで歌っているどんな団体でも、子供の合唱でさえ、それまで体験したことのない親しげな音楽に感じられました。今回もそんなことを思い出しながら、器楽と違って合唱はどこかもう少し遠くから響いてくるもので、聴き手の気持ちをつかまえる特別な力があると思いました。高いところにある窓から柔らかな光がさしこんでくるような印象です。アカペラの合唱では、最後の和音が静かにホールに溶け込んでいく独特の響きがあるのですが、それも久しぶりでした。器楽的な四声のフーガが結構長く続く曲があったのですが、そこだけはこの合唱団をもってしてもちょっとむずかしいかなと感じました。

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【TICF17台北國際合唱音樂節】
2017年8月1日
台北市國家音樂廳
合唱:Zürcher Sing-Akademie, Switzerland
指揮:Florian Helgath

J. S. Bach/ Knut Nystedt: Immortal Bach
Frank Martin: Messe pour double chœur (Mass for Double Choir)

Carl Rütti (*1949): The Moon
Joh. Brahms: Drei Gesänge op. 42 (Partsongs for six-voice mixed chorus)
Cyrill Schürch: From „Les quatrains valaisans after poems by Rainer Maria Rilke:
II. Après une journée
III. Vois-tu là-haut
IV. Quel calme nocturne

Ivo Antognini (*1963): Remember


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2017年6月10日 (土)

写真日記:パンテオンとアッシジ(1)

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 イタリア出張での話題をもう一つ。最終日は昼休みで仕事が終わり、夕方の飛行機の時間までを相変わらずの駆け足で、パンテオンまで行ってきました。ローマ時代の状態が最もよく残っていて、建物としても一見の価値があるということなので、見てみることにしました。近くに地下鉄や路面電車がないため、強い日差しのなかを地下鉄の駅から歩きです。トレヴィの泉が近くにあり、ずいぶん前に行ったことがあるのですが、その時にどうやって行ったのかおぼえていません。細い路地を抜けて、想像していたよりも重苦しい外観にでくわしました。

 中に入ってみると、茶色の暗い色調がローマの遺跡のイメージと大分違います。大理石の柱がイタリアの日差しのなかにくっきりと浮き上がる、あのイメージではありません。そういえば、中学校の美術か世界史の教科書に出ていた、ギリシャかローマの黒や茶色の壺の色です。それに取り囲まれると、それまでのイタリアのイメージとは違った暗く重苦しい気分になります。遺跡はたいてい石肌がむき出しになっていて、人の気配が長い年月にそぎ落とされているものです。その浮世離れした開放感の心地良さを期待していたのですが、あてが外れました。ギリシャやローマの建物や彫刻にかなり派手な彩色が施されていたそうで、それを知ってイメージの違いにショックを受ける人も多いようです。遅ればせながらその一旦を体験しました。

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 それでもイタリアと言えば、明るい日差しに浮き上がる直線的な人工物です。大理石の白さだけではなく、レンガや褐色の壁が、緑や窓を飾る赤い花に映えています。私にとってはキリコの絵です。直線と言っても、ドイツなどの威圧的なものではありません。太陽の光と影があってはじめていきいきしてきます。それはまるでモーツァルトの光と影のように多義的であり豊穣です。私がイタリアに感じているこの明るく単純な豊かさと、古代ローマの色彩がどうつながっているのかは、まだわかりません。それにしても写真に写っているように、ローマでは観光客の表情が本当に楽しそうです。

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2017年6月 8日 (木)

写真日記:パンテオンとアッシジ(2)

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 もう四十年近く前ですが、ミラノからローマに列車で移動しました。窓から丘の上に石造りの塔や町並みがあちこちに見えて、行ってみたいと思ったものです。今回は時間を取れそうだったので、そのような街の代表とも言えるアッシジにも行ってきました。仕事で行っているのにこんなにあちこち観光していていいのかと思われてもしかたがありませんが、今回は珍しく週末がはさまったためで、言い訳がましいですが、ちゃんと仕事もしています。

 あらかじめGoogleのストリートビューなどでフランシスコ聖堂をいい角度で撮れる場所の見当をつけておきました。駅から二十分ほど、麦畑のなかの誰もいない道をのんびり歩いていきました。何箇所かで撮ったのですが、写真にあるようにかなり近づいたところに花が咲いていました。午後から雨の予報だったので午前中にしたのですが、そのためにやや逆光です。予報通り昼過ぎから雨になったので、予報に従って正解でした。イタリアらしい風景をがらんとした静けさのなかで満喫できました。

 下の写真は、聖堂のトイレから撮ったもので、真下の赤い花の畑が聖堂の写真を撮ったところです。いいカメラアングルを探している方の参考に載せておきます。バス通りはこの写真には写らないくらい左で、そこからかなり入ったところです。写真の左端の木が一本立っているところが駐車場のような小さな広場になっていて、ここからだと一番下の写真のように全体が見渡せます。

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 バス通りに出たらちょうどバスが来たので、聖堂まで乗りました。聖堂を出て街のなかを歩いてたらけっこう時間が経ってしまっていて、昼食はあきらめて帰ることにしたのですが、あちこち探しても駅までのバスの乗り場がわかりません。しかたがないのでタクシーに乗り、雨が降り始めた駅前のマクドナルドで腹ごしらえをしながら列車を待ちました。列車から見える薄暗い雨の風景はイタリアの明るさが消えていて、どこにでもあるただの田舎になってしまうような気がしました。イタリアの魅力は太陽の光に負うところが大きいのかなとあらためて思いましたが、通りすがりの感想でしかないので、他の考えもあるのかもしれません。

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2017年5月20日 (土)

イタリア放送交響楽団

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 出張の合間の移動が週末に重なって、ローマで自由時間ができました。さっそくインターネットで調べたら、トリノが本拠のイタリア放送交響楽団が一日だけの公演のためにローマに来るとありました。他にめぼしいものがないので、チケットを予約しました。値段は日本円で2千円から6千円くらいで、中間の34ユーロの席にしました。ミッシャ・マイスキーの独奏でドボルザークのチェロ協奏曲と、同じくドボルザークの交響曲第八番で、よくある組み合わせです。指揮は主席指揮者のジェームス・コンロン。前日までの二日間を同じプログラムでトリノで公演しているので、午前中にローマに移動してきたのでしょう。ロビーのテレビに舞台が映っていましたが、直前まで協奏曲のリハーサルをしているようでした。

 場所は、2002年にできた新しいAuditorium Parco della Musicaで、そのなかのメインホールであるサンタ・チェチーリアホールです。名前の通りサンタ・チェチーリア管の本拠地で、毎週コンサートがあるようですが、今回は残念ながら日程が合いませんでした。サンタ・チェチーリア音楽院もこの施設のなかにあるようですが、よくわかりません。

 南の郊外のホテルから北のはずれのホールまで、地下鉄と路面電車と乗り継いでローマを縦断してたどり着きました。この施設は建築家のレンゾ・ピアノの設計だそうで、古代ローマの野外劇場のような広場を三つのホールが取り囲むようにできています。甲虫のような概観が独特で、大ホールを横から見ると本当に怪獣映画に出てくる巨大なさなぎみたいです。あるいは古代の戦士の甲冑のイメージなのでしょうか。観光客が来るようなところではなく、近くに住んでいる人達なのでしょう、木陰で本を読んだり、子供達が走り回ったりしていました。早目に着いてしまったので、石段に座ってイタリアの濃い緑やくっきりとした太陽の光を眺めていました。日本のどこかでのんびりしているようなくつろいだ気分になりました。街や木々の雰囲気など日本に似ているところが多いような気もします。

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 ホールの座席配置はサントリーホールとそっくりですが、座席数が2756席で、2006席のサントリーホールよりも結構大きいです。舞台も広く、オーケストラのまわりがかなり空いていました。舞台から遠い席は苦手ですが、ホールが大きいようなのでなおさらなので、サントリーホールのRA席に相当する上手の壁側を予約してありました。ところがホールに入ると、今日は真ん中以外は閉鎖なので、真ん中の好きなところに座ってと言われました。予約した時に空席が多かったので入りは悪そうだと思いましたが、一箇所に集める理由が何なのかはわかりません。しかたがないので、最前列に座りました。二階最前列は42ユーロだったと思うので、私が予約した席よりも値段は高いのですが、釈然としません。私が座った席を予約した人もいるはずで、遅れて来て安い席にしか座れなかったら文句を言いそうですが、そういうこともなさそうです。みんな静かに席についていきました。不思議ですが、慣れているでしょうか。上から眺めていると、一階は予約どおりに席についているように見えました。カメラが何台も入っていたので、なんだか公開録音といった風情です。

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 イタリア放送交響楽団は改組された直後に津田沼の習志野文化ホールで聴いたことがあります。その時は印象に残るようなオーケストラではありませんでした。後述するように、今回もそこから大きく変わってはいないようです。それ以上に、珍しいことがいろいろある演奏会でした。

 二階中央の最前列はたしかに値段はちょっと高い席かもしれませんが、やっぱり音が遠いです。小さい音は案外しっかり聞えるのですが、オーケストラの響きに包まれる気分は味わえません。大きな音量でもホールに響き渡らない、体育館的な音響です。オーケストラの合奏の精度も今ひとつなので、どうしても音楽に浸るところまでいきません。一曲目の協奏曲でのマイスキーはさすがに見事でしたが、私の席ではオーケストラがかぶさってよく聴こえません。この距離ではチェロ一本では無理があると思いました。ところが、アンコールでバッハの無伴奏を弾いた時には、小さな音でもホールの隅々にまで届いて、聴き応えがありました。

 休憩中にあちこち歩いていると、閉鎖しているはずの両側の席にもちらほらと人が座っています。それなら私もと思って、もともと予約していた舞台に近い脇の席に行きました。係員も見ていましたが、特に何も言われませんでした。これもよくわかりません。

 舞台に近いこの席で聞くとやはり臨場感が違います。残響が少な目なのは変わらず、かえってがさがさして耳障りなところもありました。ところが交響曲の第一楽章の後半から、突然オーボエの音が伸びるようになりました。それに合わせて、ばらばらだったフルートとオーボエが一つにまとまって聴こえてきます。弦楽器も何だか細かいニュアンスが付いてきました。自分の耳の具合なのか、何らかのホールの条件なのか、何が変ったのかわかりません。ただ、やはりオーケストラが調子が出てきたということなのだろうと思います。そうなるとホールの響きが痩せているのもそれほど気にならなくなり、かえって細かいところまで聴こえてそれなりに悪くありません。ヴィオラの響きが、よくある鼻にかかったような音色ではなく、ヴァイオリンを太く柔らかくしたような音色です。そしてチェロを圧倒するような音量があります。このヴィオラがかなり演奏に効いています。

 弦楽器全体の音色が、私には緑がかって感じられたのですが、明るく透き通ったものに変わり、一緒にメロディーを呼吸する様子は見事です。この交響曲でメロディーがこれほど美しく弾かれるのは聴いたことがありません。ボヘミアなどは全く感じさせず、ただ音楽として美しいといった風情です。それでも音が込み入ったところになるとやはりぱっとしません。全曲の半分以上はなかなか聴かせる演奏でした。前半の協奏曲ではこれが三分の一くらいだったでしょうか。交響曲の後のアンコールはありませんでした。

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 舞台の上のテレビカメラのカメラマンが、メモの紙がうまくめくれずにがさがさと結構大きな音をたてたり、マイスキーが静かな旋律を弾いている時に子供の話し声がしたりと、他ではあまりないようなことが起こります。フルートが時々音がひっくり返っていましたが、他のプロのオーケストラでは記憶にありません。

 日曜なので、夕方6時開演で、終わって外に出るとまだ黄昏時でした。あの独特の形に刈り込まれた松の下を、路面電車の停車場まで歩きました。

 
Orchestra Sinfonica Nazionale della Rai
Auditorium Parco della Musica, Sala Santa Cecilia
Sunday, May 14, 6 pm

James Conlon direttore
Mischa Maisky violoncello

Antonin Dvorak: Concerto in si minore op. 104 per violoncello e orchestra
Antonin Dvorak: Sinfonia n. 8 in sol maggiore op. 88

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2017年3月26日 (日)

カラヤンのモーツァルト39番

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 モーツアルトを聴くと特別な気分になることがあります。言葉では表現しにくいのですが、自然がひろがる若葉色の風景のようなものが、ぼんやりと見えてきます。自分がそこにいるのではなく、どこか遠くにあるそういうところにつながっていくようなふわっとした、透明な感覚です。長調の明るい響きで穏やかな表情の時に感じます。短調の厳しい響きや力のこもったアクセントと対比されると、そこにモーツァルトらしい奥行きが生まれます。演奏が多少でもがたがたしていたり余計な表情がついていると、この世界は見えてきません。

 最近のモーツァルト演奏と言えば古楽器が中心です。古楽器の響きはモーツァルトにとてもしっくり来ます。私は現代のピアノで弾かれるモーツァルトには、バッハほどではありませんが、なかなか馴染めません。音色が音楽を越えて前面に出てくるように思えてしまうのです。

 カラヤンのモーツァルトはそれ以上に現代的です。大オーケストラが鳴り渡るもので、モーツァルトの音楽をここまで拡大してしまうと、なかなか受け入れられないと思います。写真にあるレコードは中古のドイツ盤ですが、EMIのものはインターネットで買った時に、おまけでタダでついてきたものだったと思います。グラモフォンのものも、御茶ノ水のディスクユニオンで、ラーメン一杯より安い値段でした。それだけ人気がないのでしょう。

 ただ、カラヤンの優美さと、最初に書いたようなモーツァルトの美しさは大いに通じるところがあります。それがそこにあることがいったんわかれば、大音響のところでもモーツァルトを感じ続けることができるのは不思議です。カラヤンの演奏では、音量が大きくても細かいところまでしっかり組み立てられているので、音楽の像がくっきりしているからだろうと思っています。

 39番は規模の大きい最後の三曲の交響曲のなかでは一番抒情的で、こういったカラヤンのスタイルとも合っているように思います。序奏から他の演奏にはない雄大なものですが、和音がびしっと決まっていて、聴き手によけいなことを考える隙を与えません。主部に入ると、カラヤンらしい音楽が流れ始めます。

 手元には写真に撮った三種類の録音があります。最初はおまけでもらった1970年録音のEMI盤です。後年にはない若々しさがあり、それがモーツァルトらしさにつながっています。次がたった五年後の1975年のグラモフォン盤で、お茶に水で買ったものです。やや重く引き締まった演奏で、録音の鮮度が高いので思わず聴きこんでしまいます。CDは最晩年の1987年に録音されたもので、この年代のカラヤンに独特のどこかひなびたところがあります。多くの人の考えている平均的なモーツァルト像とはやや違うものです。前の録音のような瑞々しさはありませんが、よく聴くと、そこに深い静けさがあることがわかります。

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2017年3月18日 (土)

クリスチャン・イェーガーの木製フルート

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 ドイツのクリスチャン・イェーガーが作った木製フルートを手に入れました。20年ほど前の楽器です。試奏したらとても良い感触だったので何も考えずに購入することにしたのですが、聞いたことがない名前だったので後からインターネットで調べてみました。

 Max Hieber/Christian Jäger/Münchenとの銘が入っています。音楽家でもあったMax Hieberが100年以上前にミュンヘンに楽器・楽譜店を開いたそうです。そこは楽器製作もしていて、最近ではイェーガーが中心となって開発したバスフルートやソプラノフルートが有名だったようです。彼は2000年頃に引退し、今は弟子達がドイツやオーストリアで後を継いでいるようです。

 このフルートは山野楽器のルートで輸入、販売したようですが、あまり本数が出ていないのか、インターネットにも日本語の情報はほとんどありません。なにがしかの補足になるかもしれないので、楽器について報告します。

 木製らしい音色は申し分ありません。小さい音量でも太くて柔らかい音色が出るところは金属製との大きな違いです。比較的最近の楽器なので、歌口の穴が大きく、さらにアンダーカットも大きめです。吹き込むといくらでも大きな音が出るようなところもあります。音程や音色を変えられる幅が広く、声で歌うように表情がつけられるところがこの楽器の一番の魅力です。ただ、何もしなくても半自動でそれなりの音程と音色になる最近の楽器に比べると、ちゃんとねらって音を出さなければなりません。吹き込み方をいろいろ変えて、音量、音色、音程、立ち上がりなどが一番いい組み合わせを探っているところですが、まだイメージが固まりません。

 接続部や端部の金具が幅のあるシンプルなもので、ドイツのモダンな楽器らしいきりっとした表情も気に入っています。キーの形も含め、他のフルートにはあまり見られない男性的な美しさがあります。一ヶ月かけていろいろ整備をして、いよいよこれから本格稼働です。

 写真に写っている右手用のサポートは、アメリカ在住の田辺祐一さんが作っているCobra-RTというものです。楽器が太くて重いのでなかなかうまく持てず、インターネットで補助具を探していて見つけました。問い合わせたら、アルトフルート用のものもあって、木製フルートの太さに合うでしょうとことでした。試してみたらぴったりで、とても助かっています。

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 下記のリンク先へ録音したものをアップしてあります。WAVファイルなので、ダウンロードして聴いてください。

 https://drive.google.com/file/d/0BwvHE5C6-ivXX2Y5emxSdTd3OUE/view?usp=sharing


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2016年12月21日 (水)

山本音響工芸

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 山本音響工芸のヘッドシェルとリード線を買ってきて、いろいろなカートリッジや、シェル、リード線と組み合わせみました。私のオーディオセットは、ヘッドフォンとヘッドフォンアンプ以外はオーディオの世界で考えるとエントリーレベルですが、それなりにいい音でレコードを聴けないかと思って試してみました。

 今回一番驚いたのがリード線のYR-02です。細かい音まで前に出てきて、音色の再現度も高く、リード線だけでここまで音が変わるのかを思ったほど強力でした。ただ、音がきつくて耳が痛くなるようなところもあり、やや行き過ぎの感があります。時間がたてば少しは落ち着いてくるのでしょうか。

 YR-02と組み合わせて一番結果がよかったカートリッジはピッカリングのXUV/4500-Qです。CDが出てきてレコード関連の品物が叩き売られた30年前に買ったものです。あらてめて調べたら定価は5万3千円だったようですが、買った値段は2万円以下だったと思います。最近取り出しきて聴いているのですが、細かい残響まで再現する精緻な音です。音の傾向も落ち着いていて、安心して聴けます。私の持っているカートリッジのなかでは一番グレードの高いもので、値段なりの性能の高さがあります。音色の彩度が今ひとつのほかは、よけいな自己主張をしない、とても完成度の高いカートリッジです。ある意味、YR-02と正反対の性格です。

 この二つを黒檀製のヘッドシェルHS-1Aに取り付けでみました。全体としてはシェルの性格が影響しているようで、どちらかというと落ち着いた音になりました。これまでヘッドフォンから最終的に出てくる音がやや高音寄りでうす味だなと思っていましたが、このヘッドシェルのおかげでファゴットやチェロが実体感を持つようになりました。高音の伸びもそれほど犠牲にならずにすんでいます。レコードではなかなか聴くことができないウィーン・フィルのヴァイオリンのちょっと暗めのつやも出るようになりましたが、これはリード線が一番関係していそうです。ただ、性格の違うものを強引に組み合わせているような違和感を感じることがあります。音色のバランスが良くないとも言えるのですが、慣れていないのでどう聴いていいか戸惑っているのも事実です。ピアノだと、真ん中のドのちょっと下あたりで、本当にこんな音でいいのだろうかと思ったりすることもあります。しばらく使ってみたいと思います。

 それぞれせいぜい数千円のヘッドシェルとリード線でこれだけ音が変わるとなると、トーンアームのなかのケーブルなどもっと長いわけで、やりだすときりがありません。今のレコードプレーヤーは30年前に現品値引きで買った普及品で、トーンアームやケーブルの交換は私にはできません。しばらくはこの程度ですませて、いつかこのプレーヤーが動かなくなったら、次のことを考えようかなと思っています。


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2016年12月17日 (土)

バックハウスのブラームスリサイタル

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 インターネットでバックハウスのブラームスのレコードを手にいれました。1956年の録音で、何と私が生まれてすぐです。

 バックハウスのベートーヴェンが好きなので、インターネットでステレオLPの初期盤を少しずつ買い集め、ソナタ全集の前半の録音を揃えました。ブラームスだとどんな演奏をするのか興味があったのですが、ネットオークションで見てみたらオリジナルのDECCAレーベルのものが数万円で出品されています。めったに見かけない珍しいレコードではあるのですが、コレクターではない私にはいくらなんでも高すぎます。eBAYで調べたら運良く四千円台で出ていたので、ちょっと高いと思いながら、勢いで購入手続きをしました。

 DECCAがアメリカ向け作ったLONDONレーベルのもので、レコードとしては数万円のDECCA盤と同じです。韓国からの出品で送料が400円と格安でした。届いてみたら、マトリックスが"ZAL-3442-1E 1 C"、"ZAL-3443-1E 1 U"。ブルーバックの初出盤です。下に写真を載せましたが、ワイドバンドの外溝です。これが話に聞く外溝かと思いました。盤の状態もかなり良好です。

 私が生まれた頃の録音ですが、初期盤ならではの鮮度のいい音がします。くっきり鮮やかな音の出るカートリッジで聴くと、プチプチ音があるものの、とても60年前のレコードとは思えません。DECCAの名録音で有名なジュネーブのヴィクトリアホールでのものですが、精緻さと豊かな響きを兼ね備えていて、ベーゼンドルファーの鳴り方が手に取るようにわかります。生にかなり近い臨場感もあります。引き続いて録音されたベートーヴェンのソナタとほとんど同じ音で、ステレオ最初期にここまでのレベルの録音が確立されていたことは驚きです。

 なお、ステレオでのベートーヴェンのピアノソナタ全集の最初の二曲である「悲愴」と「月光」だけは、ウィーンのゾフィエンザールで協奏曲第三番と一緒に録音されています。ジュネーブに比べるとややレンジが狭く、悪くはないのですが時代を感じさせます。協奏曲でのウィーン・フィルの複雑の音色の再現はこの頃はまだもう一歩の段階で、1970年頃まで待たなければなりません。

 肝心の演奏ですが、ブラームスにしては健康な音楽です。ブラームスが秘めている屈折し、そして赤裸々な感情はありません。普通なら歌いこんでルバートするところも、あっさり先に進んでいったりします。とても格調高い演奏なので、私にとっては珍しいことですが、ブラームスを聴いてすがすがしい気分になる演奏です。それでも、作品79-1のラプソディーのような規模の大きい曲では、唯一無二感がありました。さすがです。

 このブラームスの他に、最近ベートーヴェンの30番と32番の入ったレコードも手に入れました。ブラームスほどではないのですが、これもあまり見かけないので、なかなか買えずにいたものです。インターネットでCS6246というディスク番号で検索したら、eBAYに出品されているLONDON盤がひっかかりました。しかも二千円くらいとそれほど高くないので、どうして残っているんだろうと不思議に思ったのですが、なんと演奏者名がBLACKHAUS(ブラックハウス)と間違って掲載されています。これでは買いたい人がいても見つからないはずです。場合によっては一万円以上してもおかしくないので、運が良かったです。

 アメリカからなので、送料がレコードの値段と同じくらいになってしまうのはしかたがありません。合計でブラームスと同じくらいでした。このベートーヴェンも、"ZAL-5427-1E 3 1 B U"、"ZAL-5428-1E 1 K"と初出盤です。状態はさらに良く、演奏もこれこそと思わせる素晴らしいものです。

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2016年10月 8日 (土)

写真日記:ルクセンブルク

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 ルクセンブルクはこじんまりした静かな街です。古い城や建物が多くあるので観光地でもありますが、一つ一つはそれほど特別なものではなく、世界各地にある目を見張るような名所に比べると地味です。こういった建物の間を通りながら、その佇まいをゆっくりと感じるといった街です。教会の鐘の音がとても似合う街です。

 おとぎ話に出てくるようなと言われることがありますが、色合いも淡い中間色が多く、何となく明るさと軽さがあります。新しい建物なども増えてきていますが、古いものと新しいものが一緒にこの雰囲気を作っています。国自体がお金持ちなので、手が行き届いていて品のいい落ち着きがあります。

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 ルクセンブルク来るのはいつも仕事なので、街の雰囲気を横目で見ながら車を運転したりしていますが、ホテルに帰ってきてから散歩に出たりします。最初の二枚はそんな夕暮れの写真です。次の二枚は車で一時間くらいのヴィアンデンで、午後の飛行機までの時間に駆け足で行ってきました。こうやってうろうろしているとヨーロッパの雰囲気にわくわくしますが、それだけでなく、深いところで何かが共鳴するような懐かしさも感じます。それがどこから来るのかいつも考えるのですが、まだよくわかりません。

 ホームページの「瞑想としての音楽」に繰り返し書きましたが、海外に出ると自分の感覚が入れ替わってしまうことを体験し続けてきました。音楽もまったく違ったものに聴こえました。日本に帰ってきてからも、一週間くらいはこの感覚から抜け出せませんでした。私の場合、言葉の響き、建物や機械や道具の形の違いなどが影響するようです。木や草などの植生はそれほど違わないと思っています。ルクセンブルクとドイツの間を車で走ると、木や草は札幌や私の故郷の近くの日光と変わりないように思えます。それでも、下の写真のようなどこまでも続くだらかな丘の形、森を切り開いた緑の牧草地が広がりは日本にはない風景で、とても印象的です。人はどこにいるのだろうと思うくらい、ところどころに小さい集落があるだけです。

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 小学校の時に先生が、日本列島はほとんど山なので平地の人口密度が高いと教えてくれました。平坦なヨーロッパでは大都市以外は人の密度が希薄で、何となくがらんとしています。最初の頃は殺風景さが気分を重くすることもありましたが、私には独りでいるのが好きなところがあるようで、解放感も味わっていました。ルクセンブルクの街を歩くと、石畳の道をそれほど大きくない窓の開いた四角い箱のような家が取り囲んでいたりします。そこをぽつんと独りで歩いていると、寂しさとともに、心のやすらぎのようなものも感じます。

 そんなことを繰り返しながら、それでもだんだん慣れてきて、最近はそれほど違和感を感じなくなってきました。一番の違いは、音楽会で音楽を聴いている間は自分がどこにいるか忘れるようになったことです。曲が終わったところで、そうだ外国にいだんだと思ったりします。西欧の音楽のなかには日本とは決定的に違う感覚が含まれていますが、うろうろしてもう四十年になるので、反対に日本にいてもある程度その感覚で音楽を聴けるくらいは慣れてきたのかもしれません。街の中でも、見た目や身振りは違っても、人々の感覚のある部分は日本人それほど違わないところも多いと思えるようになりました。

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ヨーロッパでオーケストラ演奏会をはしご(その2):シュターツカペレ・ドレスデン

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 昨年のウィーン・フィルによるマーラーの大地の歌に続いて、ルクセンブルグでコンサートを聴くことができました。今回はチョン・ミョンフン指揮のシュターツカペレ・ドレスデンで、マーラーの5番他です。一ヶ月前に出張の予定ができた時に、インターネットで予約しました。ウィーン・フィルの時はけっこう売れ残っていたのですが、今回はほとんど売り切れで、数少ないなかから六列目の下手端の席を選びました。舞台に近すぎますが、しかたがありません。値段は8.5ユーロ(一万円)で、一番高い席です。去年のウィーン・フィルよりちょっと安めの設定です。同じプログラムでドレスデンでの三日間の公演の後、二日おいてルクセンブルク、リンツ、ウィーンと三日連続でまわる演奏旅行の初日でした。

 シュターツカペレ・ドレスデンは私が一番あこがれていたオーケストラで、三年前に本拠のゼンパーオパーまで聴きにいきました。その時は会場のせいかちょっと残念な印象だったので、今回はどうかなと思いながらホールに向かいました。見事な演奏で、やはり素晴らしいオーケストラだと納得しました。ここまで彫りの深い表情を聴かせるオーケストラは他にないと言っていいくらいです。 先週のウィーン・フィルも素晴らしかったのですが、どちらかと言われれば私ならこちらをとります。去年の同じ会場でのウィーン・フィルの大地の歌よりもさらに聴き応えがありました。ゼンパーオパーでの今ひとつだった印象は、やはり会場のせいだったのでしょう。一つ前の記事で、メータ指揮のイスラエル・フィルのマーラーの五番が素晴らしかったと書きましたが、ドレスデンの今回の演奏はさらに上です。

 音色はちょっと地味ですが、はっきりとした輪郭のなかに柔らかさがあります。他のオーケストラの音が近代的な輝きを持ってきているなかで、柾目の木目のようないかにもドイツ的な音色は貴重です。聴いているとドイツの深い森と向き合っているような気分になってきます。一本の細い線のように揃った各パートが、絶妙なバランスで奥行きの深い立体的な響きを生み出します。木管も金管もしっとりした音を出していながら、ここぞというところはこんなに大きな音が出るのかと思うような、それでいて壺にはまった音を出します。これは以前から同じですが、ピアノからフォルテの音量の幅がこれ以上広いオーケストラはなかなかありません。トランペットもホルンも浮き上がらない地に足のついた音色ですが、ソロの音量は今まで聴いたマーラーの五番のなかで一番大きい堂々としたものでした。このオーケストラは管楽器に名人が多いことで有名でしたが、今は若い人に入れ替わっています。ひょっとしたら世界的なソリストだった先輩達より上かもしれません。楽器もよくなっているのでしょう。

 チョン・ミョンフンは2012年から主席客演指揮者をつとめているそうですが、全曲にわたってオーケストラを完全に掌握し、強い緊張を保ってこのオーケストラの底力を遺憾なく発揮させていました。手兵のソウル・フィルでマーラーの九番を聞いた時には散漫な印象だったのですが、今回は威厳さえ感じさせる指揮ぶりです。私の隣のご婦人が途中で飽きてしまったのか、髪を触ったり体を動かしたりし始めてしまい、指揮者を見るとそれが目に入ってしまって気になります。音楽に集中するのに、目をつむって聴いたりして苦労しました。ただ、演奏がつねに緊張したままだったので、自分も聴き疲れて集中力が落ちていたのかもしれません。

 アダジエットなどのマーラーの世紀末的な官能が、このオーケストラだとウィーン・フィルなどとはちょっと違ったものになります。言葉にするのはむずかしいですが、古い美術品を観る時の静けさのような、あるいは少し冷静な憧れのようなものになります。このオーケストラのブルックナーの録音を思い出します。終楽章は有無を言わせぬ壮大なものでした。

 順番が逆になってしまいましたが、一曲目はアンドラーシュ・シフの独奏でシューマンのピアノ協奏曲でした。なによりベーゼンドルファーの音色が印象に残りました。同じベーゼンドルファーを使っていたバックハウスのレコードの音色とまったくと言っていいほど同じです。ただ、意外に音量が出ないものだと思いました。アンコールにシューベルトの即興曲を弾いてくれたのですが、ちょっと古風で懐かしい音色で、そのなかに固い芯があります。ルクセンブルクの街の静かなたたずまいと同じような、深い落ち着きがありました。ただ、音楽の方から聴き手に迫ってくる強さは控え目です。協奏曲でも基本的に同じでした。

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Sachsische Staatskapelle Dresden

06.10.2016 20:00, Grand Auditorium

Sachsische Staatskapelle Dresden
Myung-Whun Chung direction
Sir Andras Schiff piano

Robert Schumann: Klavierkonzert
Gustav Mahler: Symphonie N°5


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2016年10月 3日 (月)

ヨーロッパでオーケストラ演奏会をはしご(その1):ウィーン・フィル

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 まずは本拠のムジークフェラインでウィーン・フィルの定期演奏会(ソワレの今期第一回)です。指揮はメータで、モーツァルトのリンツとブルックナーの七番です。来月の東京での一夜と同じプログラムです。一階のバルコニーのやや後方(6番扉)でしたが、とてもいい席でした。15年前にウィーンに聴きに来た時もメータで、席も同じようなところ(3番扉)でしたが、ブルックナーの大規模なオーケストラを聴くのには、舞台からちょっと離れた今回の席の方が良かったかもしれません。ちょっと離れたといっても、写真のようにこのホールだと身近で聴いている感じです。リンツでは5-4-3-2-1の少プルトで、ブルックナーは8-7-6-5-4です。今回はセカンド・ヴァイオリンが上手にくる対向配置でした。

 オーケストラの印象は、去年ルクセンブルグで聴いたものとほとんど同じでした。指揮者も曲目も会場も違うので不思議なくらいですが、それだけ性格がはっきりしているのでしょうか。やはり以前に比べるとちょっと直線的になって、音色も明るくなっていると思いました。15年前の印象が圧倒的だったので、この変化は少し残念でもあります。

 私にとって今の音色のイメージはちょっと黄色の入った明るい緑です。以前はもうちょっとくすんでいました。ピアノでの明るく柔らかく、それでいて透明で輪郭のはっきりした響きから、ブルックナーでの圧倒的なのフォルテッシマまで濁ることはありません。フォルテッシモでは柔らかい透明な響きに独特の熱が生まれてきて、ムジークフェラインの響きと相俟って、ああウィーン・フィルだと思います。音色が多少現代的になってきた分、音楽が前に出てくる力がさらに強くなっているかもしれません。

 メータのリンツは二年前に池袋でイスラエル・フィルの演奏で聴きました。その時のマーラーの五番は、本当はこういう曲だったのかと深く納得できる素晴らしい演奏でしたが、リンツは何も起こらずに通り過ぎてしまいました。今回も、せめてウィーン・フィルの音色を楽しめたらと思ったのですが、あまり印象が残りませんでした。少人数のせいか、ちょっとぎくしゃくしたところもありました。

 メータは堂々とした体格で威圧感がありますが、リズムはどちらかというと軽快で、澄んだ響きのうちにするすると進んでいくところがあります。振幅の大きい音楽で力が入ってくると、この透明なところにだんだん熱がこもってきて、思わず引き込まれてしまいます。これは三回とも同じでした。マーラーの5番もブルックナーの7番も、ともすると終楽章が軽く感じられることがあるのですが、どちらも交響曲をしめくくるにふさわしい堂々とした出来でした。この感触を失いたくなかったので、しばらくは他の音楽を聴く気になれませんでした。

 ブルックナーではフレーズの終わりをゆっくり引き伸ばすところがところどころにあって、棒に対してオーケストラが一糸乱れずというわけにはいかなかったのですが、これがかえって緊張感を出していたように思いました。前日までメータの指揮でドビュッシーやラヴェルをやっていたので、それほど練習していないのかもしれません。メータとウィーン・フィルならモーツァルトやブルックナーはそれで十分なのでしょう。モーツァルトでは、メータがあまり細かく振り分けないせいか、コンサートマスターががんばっていました。

 ソワレの雰囲気はどんなんだろうと緊張して出かけたのですが、特にじろじろ見られることもなく、無事帰ってくることができました。確かに着飾った老人が多く、写真でわかるように客席に白髪の頭が並んでいました。私の隣の中年のカップルの男性はどうみても飽きていましたが、休憩で知り合いから声がかかったりしていたので、もしかしたら常連なのかもしれません。私のように切符を手に入れた日本の方々もかなり見かけました。

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1st Soiree
September 26 (Mon), 2016
Musikverein, Groser Saal
Conductor Zubin Mehta
Orchestra Wiener Philharmoniker

Program
Wolfgang Amadeus Mozart Symphony No. 36 in C major, K. 425 "Linz"
Anton Bruckner Symphonie Nr. 7 in E-Dur, WAB 107

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2016年8月11日 (木)

国家大劇院の音楽会

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 北京での音楽会はホームページの方に紹介した七年前の中国国家交響楽団以来です。その時は北京音楽庁でしたが、今回は新しい国家大劇院(NCPA)です。フランス人の建築家の設計で、湖に球体が浮いているような斬新なデザインで、是非一度行ってみたいと思っていました。オペラハウスと劇場とコンサートホールが入っています。上海にも同じようにいくつかの施設が一つになった上海東方芸術センターというものがあって、これも斬新なデザインなのですが、いつも前を通るだけでまだ中に入る機会がありません。

 中国人の同僚に電話してもらったら売り切れとのことだったのですが、行けばなんとかなるだろうと思ってタクシーで出かけました。タクシーの降車場は裏にあるのですが、降りたところでダフ屋のおじさんがチケットを売っていました。他で買えるかどうかわかないので、迷わず買うしかありません。二階の最前列で、額面通りの160元(三千円)でした。正面の入り口まで行ったら、何人かのダフ屋が、チケット(ピャオに近い発音)あるよ、と声をあげていました。

 中に入ると、最近の新しいホールでは珍しい直方体型で、1,859席とほどよい大きさです。壁や天井がしっくいのような素材に見えましたが、写真にあるように起伏があります。たぶん響きを良くするためなのでしょう。ケットの値段は480元/360元/240元/160元/80元と五段階あるのですが、私のものは160元なので下から二番目です。二階の最前列のど真ん中でかなりいい席なので、なんで値段が下から二番目なのかわかりません。編成が小さいので音楽会だったので、舞台に近い方が高かったのかもしれません。客席はほぼ満席で、ほどんどが若い聴衆だったのはちょっと驚きました。私より年上の人はほとんどいません。

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 NCPA専属オーケストラである国家大劇院管弦楽団の弦楽器奏者による中規模の弦楽合奏(6-5-4-3-2)による演奏会ですが、The Art of Fusionというタイトルがついていて、演目はいろとりどりです。中心はルー・ハリソンと、現代中国を代表する譚盾(Tan Dun)の、二曲の琵琶協奏曲です。琵琶独奏の吴蛮(Wu Man)はかなりの演奏家で、ルー・ハリソンの曲も彼女のために書いたものとありました。7年前の音楽会でも琵琶協奏曲がありましたが、中国では一般的なのかもしれません。PAもはいっていましたが、たしかに表現の幅が広くギターなどよりよほど強力な独奏楽器です。どちらの曲も、親しみやすい五音音階のメロディーが出てきますが、そこにとどまらずに音楽が広がっていきました。中国語で琵琶はピパと言うようです。にごるとビバなので、日本語に似ています。

 一曲目のルー・ハリソンの協奏曲が終わったところでオーケストラの椅子を片付けはじめたのでどうしたのかなと思っていると、中国服を着た一団が楽器を持って出てきました。古い音楽劇団を再現した団体のようですが、大きな声で歌いながら楽器を引きまくるパワーに圧倒されました。お客さんも大喝采です。彼らに琵琶の吴蛮女史も加わって大いに盛り上がりました。最後は音楽伴奏付の影絵まで出てきました。いわゆるクラシックの演奏会にそぐわなそうな演目ですが、音楽の完成度が高いので違和感がありません。おもしろい企画です。めったに聴けない種類の音楽なので得をしました。ちなみに団体の名前は华阴老腔(Huayin Lao Qiang)、英語に訳すとHuayin Old Tuneだそうです。写真をつけておきます。YouTubeにも出ていました。

 休憩をはさんで譚盾の琵琶協奏曲があり、最後は中国の現代作曲家の陳其鋼(Chen Qigang)による弦楽合奏の曲でした。それまでがいずれもかなりにぎやかな音楽だったのですが、最後の曲は深い感情を秘めた落ち着いたもので、めずらしい演奏会のしめくくり方です。

 弦楽合奏の指揮は陳琳(Chen Lin)です。彼女はサイトウキネンなどにも客演しているとありましたが、端正な指揮でした。

Photo


July 30 (Sat), 2016
Concert Hall, National Center for the Performing Arts, Beijing China
The Art of Fusion: Chen Lin, Wu Man, Huayin Old Tune and China NCPA Orchestra

Lou Harrison, Concerto for Pipa with String Orchestra
Pipa: Wu Man

Huayin Lao Qiang
- Old Tunes from Guanzhong
- Han's Rhythm
- Three Brothers Battling with Lv Bu
- The Order has Come
Pipa: Wu Man

Tan Dun, Concerto for String Orchestra and Pipa
 I. Andante sostenuto
 II. Allegro
 III. Adagio
 IV. Allegro vivace
Pipa: Wu Man

Chen Qigang, L'eloinhement, for String Orchestra


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2016年6月26日 (日)

写真日記:ブルジュ・カリファ

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 今のところ世界で一番高い建築です。なかなかカタカナにしにくい名前のうえに、アラビア語読みと英語読みでは発音が違うようです。乗り継ぎの都合でドバイで一泊することになったので、駆け足で見てきました。

 真下から見上げると確かに高いです。この高さを実現するのは技術的に相当大変だったと思いますが、そのひきかえか、意匠は単純でそれほどの圧迫感はありません。ところが離れて見てみると、銀色の針のような形がまわりのビル郡から空に向かって突出していて、その孤高の高さには凄みさえ感じられます。

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 せっかくだったので、展望台の入場券をインターネットで予約しておいて登ってきました。案外空いていて、すんなり上がれました。上から見る景色も最初はそれほどの印象はなく、エンパイヤーステートビルの方が見ごたえがあったなどと思いながら、うろうろしていました。あちこち眺めたり、屋外展望台のガラスの隙間に顔を寄せて風にあたったりしていると、とても高いところにいるという気分がしてきました。街のまわりに広がる土漠やビルの奇抜な形が独特の気分にさせます。

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 下に降りて一帯のビル街を歩いてみると、アメリカのダウンタウンのがらんとしたところに似たものを感じます。建設中のビルが多いのですが、週末の休みだったせいか人の気配がないので、なおさらです。ドバイ自体が一気に作っている最中の新しい街なので、生活感のようなものが出るところまで落ち着いていません。ドバイが好きな人は、この遊園地みたいな雰囲気がいいのかもしれません。

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 もともとなんでも世界一でなければだめといった相当な上昇志向が形になったような街です。実物を始めて見るような高級スポーツカーが爆音をたててあたりを走っています。私にとってはのんびりできる場所ではなさそうです。

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2016年1月29日 (金)

キンポ空港の巨大壺

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 キンポ空港の出発ロビーに巨大な壺が出来ていました。何だろうと思って下まで行ってみたら、タッチパネルの画面があります。そこで操作して自分の写真を撮ると、壺の表面に表示されるようです。いろいろやってみると、あと2分とかメッセージが出てきました。待っていると、たしかに壺の表面に私の顔が出てきました。まあ、これを見て誰だかわかる人はいないだろうと思います。家族に、何の写真だと思うと聞いてみましたが、わからないとの答えでした。
 
 あとで調べてみたら、1月5日に設置されたものだそうで、まだ出来たてのほやほやでした。作品名は、「月の壷、オー」で、「芸術家チョン・ビョンサムとテフン企画が共同で製作した作品は、「糸車の上で回転するわが民族の月の壷」を形象化した。LEDが設置された表面には、韓国を代表する象徴イメージが具現された。」とあります。そんなものの上に私の顔を出してしまっていいのでしょうか。知っている人もほとんどいないのでしょう。がらんとしたロビーにぽつんと立っています。興味がある方は韓国に行ったらやってみてください。

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コリアン・シンフォニーオーケストラ

Korean_symphony_poster


 コリアン・シンフォニー(Korean Symphony Orchestra)を初めて聴いてきました。日本語だと韓国交響楽団になるのでしょうか。ソウルではKBS交響楽団とソウル・フィルが双璧かなと思っていますが、それぞれ何回か聴いていてちょっと飽きてきたところでした。コリアン・シンフォニーはその次のレベルだろうかなどと想像しながら行ってきたのですが、なかなかいいオーケストラで、遜色のない出来でした。今回のホールと同じところにあるオペラ劇場のオーケストラもでもあります。マーラーの「さすらう若人の歌」に交響曲第一番という同じ曲を二回聴くようなプログラムで、それほど深刻にならずに楽しめるものです。何年か前に上海で同じプログラムを聴きました。

 「さすらう若人の歌」は一昨年ベルリン・フィルで聴きましたが、今回の方がしっとりしていてじっくり味わうことができました。バリトンは韓国の人ですが、ヨーロッパで活躍しているらしく、さすがに立派なものでした。このオーケストラの一番の魅力は落ち着いた音色のヴァイオリンで、これはなかなかのものです。言葉で表現するのはむずかしいのですが、金属的ではない木質で芯のある、ちょっと太目で暖色系の音色です。

 他の楽器も総じて細かいところまでないがしろにしない誠実さがあります。フレーズの出だしや終わりがもやもやしてしまったりすることもありません。とても安心して聴くことができました。ベルリン・フィルでは「さすらう若人の歌」の最後で、ファーストヴァイオリンが上から降りてくるところでがたがたになりましたが、そこも何事もなかったようにあっさり通り過ぎました。ベルリン・フィルの事故はなんだったんだろうかと思いました。

 交響曲は、コントラバス10本の大編成です。ただ、編成の割にはそれほどスケールの大きな鳴り方をするわけではなく、どことなく控えめで落ち着いています。ヴァイオリン群を正面から見る上手側のボックス席だったのですが、四十人近い奏者がの弓さばきが本当に揃っていて、まるで同じ人間のコピーがたくさんいるように思えるくらいでした。チェロまでの弦楽器はほとんど女性で、フルートとオーボエも全員女性です。後からホームページで団員の経歴などを見てみましたが、ジュリアードなどを出た人が何人もいました。指揮者は韓国指揮界の草分けの大家で、今はこのオーケストラの音楽監督です。この人もジュリアードです。マーラーも得意としているようで、いきいきとして奥行もある音楽を作り出していました。

 もちろん、ベルリン・フィルのようなオーケストラと比較すると、細かいことを言えばきりがないし、全体に小ぶりです。CDやレコードなどを中心に超一流のオーケストラばかり聴いていると耳がおごってしまい、こういうちょっと地味なオーケストラのいいところをちゃんと聴き取れなくなってしまうのではといつも気になります。

 日本からインターネットで予約したチケットは日本円で二千円で、下から二番目の値段です。一番高いのが六千円で、一番安くて千円です。今回は写真にあるようなボックス席で、私にとっては四千円の二階席正面よりもいい席です。ここがなぜ二千円なのかよくわかりません。予約の画面では一席だけ残っていたのですが、実際はまわりに誰も来ませんでした。値段が安いので、一応チケットを買ったけど来なかったということなのでしょうか。舞台後方の合唱席には人を入れていませんでした。そこをのぞいて三分の二くらいの入りでした。


第195会定期演奏会
2016年1月22日
ソウルアートセンター
指揮 Hun-Joung Lim
バリトン Tito You
G. Mahler Lieder eines fahrenden Gesellen
G. Mahler Symphony No. 1 in D Major ‘Titan’


Korean_symphony_01


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2015年12月 2日 (水)

シベリウスを立て続けに聴いてきました

 今年はシベリウス生誕150年ということで、この二カ月で交響曲チクルスが二つありました。そのなかの三つのコンサートを聴くことができて、シベリウス好きの私の長年の願いがかないました。

 初めてシベリウスに触れたのは、もう四十年以上前の中学生の頃です。NHKのラジオ第一放送で、マゼール指揮ウィーン・フィルの演奏をカセットに録音しました。中波ラジオを当時の安物のカセットテープレコーダーで録ったので、第一楽章の最初のところなど音が小さくて何も聴こません。それでも夢中になって何度も聴いたものです。シベリウスの他の曲も聴いてみたいと思い、街のレコード屋に行きました。同じマゼールとウィーン・フィルのレコードが何種類かありましたが、一枚買うのがやっとだったので、ジャケットの解説で一番の傑作と菅野浩和が書いていた四番と、タピオラの入っているものを選びました。これを聴いてさらにのめりこみました。どうやったらオーケストラでこんな不思議な音楽ができるのだろうと思ったものです。

 そらからレコードやCDもいくつか聴いてきましたが、あまり数がないこともあり、なかなか自分の思うような演奏にめぐりあえません。演奏会でシベリウスの三番以降の交響曲がかかるのはさらに稀で、三番を初めて生で聴くことができたのは三年前のインキンネと日本フィルの演奏会でした。

 今回の最初はハンヌ・リントゥ指揮のトリフォニーホールでの全曲演奏の初日です。新日本フィルによる三番、四番、二番でしたが、いまひとつぱっとしないまま終わってしまいました。最後の二番がそれなりの演奏だったので、あまり馴染みのない二曲は不慣れだったということもあるのかもしれません。それでも、初めて四番の生演奏を聴くことができました。指揮者の棒の振り方が変わっていて、手首を使わないで腕全体を振り回すような指揮です。リハーサルではもっと細かく振り分けたのかもしれませんが、オーケストラがどうやってこの指揮を理解できるのか不思議でした。

 二番目は、同じリントゥ指揮で、オーケストラがフィンランド放送交響楽団に変わった三日目です。タピオラ、七番、五番というプログラムでしたが、これは素晴らしかったです。タピオラが始まって弦楽器がなんとなくかすれたような音色だなと思いましたが、しばらくすると飾り気のない素朴さに引き込まれてしまいました。新日本フィルは弦楽器の人数がやや少ないのですが、こちらは普通サイズだったこともあり、弦楽合奏の厚みも十分です。ずしりとした感触は人数の差以上です。やや暗い音色で深く歌いこんでいきます。あちこちに細かい表情がついていて、静けさを湛えながら、時に力強く立体的に音楽が広がっていきます。これが本当のシベリウスだと思いました。

 ただ、弦楽器は素晴らしいのですが、管楽器にはちょっとがっかりです。音色は弦楽器と同じようなひなびた良さがあるのですが、木管の音の立ち上がり方が、タイミングは合っていても鳴り方がばらばらです。楽器ごとに違うのではなく、同じ奏者が一つのフレーズを吹くのにも、音によって楽器の鳴り出すのが遅れたりします。音程も何となくふらふらしています。ちょっとアマチュアオーケストラみたいだと思いました。タピオラと七番は弦楽器のおかげで素晴らしかったのですが、五番は器楽的な仕上がりの良さがないと効果があがらない曲なので、この管楽器のせいか、盛り上がらずに終わってしまったように感じました。

 最後はオッコ・カム指揮のラハティ交響楽団の全曲演奏のうち、三番と四番、まんなかにヴァイオリン協奏曲というプログラムの日です。会場はオペラシティーです。大筋でフィンランド放送交響楽団と同じ印象で、本当のシベリウスと思わせるものでした。こういう歌い回しは考えて出来るものではないのでしょう。楽譜からだけのアプローチだったら、こんなことをやってしまっていいのかなと思ってしまいそうです。それを何の遠慮もないようにできるのは、やはりフィンランドの人達が共有しているものだからなのでしょう。

 こういう演奏を聴いていると、圧倒的な合奏力と洗練された音色の世界の一流のオーケストラのシベリウスは、スケールが過度に大きく、またちょっと一本調子のように思えます。ウィーン・フィルとシベリウスというのは以前から不思議だったのですが、歌い回しというところがつながっているのかもしれません。

 この晩は、最初の三番では、第一楽章で指揮者のオーケストラの呼吸が合わないように感じたのですが、二楽章からは思わず引き込まれてしまいました。新日本フィルよりさらに弦楽器が少ないので、沈み込んでいくような四番では深遠さが出にくかったかもしれません。四楽章は初めて自然な流れのなかで聴くことができました。このオーケストラもホルンがちょっと気になりました。

 こういった体から出てくるような演奏を聴き続けていくうちに、シベリウスの音楽の奥には熱く重いものがあって、それがいろいろな響きやメロディーとして表に出てきているのではと思い始めました。表情に脈略がなかったり、妙に軽かったりもしますが、その奥にあるものを感じていればそれも全体のなかの一つとして自然に思えてきます。何となくシベリウスの聴き方がわかったような気がしました。フィンランドに行けばこの不思議な音楽がもう少しわかると思いますが、機会があるかどうかわかりません。

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2015年9月22日 (火)

写真日記:パリ管弦楽団演奏会

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 今年オープンしたばかりのパリのフィルハーモニーでの演奏会です。前の記事紹介したように、建物もなんだこりゃと言うような外観ですが、ホールもそれに負けず独特です。左右対象ではなく、どこがどんな形をしているのか思わず見渡してしまいます。下の写真にオルガンのパイプが写っています。全然本数が足りませんが、残りが何処にあるのかわかりません。

 指揮は2010年から音楽監督をしているパーヴォ・ヤルヴィで、アルヴォ・ペルトの曲だけという意欲的なプログラムです。あの瞑想的なペルトの音楽を延々と聴かされるのかと思っていたら、作風が実に多彩で、聴き応え十分でした。ホールの素晴らしい響きも関係しているかもしれませんが、音色もアンサンブルも超一流です。オーケストラはある水準を越えると、個々の楽器の合奏から渾然一体となった別の表現体になります。この境地に達しているオーケストラは世界でも片手くらいしかありませんが、その一つなのではと思わせました。やや力づくで持っていくベルリン・フィルやシカゴ交響楽団、あるいはロンドン交響楽団。また違った方向性のウィーン・フィルやコンセルトヘボウ。パリ管はどちらかというと現代的な機能性に優れた前者のグループですが、音色はシックで、パリの現代的な部分を感じさせます。男性団員はタキシードではなく、長めのスーツ風の上着です。

Paris08

 チケットは一番高い席が40ユーロで、6千円弱です。私の知っている限り、ヨーロッパの一流オーケストラでは一番安い値段です。インターネットで予約できたのは、私の好きなオーケストラに近い8列目で、しかも真ん中です。いつものことですが、出張の予定が出てくると無駄になるのを覚悟でまずチケットを予約します。今回もその時点で残席はわずかで、しばらくしたら売り切れになりました。それでも毎日のように見ていると、ある時にまとまって空席が出るので、そこでもっといい席を買います。今回はあまったチケットを当日券に並んでいたフランス人に半額で譲りました。本来の値段より高く売らなければ問題はないようです。日本人がいたらあげようと思っていたのですが、いませんでした。

 舞台が近いとオーケストラのいろんなパートとの距離が違ってくるので聴こえ方が違ってきますが、なまなましさはオーケストラで演奏していうような気になるくらいです。床の傾斜が大きいので、上の写真のようにオーケストラが全部見えます。一曲目のミニマル風の弦楽合奏が静かに始まった時、意外に大きく聴こえるので、テュッティになったらかなりうるさいかもしれないと心配になりました。実際はフルーオーケストラの大音量でも、音色はしっかりフォルテなのですが、聴こえる音量はそれほど大きくないという不思議な体験をしました。残響がとても長いのですが、残る響きが澄んでいてとても心地よいです。舞台最後列のグロッケンシュピールの音が頭の上から聞こえてきました。ホールの音響が印象を大きく左右するという意味では、世界でコンセルトヘボウと双璧かもしれません。ムジークフェラインはもっと控えめです。

 ペルトは宗教音楽と言っていいと思うのですが、一方で独特の美しい響きを持っています。これだけ素晴らしいオーケストラとホールで聴くと、この響きの美しさに吸い込まれてしまい、瞑想的なところがやや後退してしまいます。めったに出会えないくらいの音楽会でしたが、心にずっと残る記憶という意味では案外淡白だったかもしれません。

 ゆったりとした弦楽器のピツィカートが続くところがあったのですが、低弦から始まって順番にヴァイオリンまでというのが繰り返されます。なぜかヴァイオリンだけ少しばらけます。ずっと続いているので合わないのが不思議だったのですが、そういう指示なのか、あるいはホールの響きで合わせにくいのかなと思いました。ヴァイオリン以外はぴったり合っていました。

Paris09


2015年9月19日(土)
Grande Salle, Philharmonie de Paris

Orchestre de Paris
Choeur de l'Orchestre de Paris
Paavo Järvi, conductor
Viktoria Mullova, violine
Romain Descharmes, piano
Lionel Sow, chorus master

Arvo Pärt:
Summa
Passacaglia
Da pacem Domine
La Sindone création française
Credo pour piano, choeur et orchestre
Silhouette
Symphonie n°3
Cantus in Memory of Benjamin Britten


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2015年9月21日 (月)

写真日記:パリのフィルハーモニーとルイ・ヴィトン美術館

 パリに最近出来たばかりの新しい建築を見てきました。どちらもオフィシャルホームページの他、ネットにたくさんの写真や記事が出ています。そこに私の個人的な感想を追加する意味はなさそうですが、旅行記として読んでいただければうれしいです。

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 まずはフィルハーモニーで、今年1月にオープンしたできたてほやほやのホールで、まだあちこち工事が続いています。ここまで好き勝手にやっていいのかと思わせるくらい独特のデザインです。フランスは、アングロサクソンやゲルマンの融通のきかなさと、ラテンの気質がうまくバランスしたような気がして、軽やかですが軽薄ではなく、優美さと穏やかも感じられます。旅行者としては、何となく居心地の良い適度なゆるさがあります。優れた芸術はパリの代名詞でもありますが、それにしても、建築とはこんなものという漠然とした意識を吹き飛ばしてしまうこういった建物は圧巻です。

Paris02

 ベルリンのフィルハーモニーもそうでしたが、まわりを歩き回っても全体がどんな形をしているのかつかめません。下の写真にある飛び出している形などは、映画に出てくる怪獣みたいに見えてしまいます。全体が顔で、口を開けているようにも見えます。本来は屋根に上がれてパリの街を見渡せるということだったのですが、まだ工事中なので上がれないとのことでした。大きな建物なので、印象は圧倒的です。表面は鳥の形をした20万枚以上のアルミのピースを張り付けてあります。歩道のタイルも同じ形のピースで出来ている徹底ぶりです。数が足りなかったのか壁も床もところどころこのピースが抜けていて、まだ工事中のようです。

 パリ管弦楽団の本拠になっていて、その演奏会を聴くのが今回の一番の目的でした。次の記事に書きましたが、ホールもオーケストラも素晴らしかったです。

Paris03

 次はルイ・ヴィトンの美術館です。こちらは去年の10月オープンです。地下鉄を降りてブローニュの森を歩いて行くと、これもとんでもない形をした建物が見えてきました。フィルハーモニー以上にここまでやってしまっていいのかと思ってしまいます。いくら見てもどういう形なのかわからないところもフィルハーモニー以上です。帆船のイメージだそうで、わまりは池になっていて、まるでヨットが前に進んでいるように水が流れています。

Paris04

 中に入り、どこがどうなっているのかわからないまま歩き回っていると、美術館らしい落ち着いた静かな気持ちになります。屋上からはパリの街が見渡せます。ルーブル、オルセー、オランジェリーといった美術館だけではなく、こういった時代の最先端のパリもとても魅力的です。アジアとは全く違った感性でもあります。それでも何度か来てみると少し落ち着いてまわりを見ることができるようになってきて、心の底にある気分は自分とそれほどは違わず、ただ外への出方が違うだけのような気もしてきます。ホテルへ帰る途中、ルーブルの近くでラーメンを食べました。

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2015年5月 9日 (土)

写真日記:ルクセンブルクでウィーン・フィルを聴く

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 ルクセンブルクに出張することになり、調べたらウィーン・フィルの演奏会があったので、インターネットでチケットを予約しました。チケットの値段は50、85、105ユーロで、一番安い席は売り切れでしたが、他はちらほら席が残っています。ウィーン・フィルでもルクセンブルクでは売り切れにならないようです。都合がつかなくなることを考えて、85ユーロの席を買いました。一万円ちょっとで、日本で聴くより手頃です。

Philharmonie5

 オーストラリアの作曲家オルガ・ノイヴィルトの新作と、マーラーの大地の歌です。ソリストはマティアス・ゲルネとクラウス・フローリアン・フォークトという大物で、指揮はダニエル・ハーディングでした。前日はケルンで、ルクセンブルクの後に一日おいて、ウィーンのコンツェルトハウスで二晩続けるというプログラムです。ウィーンでは国際音楽祭のオープニングだそうです。

 新作は前日のケルンが世界初演です。ウィーン・フィルの素晴らしい演奏もあって、聴きごたえがありました。プログラムの紹介記事が興味深そうだったのですが、フランス語とドイツ語で残念ながら読めません。後から彼女のホームページでドイツ語のものを見つけ、翻訳ソフトで内容をそれとなく想像しました、

Philharmonie6

 ルクセンブルクのホールに入るのは初めてでしたが、SF映画に出てくる未来の建物のようです。1500席と小ぶりです。席は舞台を断崖の上から見下ろすようなところで、カラヤンの古い映画でオーケストラを真上から撮るアングルがありましたが、まるでそんな感じです。この席だと、高い音と低い音の抜けは悪くないのですが、いわゆるドンシャリ気味でした。あちこちの席が空いているのをいいことに、マーラーの時は下の席に移動しました。

Philharmonie4

 ウィーン・フィルの音色が思っていたより明るめだったのですが、ホールのせいだけではないと思います。前に聴いたのは十年以上前ですが、渋い響きのなかで音色で歌うオーケストラでした。若い団員が増えたからかもしれませんが、今回はちょっと一本調子です。指揮者のせいか、リズムの細かいのびちぢみもあまりなく、ウィーン・フィルらしい歌いまわしがあまり感じられません。一方で、全曲にわたって均質な緊張感が保たれていて、聴きごたえは十分です。こういう演奏だと、マーラーの音楽がいくぶん肯定的に聴こえます。この世への別れのような最後のところは、深く引き込まれました。ソリストも巣晴らしかったです。

Philharmonie2


2015年5月7日(木)
Grand Auditorium, Philharmonie, Lusembourg

Wiener Philharmoniker
Daniel Harding, conductor
Matthias Goerne, bariton
Klaus Florian Vogt. tenor

Olga Neuwirth - Masaot/Clocks without Hands
Gustav Mahler - Das Lied von der Erde


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2015年4月25日 (土)

写真日記:上海の超高層ビル

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 上海と言えば私にとっては高層建築とリニアモーターカーです。初めて行ったのは十年前で、その時の写真をホームページのほうに載せてあります。陸家嘴には行くたびに新しいビルが増え、思わず地下鉄を降りて見物してしまいます。つい最近、また一段と背の高い上海中心大厦が出来上がりました。高さは何と632mです。

Shanghai02_2

 最初は東方明珠電視塔(球を串刺しにした形のテレビ塔)とロボットみたいな金茂大厦の二つだけでしたが、それでも高さに圧倒されました。しばらくして日本の森ビルが栓抜きみたいな形の上海環球金融中心を建てました。下の写真はその頃に撮ったもので、まだ金茂大厦が背が高い弟の上海環球金融中心を従えているような風情がありました。

Shanghai04_2

 ところが、圧倒的な高さの上海中心大厦が出来てしまうと、いくら金茂大厦が意地を張っても取り囲まれて完全に負けています。東方明珠電視塔なんか、何だか昔の名物みたいな脇役になってしまいました。

Shanghai05

 空港に戻る時にリニアモーターカーに乗りました。速度を300キロまでしか上げてくれないので、以前ほどのわくわく感はありませんでしたが、楽しさは相変わらずでした。

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2015年2月15日 (日)

カルロス・クライバーの重量盤LP

Kleiber

 新品のLPを買ったのは何十年振りでしょうか。発端は、以前中古で買ったウィーンフィルとの交響曲を久しぶりに聴いてみようと思ったところからでした。だいたいは西ドイツ盤ですが、シューベルトだけは国内盤です。そろそろこれも西ドイツ盤を買ってみようかとネットで探したら、結構な値がついています。前はこんなではなかったのにと思いながらあちこち見ていたら、リマスターのドイツ製重量盤LPのセットが出ていて、まだ買えることがわかりました。4枚組ですが、一枚あたりにしたらネットに出ている中古盤より安いくらいです。いいかもしれないと思い、さっそく注文しました。

 世界で2800セット限定だそうで、確かにシリアルナンバーがついています。世界中でたった2800セットで、一年近くたってまだ残っているのですが、本当にそれくらいしか売れないのだろうかと複雑な気持ちです。ついでに、日本だけなのかもしれませんが、塩ビの材料にまでこだわった一枚5000円という高価なものも出ていることがわかりました。私にはそこまでは必要ありません。

 まずベートーヴェンの7番を聴いてみましたが、想像していたよりいい音でした。古い盤では、音色は悪くないのですが抜けが悪く、遠近感もちょっと不自然で、聴いていて何となく気が乗らなくなってきます。今回のリマスター盤だとこのあたりがかなり改善されていました。デジタル録音に近い音質になっていると言ってもいいと思います。ただ、何しろアナログ録音なので、CDで聴けばもっといいか言うと、そうではないと思います。私見では周波数レンジの上と下が落ちているアナログ録音は、CDで聴くとどこかもの足りないものです。音場感もデジタル録音のような広がりがなく、オーケストラの場合は楽器との距離感やダイナミックレンジにどうしても不自然なところが出てしまいます。LPで聴けば、不思議とそういったところが気にならないどころか、かえって生々しい音に聴こえます。

 演奏についてはもうさんざん書かれていますが、オーケストラでこれだけ繊細で優美で、たゆたうような美しさが可能なのだとあらためて感心しました。本当に細かいところまで練習で仕上げているのでしょう。それを実現しているウィーン・フィルもさすがです。セカンドヴァイオリンが右側にいます。他の録音はどうだったかおぼえていませんが、この曲では結構効果的です。

 古い英DECCAのLPほどではありませんが、ゴロゴロ音がありました。レコードの重さといい、どこかなつかしいです。レーベルもチューリップ柄です。レベルは古いものより若干低くなっていましたが、その分ダイナミックレンジが広がっているのかもしれません。これから一枚ずつ古いものと聴き比べていきたいと思います。

Label

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2015年1月 9日 (金)

写真日記:北京ではんこを買う

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 帰りの飛行機までちょっと時間があったので、書道で使う落款を買いに行くことにしました。ネットで調べたら琉璃廠というところにある萃文閣という名前ばかり出できます。場所は天安門広場の近くで、古美術街でした。硯や筆や墨の店もあり、はんこ屋も何軒かあります。何だか奥深そうな雰囲気に気後れしながら歩いて行くと、大きな看板がありました。店に入ると、石のはんこの軸が大きいものから小さいものまでガラスケースに並んでいます。食堂のおばさんのような白衣を着た年配の女の人が相手をしてくれました。離れた机ではおじさんが一人ではんこを彫っています。


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 おばさんがまず軸を選んでくれと言うのですが、いろんな物があって選びようがありません。書道用の小さいものということで、彼女がいくつか出してきました。普通の大きさのものの倍以上の値段なのですが、どこが違うのかわかりません。時間もないし、言葉もあまり通じないので、言われるままにしました。次は字体を選ぶのですが、見本を見ながら選ぶと、それはだめと言います。それじゃあということで他のものを選んでも、まただめだそうです。そんなことを繰り返して、彼女がまあいいでしょうというものを選びました。箱はないのかと聞いたら、奥の方をごぞごそ探して出してくれました。中国のおみやげでよく見かけるような物です。内張りの布が色落ちしたのか模様なのか微妙です。

 一時間半で彫ってもらうことにして、天安門広場前のマクドナルドまで行って時間をつぶしました。琉璃廠にはお茶の店もあるのですが、言葉が通じにくいし勝手もわからないので、どうしても敬遠してしまいます。あたりをうろうろしてから店に戻ると、おばさんが待ってましたという顔をして渡してくれました。タクシーのつかまえ方がわからないので、地下鉄で飛行場に向かいました。北京の大気汚染が心配だったのですが、滞在中は以前と変わらない、何となく煤けてどこかなつかしい冬の青空でした。


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2015年1月 3日 (土)

36年振りの札幌交響楽団

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 学生時代には日常的に札響の演奏会に通っていましたが、その後はたまに札幌を訪れてもあいにく演奏会にはめぐりあえませんでした。新しいホールも一度行ってみたいと思っていたました。この年末年始を札幌で過ごした折に、やっと機会がありました。大晦日のジルベスターコンサートで、旅行が決まった時に、インターネットでさっそくチケットを購入しました。

 最後に札響を聴いた演奏会が何だったのかもう思い出せません。当時の団員も当然ですが見当たりませんでした。かなりレベルが上がっているだろうし、昔の面影はないだろうと思いながら出かけました。この晩のコントラバス5本の中編成は昔と同じくらいです。誠実で丁寧、やや淡白な演奏は何となく昔を思い出させます。ちょっと地味でもしっかりと音楽を聴かせてくれるオーケストラを私は好きです。この日はソリスト三人の競演が中心でしたが、オーケストラだけの曲のなかでは、モーツァルトが心のなかにひろがった劇場支配人序曲が一番でした。大規模な曲をどこまで鳴らしきれるオーケストラなのかは、この晩だけではわかりませんでした。ソリストのなかでは、チェロの新倉瞳さんの深い音色が印象に残りました。

 ホールの響きも堪能できました。2008席と一回り小さいこともあり、開演前に歩きまわってみましたが、二階席でも十分な臨場感がありそうです。バランスの良い美しい響きですが、間接音がやや控えめで、どちらかというと淡白なところがあります。私の席は6列目の上手寄りで、その一か所で聴いただけでなので大したこと言えませんが、音量が上がるとちょっと抜けが悪くなるような気もしました。ローエングリン三幕への前奏曲では三連符がややこもったように聴こえましたが、もしかしたら演奏の具合もあったのかもしれません。

 新年のお祝いの賑やかなコンサートかと思ったら、しみじみとした曲も多いおだやかな雰囲気で、カウントダウンをはさんで昔を思い出しながら新年を迎えることができました。終演後にロビーでお屠蘇をいただいて、静かな気持ちに包まれながら帰りました。私にとって札幌がどういう街だったかを確かめるような旅でもあったのですが、札響を聴けたことも一区切りになりました。

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2014年8月16日 (土)

エコノミークラスでビジネスクラス並みの寝心地

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 長い時間のフライトになるとエコノミークラスだと窮屈なものです。運よく非常口席に座れると足が伸ばせますが、これをさらに快適にできないかいろいろ探してみました。携帯用足台などがあるのですが、いまひとつ中途半端でした。そんななかでネットで見つけたのが上の写真のビニールさいころです。一辺30cmで、もともとは水遊び用なのでしょう。実際に使ってみたら思った以上にいい具合です。以前はかばんに枕や毛布をのせて足を置いたりしていたのですが、ずっとゆったりできます。

 柄がさいころなので見た目はかなりの脱力系です。実は白地に赤と黒の点のついた本当のさいころの色のものもあったのですが、そこまでのユーモアはなかなか理解されないと思い、こちらの透明なほうにしました。それでも、客室乗務員の人たちの視線が何となく冷たく感じられれるような気がします。

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2014年7月27日 (日)

シンガポール交響楽団再訪

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 またシンガポール交響楽団を聴いてきました。いつもながら素晴らしいオーケストラだと思いました。私にとっては先週聴いたスイスロマンド管より上です。日本のオーケストラもなかなかで、日本人のいいところを感じさせますが、シンガポール交響楽団はより広くアジアを感じさせます。方向として何となく中国を思わせるのは、中国系の奏者が多いからだけではなく、やはりアジアの源は中国だからなのではないかと思います。ただ、古の中国ではなく、近代的で都会的な中にもっと抽象的な感覚としてあるように思います。

 このオーケストラのいいところを言葉で伝えるのはむずかしいのですが、思いつく言葉を並べてみます。柔らかく暖色系の響きに十分な余裕がり、大きな音量になっても硬くなったり荒くなったりすることがなく、小さな音量でも響きがやせることがありません。バランスが良く、オーケストラが一体となって美しい音色で良く歌います。どのパートも見通せるような精度の高さを保ちながら、ここぞという時の盛り上がりは、他ではなかなか聴くことができないものです。機能性も一級で、どんなパッセージも滑らかに進んでいきます(このあたりもアジア的です)。シカゴ交響楽団の機能性をそのままに、重戦車のような直線的な強大さに代えて、曲線的でアジア的な穏やかさや潤いのある音色を持っているといったところです。

 今回の会場は、四年間の更新が終わって今月再オープンされたヴィクトリアコンサートホールです。883席と小さめですが、響きがいいので、かつてはシンガポール交響楽団の本拠だったところです。三列目で聴きましたがなるほど良いホールだと思いました。最近のまんべんなく響くホールに比べるとわずかに偏りがあって、管楽器などに響きが乗らないところがありましたが、席が違えばまた違うのでしょう。

 スポンサー付の演奏会で、終演後にロビーで茶菓がふるわれました。きちんとした服装の人達が多く、落ち着いた雰囲気でした。一曲目は、スポンサーのSingapore Institute of Managementの50周年を記念して、この演奏会のために書かれたものです。若い音楽家のための演奏会ということで、シンガポールの若手サキソフォーン奏者がイベールを吹きました。溌剌としながらも落ち着いた演奏でした。後で読んだら16才とあって、ちょっと驚きました。

President's Young Performers Concert
 指揮 Jason Lai
 サキソフォーン Samuel Phua

タン: Aspiration Overture
バーバー:弦楽のためのアダージョ
イベール: Concertino da Camera
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
ジョン・ウイリアムス:Escapades from Catch Me If You Can
コープランド:アパラチアの春

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2014年7月19日 (土)

難聴予防をするスイスロマンド管の奏者

Swiss


 また韓国での話題ですが、スイスロマンド管弦楽団の演奏会に行ってきました。指揮は山田和樹さんです。軽い曲目の気楽なコンサートでしたが、ここでまず報告したいのは演奏ではありません。写真を撮ってきましたが、クラリネットの席の後ろにボクサーがスパーリングの時にかぶるヘッドギアのようなものが置いてあります。

 金管や打楽器の大音量から耳を守るために耳栓をしたりアクリル板を置いたりするのはもう一般的のようで、隣のホルンの席などには頭の後ろに透明なアクリル板が置いてあるのが見えます。このヘッドギアのようなものも同じ目的だとすると、ここまで目立つものは初めてです。この日はリムスキー・コルサコフのシェヘラザードが演奏されましたが、打楽器群がドカンと鳴るところになると、クラリネット奏者がこのなかに頭を避難させていました。金管だけのところは使っていませんでした。

 何だか椅子がおかしいなと思っていたのですが、写真で椅子を二つ重ねている席がいくつかあったことがわかりました。ここには写っていませんが、弦楽器でもそうしている奏者がいました。ホール備え付けの椅子だと低かったのでしょうか。不安定でがたがたしそうですが、ヘッドギアと同じように合理的な発想なのでしょう。

 演奏の方は快調でしたが、二曲目のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を弾いたClara Jumi Kangには感心しました。後で調べたら、ドイツ出身で、4歳で音楽学校に入り、5歳でハンブルク交響楽団と共演して、7歳でジュリアードに入学というとんでもない経歴の天才少女だったそうです。抑制されたなかに切れ味がある聴き応えのある演奏でした。この曲で深い静けさのようなものを感じさせるところなど相当な音楽家です。ついでに一曲目はオネゲルのパシフィック231でした。


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2014年4月27日 (日)

リングキーのピッコロ

Picc02b

 インターネットで古いビュッフェ・クランポンのD♭ピッコロを手に入れました。使用不能の状態でしたが、何とか使えるかなというところまで修復してもらいました。キーの開きなども何度か調整してもらい、少しずつ安定してきましたが、音程が難しい音や出にくい音がいろいろあります。楽譜を半音低く読まなければならないのもめんどうですが、こまやかな音色がなかなかいいです。高い音を強く吹いても耳が痛くなりません。リングキーのためか音の替わり目がくっきりしているのも気に入っています。写真のように見た目もとても優美です。

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 頭部管は金属の内張りがあり、反射板はコルクがむき出しです。歌口の穴はフルートとほとんど同じ大きさです。もともとピッチの低い楽器だったのか、頭部管を短くけずったようにも見えます。音程のバランスが今一つなのはこのためかもしれません。写真にあるくらい抜いてA=442です。

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 いったいいつごろの楽器なのかわかりません。インターネットで調べると、アメリカの楽器博物館にビュッフェ・クランポンのピッコロが何本かあるようですが、似たような製造番号のものはありませんでした。ビュッフェクランポンにも問い合わせてみましたが、今のところ返事はありません。

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 ようやく手になじんできました。楽器が鳴るようになってきたというより、人間の方が楽器に慣れてきたといった感じです。何とか使いこなせるようになりたいと思っています。

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2014年1月 1日 (水)

写真日記:インドのベジバーガー

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 五年振りにインドに行ってきました。前回の訪問でマクドナルドのベジバーガーを食べたのですが、写真を撮っておけばブログに載せられたのにと後から思い、今回はちゃんと撮ってきました。到着したデリー空港で、乗り継ぎの待ち時間です。インドのベジバーガーについてはインターネットにもたくさん載っていて目新しい情報ではありませんが、私のブログを見に来てくれる人は知らないかもしれないので、掲載することにしました。

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 名前はマックヴェジーで、簡単に言うとカレーコロッケバーガーです。辛さはほどんどないので、辛いものが苦手な私には助かります。空港では一個300円くらいでしたが、街中ではもっと安いようです。空港のものはチーズ入りでした。あらためて食べてみるとそれほど珍しい感じはしませんでした。

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 それでも、休日に街歩きをする時など、どこで何を食べたらいいかわからないので、街角のマックはとても助かります。下の写真はラール・キラー前のチャンドニ・チョウクですが、こんなところにもマックがあってお世話になりました。

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 それにしても、五年振りのインドは何だかちょっと小奇麗になっていて、以前のようなわくわく感があまりありませんでした。たまたまかもしれませんが、物乞いや観光客相手の物売りにもほとんど会いませんでした。写真のデリーの空港にマックも、昔のインドでは考えられないピカピカさです。上の街角の写真とはまったく別です。

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2013年11月23日 (土)

AK100+Triple.fi 10 Pro その2

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 一ヶ月前にイコライザー設定について書きましたが、音が変わってきたような気がしたので、いろんな曲を聴きながら少しずついじってみました。結果は上の写真のようにちょっと違うものになりました。ケーブルのエージングだけでこれだけ音が変わったのか、あるいは他の理由なのか、いずれにしても驚きました。高音のひずみはなくなってきていましたが、調整しなおしたら全体にさらにいい音になりました。特に中音がくっきりしてきて、楽器が鳴っているという感じが伝わってきます。これからまだ音が変わっていくのでしょうか。いちいち調整しなおすのもちょっと面倒な気もしますが、様子を見てみたいと思います。いちばん高いバンドは、相変わらず差がわからないので、気分で変えてみただけです。

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2013年10月27日 (日)

AK100+Triple.fi 10 Pro

Ak100_2

 これは演奏会場で聴くクラシック音楽にできるだけ近くしようとした結果のレポートです。最初にこんなことを書くのは、ポータブル機器の音質についてあちこちに書かれていることが、私の印象とかなり違うからです。聴こうとしているものが、他の人達と違うのだろうと思います。

 自分のプレーヤーをつないでイヤホンを試せる店にAK100を持っていったことがあります。どれを使っても低音が異様に強調されてしまいます。日本製は音色にわくわくさせるようなところが欠けているとも思いました。このレポートも、クラシックには邪魔な出すぎる低音を何とかしながら、いかに音色を引き出すかというところが主です。

 AK100にER-4Sをつないで聴いていることを前に書きましたが、音色が地味なので、Triple.fiを試してみました。試行錯誤のなかで、イヤーチップとケーブルを替えました。イヤーチップはコンプライの一番小さいものです。小さいと音がくっきりするし、シリコンのイヤーチップよりおとなしく、クラシックには自然な音です。中音が粘り気味で違和感があったのですが、こちらはケーブルをNullのLuneに替えて何とかなりました。言われているように、Luneを使うと音の純度が上がります。

 問題の過剰な低音は、写真にあるように限界までイコライジングで抑えてもまだ出すぎでしたが、使っているうちにちょうどよくなってきました。アコースティック楽器の倍音はそれほど重視していないのか、高音はかなり増やさなければなりません。このあたりは、S51SEの時と同じです。

 音量を上げると高音がちょっと歪みますが、イヤホンの性格なのか極端なイコライジングのせいかは確かめていません。写真にあるように、一番高い16kHzのバンドは±0ですが、これはどう変えても何も変わらなかったからです。高音の歪が減るかと思って上げ下げしたのですが、変わりませんでした。これに一番関係するのはまんなかの1kHzのバンドで、あげると歪むし、下げるともやもやになるし、悩ましいところです。

 いろいろやってあらためて思うのは、Triple.fiの音色の鮮やかさと豊かさです。ER-4Sはソースそのままのようなシンプルな音ですが、こちらはコンシューマー向けというのか楽しませる色づけです。自然さもあり安っぽくありません。Luneに替えて音が落ち着いてくると、ちょっと暗めで重い音になりました。ピアノや室内楽での傾向は、東京文化会館小ホールの前の方といった感じです。こまかいことを言えばきりがありませんしケーブルまで含めてけっこうな値段ですが、出先でそれなりの音を聴くといったレベルを越えて、自宅のステレオに近い気持ちで音楽に向き合えます。


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2013年10月21日 (月)

韓国で見かけたシャワーの栓

 ホームページのほうにいろいろな形の蛇口に惑わされる話を書きましたが、久しぶりに混乱させるデザインに会いました。韓国のゴルフ場の風呂場にあったシャワーです。衝撃が大きかったので、風呂場にスマホを持ち込んで撮ってきました。ほとんどの混合水栓がハンドルを時計まわりに回すとお湯になるようになっていますが、私の場合は、そういった経験則よりもどうしても視覚の情報が優先してしまいます。赤と青の印がハンドルの上にあり、それがあまりに大きいので、反時計回りがお湯に決まっていると感じでしまいます。お湯を期待しながらハンドルを右に回し、水が出てきてあわてました。普通の人はそんな失敗はないのだろうと思います。

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2013年10月 9日 (水)

ドイツ日清のカップ焼きそば:ドイツ弾丸旅行その4

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 写真はベルリン中央駅のスーパーマーケットで見つけた日清焼きそばです。旅行中はこういった携帯食が便利なので、一つ買いました。値段は日本円で200円くらいでちょっと割高ですが、何よりパッケージが値段を忘れさせる素晴らしさです。食べ終わって捨ててしまうのがもったいないくらいです。

 黒のプラスチック製で、ふちのまわりのフィンは、たぶん持つときに熱くないようにということなのでしょう。黄色のキャップとの対照が印象的です。ラベルの図案もきまっています。キャップの端に湯をきる時の穴が開いています。まるで精巧な工業製品のようなイメージです。

 インターネットで調べたら、日清食品のサイトにドイツ日清発の新ブランド「Soba」と出ていました。ドイツ在住の日本の人達のブログでもいくつか見かけたし、食べるところの動画まで投稿されていたので、日本人の間ではそれなりに話題になっているようです。説明は独、仏、蘭の三カ国語だったので、これらの国で売っているのかもしれません。味は普通のカップ焼きそばでした。


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2013年9月16日 (月)

カスパー・ダヴィット・フリードリヒ:ドイツ弾丸旅行その3

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 今回の旅行のおまけの目的が、カスパー・ダヴィット・フリードリヒの絵を観ることでした。出会いははるか前の学生時代にさかのぼります。上の写真のレコードジャケットでした。こんなに穏やかで満ち足りた絵があるのかと思ったものです。ジャケットの説明にドレスデンの美術館にあると書いてあったのが頭に残っていました。「ドレスデン近郊の大狩猟場」という絵です。

 今回の旅行でドレスデンに行くことにした時に思い出して、この絵を見てみようと思いつきました。調べたら、ドレスデン出身の画家だということがわかりました。また、ベルリンの古い方の国立美術館にもまとまったコレクションがあることもわかったので、街の観光は後回しにして、美術館めぐりをしてきました。ベルリンでは同時代の画家達の絵もたくさん観ることができて、革命の時期のドイツの時代性など何となくわかってきました。古い絵画からより表現的に変わっていく先駆者だったようです。美術史的にはドイツロマン派ということになるようです。

 下のシュライヤーのレコードも彼の絵なのですが、正直なんだか素人みたいな絵だなと思っていました。この絵はベルリンにありました。実物をよく見ると、木の下に羊飼いと羊の群れがいます。また、遠い街も描きこまれていました。風景を題材にしていても、どこかに人物や物が意味ありげに描きこまれていることが多く、それに気がつかないと絵の意味がなくなってしまいます。「大狩猟場」にも舟が小さく書かれていますが、ここでは例外的に風景のなかに溶け込んで違和感がありません。

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 調べるなかで、ドイツのレコードのジャケットで見覚えのある絵が彼の作品だということがわかりました。下の二つも彼の絵の一部が使われていますが、かなりインパクトがあります。平和な「大狩猟場」とはまったく違った不気味な絵で、同じ画家とは思えないくらいです。あるサイトに「宗教的含意をふくむ風景画によって知られ、自然の冷酷さと死のイメージを重ね合わせた作品が多い事でも知られています。」とありました。そういった内容を表現するために、正確な写実性ではなく、平坦な描き方をすることが多いようです。細かく書き込まれた「大狩猟場」のような絵はむしろ少数です。

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 深刻な内容なのに画風が多少安っぽく見えてしまうのは、宗教的なところを含めて私にあまりなじみのない世界だからかもしれません。レコードジャケットにたくさん使われるくらいですから、ドイツ人にとっては大切な画家なのでしょう。また、彼らにとって、音楽につながる世界なのかもしれません。それでも、これらの美術館にあるフランス近代の絵などと比べてしまうと、どちらが素晴らしいかではなく、単純に見栄えで負けてしまいます。せっかくの印象が薄れないように、他のジャンルの絵は素通りしてきました。

Dcf011


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2013年9月14日 (土)

シュターツカペレ・ドレスデン演奏会:ドイツ弾丸旅行その2

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 ベルリンからドレスデンに移動して、その晩にこれも念願のゼンパー・オパーでシュターツカペレを聴きました。ティーレマン指揮で、ブルックナーの5番とトーマス・ハンプトンが歌ったアイスラーです。

 シュターツカペレを初めて聴いたのはもう30年ほど前です。ブロムシュテットの指揮でしたが、なんと素晴らしいオーケストラなのだろう驚きました。もう一度聴きたいとチケットを買ったこともあったのですが、その時は出張が重なって行けませんでした。今回実に30年振りです。レコードやCDはいろいろと聴いていたので、いつかゼンパーオパーで聴きたいと思っていた夢がかないました。

 演奏が始まって聞こえてきた音が思っていたのと少し違って、ちょっと戸惑いました。少し古びた響きで、音色のあざやかさがあまりありません。前日にフィルハーモニーでベルリン・フィルを聴いたばかりなので、なおさらそう思えたのかもしれません。会場の音響はくせのない落ち着いたものだったのですが、シュターツカペレ独特の音の立ち上がりがあまり感じられません。オーケストラが一体となった絶妙なアインザッツからフレーズがすっと立ち上がるあの感じがないのです。もしかしたら高い倍音が聴こえにくい会場なのでしょうか。席は平土間の9列目のほぼ中央で、席からの写真を載せておきますが、細かいところまで聴こえてきていい場所です。弦楽器は立体的に聴こえてくるのですが、管楽器やティンパニが少しひっこんでいています。木管はわずかにつまったような音で、溶け込まずに浮いて聴こえるので、ちょっと気の毒に思いました。

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 シュターツカペレの大きな特色は、高い音ほど音程を高めにとる独特の感触だと思っていました。ドイツには音程を高めに取るオーケストラがいろいろありますが、シュターツカペレは音程の精度が高いので、澄んだ音色とあいまって抜けの良い独特の響きがありました。聴いているレコードやCDはだいたいが30年以上前の録音なので、オーケストラ自体も変わってきているのかもしれません。確かに最近の録音などではあまり感じられなくなっていたような気もします。

 それでも、弦楽器の自然な歌い方や、本当に素晴らしい内声の運び方は変わりません。直線的なベルリン・フィルにはない、曲線的と言っていいような自在さもそのままでした。それでも、どうも音色が気にかかります。それぞれの楽器の聴こえ方が違うので、絶妙なバランスも今一つ聴き取りにくいところがあります。

 最近の高性能なオーケストラがこれでもかというほど鮮やかな演奏をするのに慣れてしまうと、この晩に聴こえてきた響きに耳を傾けにくくなっているのかもしれないと反省しました。ベルリン・フィルのところで書きいたように、私は音色にこだわりすぎるのかもしれません。レコードやCDは、まずは音響的な魅力が最大になるようにできています。あちこちの新しいホールも、鮮やな響きが耳を捉えます。こういったことは音楽の出発点でしかありませんが、今ではそこからでないと私にとって音楽が始まらないようになってしまっています。

 ティーレマン指揮のブルックナーはていねいで演奏で、落ち着いた音楽がゆっくりと進んでいきました。ハンプトンのたくみな声で歌われたアイスラーは、もしかするとドイツ語で表わされている感情が音楽に吸い上げられるとこうなるのかもしれないと思わせました。音楽と歌詞を一つのものとして聞くことが不得手なうえに、ドイツ語がしゃべれないので歌詞の意味もほとんどわかりませんが、詩が向かおうとしているところへ音楽が運んでいってくれるような気がしました。これも何かのきっかけになればと思います。

 アイスラーのアンコールでは、ティーレマンが指揮台から何か説明しながら、曲のあちこちを演奏しました。カメラが10台近く入る大規模な収録が行われていまいたが、そのための撮り直しを兼ねていたわけでもないと思います。演奏が終わって拍手を受ける時のティーレマンが、指揮台に飛びついたり、子供っぽく目をくりくりさせたりしていました。ちょっと変わった人なのかもしれません。

 ブルックナーの長大な緩徐楽章で、時差ぼけでもうろうとしてきました。残念ですが、強行日程でこれくらいはしかたがありませんでした。いろいろ書きましたが、心の底に何か重いものが残り、それが何なのかまだ考えているところです。最近のシュターツカペレの録音を聴いて、ここに書いたよいうなことを反省を込めて確かめてみるつもりです。この晩に収録されたものを見る機会があればそれに越したことはありません。


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ベルリン・フィル演奏会:ドイツ弾丸旅行その1

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 20年くらい前にウィーン・フィルを聴くためだけにウィーン二泊旅行をしたことがありますが、今回はベルリンとドレスデンを三泊でまわってオーケストラ演奏会をはしごしてきました。まずはベルリン・フィルを聴くために、飛行場から荷物を抱えてフィルハーモニーに直行です。いつかはここでベルリン・フィルを聴いてみたいと思っていました。

 ラトルの指揮を二晩続けて聴きました。二晩目が定期演奏会に相当するもので、インターネットで実況中継されるものです。一晩目は、同じプログラムでの特別演奏会のようなものらしいです。どちらも一番高い席を奮発しましたが、最初の晩はホール中央下手寄り。二晩目が5列目中央というオーケストラと至近距離で向き合うところです。

 意外にさっぱりした響きのポールだなというのが第一印象でした。最近はたっぷりとした響きのホールが多いのですが、それらと比べると時代を感じさせます。カラヤンの録音などを聴いて、低弦がずしんと鳴るのかなと思っていましたが、反対でした。オーケストラ自体も、筋肉質でひきしまった響きです。

 アバドはカラヤンの路線をうまく継承したと私は思っています。二人とも音の表情を切り詰めていく指揮者ですが、その方向が私には似ているように思えるのです。二人とも、重たくはないのに密度の高い音をオーケストラから引き出しましたが、アバドは、カラヤンに残っていたドイツ風の重厚さのようなものを取り除いて、いわゆる現代的な音に作り変えました。ラトルはほぼそのままの方向に進んでいて、音の強靭さをさらに増しきています。フレーズの伸び縮みもあまりなく、機械を組み立てるように音楽を作っていくと、現代的ともいえる独特の張り詰めた風情が生まれてきます。

Philharmony022

 一日目は席のせいか、オーケストラが今一つ迫ってきません。上が席から撮った写真です。凄いオーケストラだけど、驚くほどではないように感じました。管楽器は世界的な奏者達ですが、オーケストラのなかでは意外に目立ちません。オーケストラの音の密度を損なわないように響きを作っているのではと思いながら聴いていました。余計にはふくらまない低弦と同じような感じで、このあたりは徹底されているのかもしれません。ただ、こういう強力で高性能なオーケストラで突進するモーツァルトとかベートーヴェンを聴いてもしょうがないかもしれないとも思いました。

 フィルハーモニーの今年のレジデントであるバリトンのクリスチャン・ゲルハーヘルがマーラーのさすらう若人の歌を演奏しました。語るような歌いまわしで、母音の伸び縮みにオーケストラが時々ついていけません。いつも一緒にやっているはずなのにどうしてなのでしょうか。最後のところなどは、ベルリン・フィルとは思えないくらいがたがたになりました。歌と伴奏は必ずしもぴったり合っていなくてもいいのですが、コントロールされたものではなく何となくずれてしまっているような感じです。他の曲でも、ちょっと気が抜けたように緊張感が薄れる所がところどころに。それでも、最後のグラゴル・ミサでは、合唱、独唱、オルガンと大編成のオーケストラで、これがラトルとベルリン・フィルというところを十分に見せました。

 二日目はほとんどかぶりつきのような席です。フィルハーモニーは座席の勾配が大きいので、写真のように舞台と同じくらいの高さです。オーケストラと間近で向き合って、この強力なオーケストラを全身で受け止めるような場所です。音量も当然かなり大きく聴こえますが、大音量のところでは響きが飽和して露出過剰の写真のようになってしまいます。それにしても、伝わってくる気合いが前日とぜんぜん違いました。席が違うだけでこんなに差があっていいのでしょうか。しかも同じ値段の席です。この圧倒的な響きでモーツァルトやベートーヴェンを聴くのもいいかもしれないと思い直しました。もしかしたら、オーケストラがこの日は本気だったのかもしれません。前日に今一つだったマーラーも、ぴたりとまではいきませんでしたが、かなり改善されていました。席のせいではないのだとしたら、昨日のお客さんは損したことになります。

Philharmony031_2

 オーケストラの後ろの両側に縦に線の入った台形の面がありますが、どうやらパイプオルガンのスウェルボックスのようで、扉が開閉することがわかりました。オルガン本体と離れた場所にあるのは珍しい配置です。


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2013年9月 1日 (日)

ソウルフィルハーモニー

Seoul_phil


 ソウルアートセンターでチョン・ミョンフンが振るマーラーの九番を聴いてきました。この組み合わせは六年前に続いて二回目です。いま一つだったのは安い席のせいだったかもしれません。1階11列といいところなのですが、壁から3席目です。10席も離れていない一番値段の高いR席と比べると三つ下のB席で、値段はR席の何と四分の一とかなりお買い得です。音がそんなに違うはずはないと思うのですが、値段設定から考えると違うのかもしれません。たしかに音の抜けが良くありません。ソウル・フィルの音色自体が地味なので、どうもぱっとしません。前はとてもいいホールだと思ったのですが、こんなだっだかなと思ってしまいました。一ヶ月前に聴いたシンガポール交響楽団の方がかなり上です。

一曲目はメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲だったのですが、ソロの聴こえもちょっと遠いです。どちらかというと淡白なソロで、オーケストラもがさついていたので、何も起こらないまま終わったという感じでしたが、拍手は盛大でした。

 このオーケストラの弦楽器は、それぞれが思い入れたっぷりに弾くのが特徴のようで、そのせいか音の出だしも音程も幅があります。細かいところがだんごになってマーラーらしさが出てきません。コントラバス12本の大弦楽器群ですが、数が多いだけそろいにくかったように思います。六年前のブラームスではそれほど気にならなかったのですが、マーラーだと都合が悪いです。音色が地味なのもマーラー向きとは言えません。やっと四楽章になってたっぷり歌えるようになると、がぜんいきいきしてきて、最後まで豊かな流れが続いていきました。これでまた大騒ぎの喝采かとちょっとうんざりしていたのですが、曲のせいか意外にもそれほどでもありませんでした。

 フルートが美人だなと思っていたら、演奏もとびぬけて立派でした。調べたらGloria JeeEun Parkという人で、女優のようなホームページまでありました。ヤマハの楽器らしいですが、自在にあやつっていました。ゴールドフルートは音色の幅が広いので、最近は彼女のように音色を駆使するフルート奏者が多いですが、私はちょっとやりすぎのように思っています。今回はマーラーだしぎりぎりといったところです。管楽器は総じて達者でしたが、オーボエにもうちょっと音色の魅力があるとだいぶ違ったのではと思います。もっとも、席のせいだったかもしれません。

 演奏会の前に、ミュージアムショップで湯のみを買いました。韓国のアートはどこかユーモラスな味があるところが気に入っています。

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写真日記:マーライオンの後姿とシンガポール交響楽団

 ソウル編に続いて写真日記第二弾のシンガポール編です。実際はこっちの方が前なのですが、順番が逆になってしまいました。マーライオンの写真はあちこちにあふれていますが、後姿は見かけないので正面とあわせて紹介します。前からみると結構怖い顔です。お尻のとこのろドアがいい感じです。

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 マーライオンのそばのホールで、去年に続いてシンガポール交響楽団を聴いてきました。あらためて素晴らしいホールとオーケストラだと思いましたが、これだけ客の少ない演奏会も珍しいです。桟敷は学校の生徒が団体で来ていてびっしりだったのですが、空席ばかりなので呼んだのでしょうか。それをのぞくと二割もいっていなかったかもしれません。私は二階のバルコニー席を買ったのですが、まわりは誰もいません。今回も指揮は藍水で、オーケストラともども客の入りを気にするそぶりもなく、いたって快調でした。前回はそれなりの入りだったのに、どっちが普通なのかわかりません。

 誰もいないことをいいことに、前回のブログで紹介した音響調節用のドア(reverberation chambers)の写真を撮ってきました。ホールのまわりをぐるっと取り囲む白い壁がこのドアでした。ドアの表面にも突起があるのは、音の反射を考えているのでしょうか。ホールの後ろのドアが開け気味になっていました。

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 椅子が固定されおらず、好きな角度に向けられるようになっていました。ボックス席を一人で独占したような贅沢な気分でした。

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2013年8月 4日 (日)

写真日記:梨泰院のJazz

 手のひらよりも小さいNikon COOLPIX S01を買って持ち歩き始め、面白がってあちこちで撮っています。性能は携帯電話のカメラよりちょっとましといった程度ですが、ズームで画角も変えられるので、広角すぎて間延びしないようにもできます。

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 今回はソウルのイテウォンにあるALL THAT JAZZに行ってきました。イテウォンにはほとんど行ったことがなかったのですが、面白い街です。ソウルで賑わっている場所は、新しくてすっきりきれいな建物ばかりが目につくのですが、ここの裏通りはちょっと古びていて独特な雰囲気です。なぜか私には韓国をほとんど感じさせず、ロンドンの裏通りを思い出しました。ALL THAT JAZZの建物も、形や色がヨーロッパみたいでもあります。

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 細い階段を3階まで上がっていくのですが、この薄暗い階段がなんともJAZZらしいです。六時開店で最初のセットが六時半からです。六時過ぎに行ったらまだほとんど空っぽでした。PAをあまり通さない直接の音が聴きたかったので、スピーカーを避けてピアノの前に座りました。他には若い女の子のグループが数組だけといった状態だったので、こんなので大丈夫なのかと心配になりました。土曜の午後の空が大きな窓からきれいに見えて、私の気分は完全にロンドンです。演奏が始まる頃にはさすがに少し客が増えてきましたが、相変わらず女の子ばかりです。しかも、ジャズを聴きに来たという様子でもありません。ソウルはどこに行っても若い女の子ばかりです。

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 この日の最初のセットは、Kim Changhyeonというベース奏者と、ピアノとギターとドラムです。後でインターネットでしらべたら、Kim Chang Hyunという名前でも出ていました。店のホームページに出演者の略歴などが出ているのですが、この人も含めてやたらにバークレー出身が多いです。大学の先生をしているのも、この人を含めて何人かいました。

 演奏はかなりというか相当良かったです。休憩をはさんで30分くらいずつ二回、それぞれ二、三曲を途切れずに演奏しましたが、緊張がはりつめて弛むことがありません。現代音楽に近い抽象的なところとモダンジャズが混ざったような音楽でしたが、私はJazzに詳しくないのでこういうのをなんと言うのかわかりません。ギターとベースはどちらもエレキで、エフェクターを多用したドローンのような漠然とした響を多用していたのが印象的です。あるいは、短い音形を延々と繰り返しながら、その上にピアノやギターがテンションの高い即興します。結構興奮しました。こういうシリアスな音楽は後ろで聴いている女の子達にはわかりにくかったはずです。演奏中もおしゃべりの声が聞こえてきました。

 ニューヨークのヴィレッジヴァンガードにかれこれ三回だけ行ったことがあるのですが、あそこ以外ではJazzじゃないとさえ思っていました。東京や上海でも聴きましたが、やっぱり何かしっくり来ません。今回のソウルは今までで一番と言ってもいいくらいです。ヴィレッジヴァンガードのJazzはニューヨークという街を含めて聴くようなところがあります。世界中の大都市がどこも同じようになってきていますが、今回のソウルのものはそういった場所の音楽として、もっと洗練されて純度の高いものです。オーケストラと同じように韓国らしさがどう出ているのかと思って行ったのですが、まったくそういったことを感じさせませんでした。

 演奏が終わる頃には客席も満員になって、ガイジンさんも来始めました。二番目のセットは少しポップなもののようだったので、せっかくの印象を消さないように聴かずに帰ってきました。

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2013年7月24日 (水)

AK100

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 出張先でゆっくり音楽を聴きたくなった時に、タブレットやスマホの音では物足りなくなってきました。もう少しいい音のものはないかとネットで探していて見つけました。なかなかいいです。

 最初は甲高い音だったのですが、三日三晩鳴らし続けたら落ち着いてきました。CDをリッピングして聴いています。タブレットなどだとFLACやWAVよりMP3の方が鳴りがよかったりするのですが、さすがにそういうことはありません。MP3は聴く気がしなくなったくらい違います。サンプリング周波数のさらに高い音源も試してみましたが、確かに解像度は上がるのですが、音色があまり変わらないので私にはそれほど意味がなさそうです。CDのリッピングくらいがちょうどいいところかなと思っています。

 イヤホンは、写真にあるEtymoticのER4Sにしました。手持ちの他のものも試してみたのですが、高音はこもり、低音はふやけてしまいました。AK100にはイコライザーもついていますが、ONにすると音がぼやけるので使えません。イヤホンに合わせた音質調整をあきらめなければならなかったので、ER4Sがそれなりに相性が良かったのは幸運でした。ER4Sは低音があまり出ませんが、AK100との組み合わせでは不足というほどではありません。

 クラシックしか聴きませんが、最後はER4Sに戻ってくることが多いです。イヤープラグは、写真にあるように一番小さいものにしました。鼓膜に近くなるせいか、響きがくっきりします。遮音性もかなりあるので、音が変質するノイズキャンセリングなどを使わなくてもすみます。

 AK100とER4Sの組み合わせでは、とにかく解像度と臨場感で聴かせます。イヤホンの直差しでは音像が小さいのはしかたがないので、臨場感といっても舞台からやや離れた席で聴いていることを想像しながらだとその気になって聴けます。音色は地味というか落ち着いていますが、モノトーン気味です。音色の鮮やかさやグラデーションの細かさは据え置きのシステムとは差がありますが、そこまでのぞむのは酷です。どこかで聴いた音色だと思ったら、以前使っていたセレッションのブックシェルフスピーカーに似ています。解像度が決め手なので、ちょっともっさりした録音のCDからだといい音になりません。

 三十分くらいすると熱をもってきて、それくらいになると音がすっきりしてくるような気がしますが、差があるとしてもわずかです。


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2013年2月17日 (日)

KBS交響楽団演奏会

2013年2月14日(木)KBSホール
指揮:Lee Byungwook
ヴァイオリン:Kim Dami
チェロ:Song Young Hoon
ピアノ:Kim Jeongwon
バリトン:Kai

  シューマン 交響曲第一番
  ベートーヴェン 三重協奏曲

 KBS創立40周年記念演奏会で、FM放送のための公開録音です。ソウルに行く前に音楽会を探していて、KBS交響楽団のホームページで見つけました。入場無料とは出ていたのですが、KBSのFM放送へのリンクがあるだけで、どうやって申し込めばいいのかわからず、問い合わせ先もはっきりしませんでした。結局、だめもとで出かけて行ったのですが、やはり事前に申し込んでいないとだめでした。全席指定で満席です。ここであきらめないでいると何とかなることが多いことを経験しているので、ドアの前に物欲しそうに立っていたら、責任者らしい男性が来て、立見でよければどうぞと言ってくれました。大いに感謝してお言葉に甘えさせてもらいました。

 会場はKBSの放送局のなかにあるホールです。渋谷のNHKホールのようなものです。1842席とそれほど大きいわけではないですが、舞台は間口も奥行きもかなりあります。前半は前から15列目の端から三番目に空席があったので、そこにもぐりこませてもらいました。後半はそこよりちょっと前のドアのくぼみに隠れて立って聴きました。アナウンサーの司会で進行する気楽な雰囲気のもので、お客さんも曲の合間などに携帯やスマホで写真を撮っていたので、私もそのドアのところから撮ってきました。今のスマホは暗いところでもそれなりに撮れるものです。

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 広い舞台の中央までオーケストラが引っ込んでいて、コントラバス4本の小さめの編成だったこともあり、どうしても遠くで鳴っているという感じです。ホールの響きとしては、東京フォーラムの大きなホールに近いかもしれません。木管楽器がフレーズの最後で音が小さくなっていくと、本当はもう少し延びているはずのところが途中で聞こえなくなります。あるいは、響きが豊かだと、少しぐらい音がずれていてもかえって音が膨らんだりするのですが、こういうホールだとちょっとがさついて聞こえてしまいます。座った場所と立った場所でも、あまり変わりませんでした。やっぱり、できれば前の方で聴く方がホールの性質の影響が少ないので安全です。なぜか、かえりと呼ばれる演奏者用の補助スピーカーがいくつか置いてありました。

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 演奏はしっかりしていて、それなりに楽しむことができました。後半のトリプルコンチェルトでは、PAがちょっと入っているのではないかと思うくらい、ソリストの音が良く聞こえました。ソリスト達の演奏が立派だったので、後から調べたら海外で活躍している一流の人達でした。最後は司会も兼ねていたバリトンのKaiが、オーソレ・ミオ、フニクリ・フニクラなどを配られてあった歌詞カードで客席と一緒に歌い、大いに盛り上がりました。とても人気がある歌手だということがこれも後で調べてわかったのですが、素晴らしい声でした。

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2012年10月21日 (日)

シンガポール交響楽団

2012年10月19日(金)Esplanade Concert Hall
指揮:水藍
チェロ:リン ハレル

  ヴォーン・ウイィアムス トマス・タリスの主題による幻想曲
  ブラームス セレナーデ第二番
  R・シュトラウス 「ドン・キホーテ」

 シンガポール出張の時になかば強引に時間を作って行ってきました。想像していたよりもはるかにいいオーケストラで驚きました。指揮は水藍(Shui Lan)で、去年の上海交響楽団を聴いた時の指揮者です。その時はこれといった印象はありませんでした。今回も見た目はそれほどぱっとした指揮振りでははなったのですが、出てくる音は全然違いました。プログラムによると、シンガポール交響楽団の音楽監督になってもう15年で、オーケストラのレベル向上に多大な貢献をしているとありました。

 場所は2005年にこけら落としした最新のEspelanade Concert Hallです。果物のドリアンに似た外観でも有名ですが、雰囲気と音響の素晴らしさは、あちこちの新しいホールのなかでも特にすぐれたものです。ウィキペディアによると、9500m3の残響室が周囲にあって、コンピューターでコントロールされた84基のドアで調整されているそうです。サントリーホールにさらにあざやかさと温かさを加えたような響きでした。内装がまた凝っていて、古代建築を連想させるような、どこか別の時間にいるような独特の雰囲気があります。インターネットで写真を見ることができますが、この空間の広がりは写真では伝わりにくと思いました。こっそりホールの写真を撮れないか思っていたのですが、入口の手荷物検査でカメラは預けさせられました。

 もしかしたら日本のオーケストラよりもいいかもしれないと思いました。N響などは本当に細かいところまで行き届いた演奏をしますが、このオーケストラはそこにさらに豊かさと自由さが加わったようないきいきとした表情があります。かといって勢いで細かいところの精度が落ちることもありません。韓国のオーケストラのように、やや前のめりになることもなく、大人の落ち着きがあります。練れた音色は世界の名オーケストラのレベルで、これにはホールの素晴らしさもかなり関係しているのでしょう。R・シュトラウスの複雑で精緻で透明な音楽を、まさにスコアが見えるように、しかも室内楽的な静けさまで感じさせた指揮者とオーケストラの力量には特に感心しました。

 団員は中国人が中心で、欧米人が少し入っていて、名簿では日本人と思われる奏者も二人いました。ソロを弾いたヴィオラ奏者の紹介がプログラムに出ていましたが、中国出身でした。指揮者も中国出身だし、もしかしたら中国から優秀な奏者が移ってきているのでしょうか。シンガポールの音楽教育のレベルがどの程度か知りませんが、これまでに聴いた北京や上海のオーケストラとは段違いの実力です。

 客の入りは6、7割と行ったところでしょうか。これなら当日券でも入れそうだし、また聴いてみたいオーケストラとホールです。シンガポールでこれだけ上質の時間が持てるとは思っていませんでした。ついでですが、Esplanadeという名前をシンガポールの人が言う時の、エスプラの後が聞き取れません。今度教えてもらおうと思っています。


Esplanade

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2012年8月 3日 (金)

アジア・フィルハーモニー管弦楽団2012

2012年8月2日(木)サントリーホール

 2007年に聴いた時にくらべて、オーケストラとしての一体感が出てきたような気がしました。勘所をしっかり押さえた指揮と演奏はさすがで、未完成とエロイカを堪能することができました。じっくりと落ち着いていながら、これだけ心のたかぶりのようなものを感じさせる演奏にはなかなか出合えるものではありません。

 未完成が始まってしばらくの間、演奏のイメージがつかめず、ちょっと戸惑いました。私が思っている未完成よりも陰影の度合いがそれほどでもなかったからかもしれません。焦点をしぼる時間のが欲しかったので提示部を繰り返してくれないかなと思っていたら、そうしてくれました。そのおかげでだんだんと気分が出てきてました。私の勝手な連想ですが、ハンガリーやチェコのような雰囲気が頭に浮かんできました。角が立った立体的ものではなく、大筋では前回と同じで、重たさがなく暖色系の印象です。おだやかな日差しの野原で聴いているような気分です。こんな未完成もあるんだなと思いながら聴き進みました。

 どこをとっても音楽が充実していて、起承転結も見事にコントロールされていました。曲がどこまで進んできたのかちゃんと感じさせてくれるので、よけいな気を遣わず安心していられます。本当の頂点までじっとこらえている内部の緊張感と頂点に達した時の大きな広がりが、音楽の奥行きを生んでいました。さすが、チョン・ミョンフンです。これを可能にするオーケストラの表情の柔軟さ、音量のレンジの広さも印象的でした。

 エロイカも基本的に同じ演奏ですが、曲の規模が大きいので、さらに盛り上がりました。ファーストヴァイオリンやコントラバスやティンパニの勢いに引っ張られて、全体が大いに盛り上がりました。そういった時でも、音ばかりが目立つようなことにはならず、音に込められたものの方がいつでも音以上に語っていました。

 チョン・ミョンフンのフレージングは細い糸のようなところから始まって、真ん中がふくらんで、最後にまた細い糸のようになるところが一つの特徴です。この始まりと終わりの部分は音量を抑えるだけではなくテンポも伸びるので、特に管楽器などはぴったり合わせるのは大変はなずです。今回の管楽器は派手さはありませんが、こういった細かいところまで行き届いた息の合った演奏を聴かせてくれました。一方で、金管が拍を刻むようなところは短めの音にすることがあり、古楽器風のような軽快な表情がありました。今までのチョン・ミョンフンはテヌート系の印象ばかりだったので、ちょっと意外でした。弦楽器の内声に柔らかな厚みがあるのは前回と同じで、これがこのオーケストラの独特の響きにつながっているように思いました。

 影をほとんど感じさせないところや、音楽の進んでいく勢いは、今回も韓国のオーケストラの性格そのまま引き継いでいます。


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2012年3月23日 (金)

S51SEとアンドロイドな日々:Triple.fi 10

Foam2

 スマホとイヤホンでどこまでの音が出せるのか、引き続き試してみました。ついでに新しいイヤホンも欲しくなり、Triple.fi 10がびっくりするくらい安くなっていたので、さっそく手に入れました。室内楽からピアノやオーケストラまでいろいろ聴き比べながら、一番いい音と思えるところまでイコライザーを調整したところ、写真にあるように低音をかなり絞ることになりました。

  評判通りかなりの音質です。イヤホンだと音が薄いのはしかたがないと思っていましたが、イヤホンばなれした幅があります。トリプルドライバーだけのことはあります。音色もやや太めでやわらく、それでいてにじんだりぼけたりしません。JBLのように聴いていて楽しくなる音色で、聴き始めると思わずひきこまれてしまいます。長く聴いていても飽きません。

 イヤーピースは遮音性重視でフォームのものにしました。シリコンのものに変えると音も変わります。イコライザーを調整しなおすと、下の写真のようにけっこう違いがあります。シリコンの方がこのイヤホンの魅力的な中音域をより楽しめます。フォームのものでは、それに比べるとやや地味ですがより自然な音色です。

Silicon

 それにしても、クラシック用としてはよほど低音を絞らなければなりません。SCL4(E4)に合わせると、以下のようにフラットになりました。これなら音質調整のないものでもそのまま使えます。

 SCL4も悪くありませんが、比べてしまうとTriple.fi 10の方が上です。ただし、あくまでスマホとイヤホンのシンプルな組み合わせとMP3でどこまでいけるかという話で、ポータブルCDプレーヤーとヘッドフォンアンプの組み合わせのほうが一枚上ではあります。音の抜けなども、高価なオーディオとの比較で語るようなものでもありません。

Scl4

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2012年1月23日 (月)

S51SEとアンドロイドな日々

S51se

 タブレットとのデザリング用に、ソニーエリクソンのS51SEを買いました。最初は携帯型のWiFiルーターを考えていたのですが、思い切ってスマホにしてみました。使い始めたらいろいろな事ができるので、スマホ人気もなるほどと納得です。アメリカのテレビまで見ることができます。ミュージックプレーヤーとしても使えるので、さっそく試してみたら、なかなかいい鳴りっぷりです。数年前のgigabeatを通勤電車などで時々使っていたのですが、それよりもいい音です。同じく最近買ったタブレットはそれほどでもないので、全般的な技術の進歩というよりS51SEの音がいいのでしょう。

 CDから曲を転送する時に、同梱ソフトだとMP3以外はジャケット画像が転送されません。絵がないとさびしいので、320kbpsで圧縮しました(ついでに、一度転送した画像はなぜか上書きできません)。同じ曲を無損失のWAVEでも入れてみましたが、ちょっと差があるかなというくらいでした。手軽に持ち歩いて、隙間の時間にちょっと聴くというような使い方なので、この程度の差ならMP3でもまあいいかなと思います。遮音性のいいカナル型のイヤホンでも、電車やバスのごろごろという騒音がかぶって、どうせ低音などはちゃんと聴こえません。三日ほど鳴らし続けてエージングしてみましたが、音がややすっきりしたくらいで今のところあまり違いはありませんでした。

 イヤホンの選定については二転三転しています。ヘッドフォンアンプを使ってみたり、イヤホンをいくつか試してみて、これならいいかなと思うたびにこの記事を何度も書き直してきました。今のところは、SLC4(E4)を直接つないで、ダウンロードした5バンドのイコライザーのアプリで調整して使っています。イコライザーの追加による音質の劣化もありませんでした。S51SEではプリセットされたイコライザーのパターンが何通りか選べますが、それでは不十分でした。音量調節は15段階なのですが、これももう少し細かく調整できないとちょうど良いところになりません。手間がかかりますが、イコライザーで調整したりしています。

 デジタル録音の音量のグラデーションもけっこう細かく再生しますし、音楽が前に出てくる勢いがあります。音の立ち上がりや消えぎわががさがさしていたり、音量を上げるとひずみっぽい音になってしまうことなど、細かいことを言い出すときりがありませんが、この小ささと値段から考えると大したものだと思います。

 アンドロイドの面白さが気に入って、ドロイド君の人形まで買ってしまいました。家内が、鉄人28号のぱくりだと言います。デザイナーは有名な人らしいのですが、子供の頃に鉄人を見たに違いないと言っています。たしかに、つのを取ってとさか?をつけると、そっくりな気がします。

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2011年11月 5日 (土)

MC09B

Mc09b

 たまにLPも聴くのですが、これまで使ってきたオルトフォンのMC20Sの音が割れるようになってきたので、交換することにしました。今ではMC20Wになっていますが、これだとかなり値段が高いので、MC09Bにしてみました。90周年記念モデルのなかのエントリーモデルとありましたが、値段は私に言わせればエントリーレベルではありません。MC20Sを気に入っていたので、エントリーモデルというくらいだから安っぽい音だったらがっかりだな、などと心配しながら使い始めました。10時間を過ぎたあたりで音が落ち着いてきて、うれしいことに性能はMC20Sよりかなり上です。技術の進歩なのでしょうか。ただし見た目は質実剛健というか、高級感はありません。

 MC20Sでは細かいところの角が丸くなってしまっていて、それがアナログの味なのかと思っていました。そこがくっきり聞こえてきて、その分だけ遠近感もはっきりしています。オルトフォンらしい自然な音色のままでCDに近い解像度といったらわかりやすいでしょうか。MC20Sの音色の華やかさに比べるとほんの少し地味ですが、生に近いとも言えます。

 LP用のシステムはただつないだだけで、手持ちの機器のレベルではこんなもんかなと思っていました。ここまでの音が出るならもうちょっとと思い、手軽にできることをいくつか試してみました。アナログプレーヤーまわりにはいろいろな調整や音質改善法があるようですが、そこまでのマニアではありません。ヘッドフォンアンプ(別項に書いたようにスピーカーは使っていません)の下に敷物を入れたり、脚の下に硬貨を入れたりして、ちょっと音の鮮度が上がりました。

 音が良くなったので、手持ちのLPをいろいろ引っ張り出して聴いています。はっきりしない録音だと思っていたものも、霧が晴れたようないい音で聴けたりします。アナログ録音は、CDでは平坦な音になってしまうので、もともとLPにかないません。デジタル録音のLPは、アナログとデジタルのいいとこ取りをしたようなとても魅力的なメディアです。

 MC09BがCDに近いと言っても、そこはやはりLPの音です。CDに比べるとレンジが限られるので、ひろがりや抜けの良さはある程度我慢して、楽器の響きの一番いいところに集中したものになります。これが場合によっては実際以上にこくのある音になります。聴く側は音色そのものに注意が向きがちになり、そこに感情移入していくのですが、これにはまってしまうと、中毒性があるのでなかなか元に戻りません。LPで聴く音楽は実際の演奏会とは別の世界だとあらためて思いました。オーディオとは多かれ少なかれそういったところがあります。

 LPでどうしてもついていけないのが、大編成オーケストラのテュッティで録音レベルが頭打ちになり、いきなりホール最後列のようなバランスになったり、反対に緩徐楽章ではかぶりつきに移動したように録音レベルが上がったりするところです。なかにはこういった調整を気づせないものもありますが、実際とは何となく様子が違います。もっとも、ピアノや室内楽だと、古い録音でもこういう違和感はありません。

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2011年9月25日 (日)

コンセルトヘボウの音響

 コンセルトヘボウ管をコンセルトヘボウで聴いてみたいと思っていましたが、やっとチャンスがありました。二ヶ月前にインターネットで予約したのですがその時点でほとんど売り切れで、前から二列目、ファーストヴァイオリン3プルト目の足元の席になりました。コンセルトヘボウの舞台は大人の肩くらいの高さがあるので、席に座ると舞台の縁を下から見上げることになります。眺めが限られるからだろうと思いますが、30ユーロと一番安い値段でした。

 こんなかぶりつきの席なのでバランスが他の席とはかなり違うと思いますが、それでもホールの独特の音響に驚きました。残響というより増幅している感じです。楽器の音がホールの中にどんどんたまっていって、音量まで増していくように感じられるくらいです。金管の入ったフォルテでは、私の席では相当な音量になりました。最前列といってもいい席だったので、目の前のファーストヴァイオリと、離れたところの他の楽器では聴こえ方がかなり違うのはしかたがありませんが、遠くの楽器でも細かいところが残響に埋もれてしまわないのが不思議です。残響が豊かでも減衰は早いのでしょうか。

 20年くらい前に、イタリアの有名なソプラノによるアリアの夕べをこのコンセルトヘボウで聴きました。時間ができたのが当日だったので、その時も最後の一枚とか言われて舞台裏最上段の一番端という席でした。オーケストラをバックにソプラノが歌い始めた時に、中音の響きが特別に強調されるので、どうなっているのだろうと思ったものです。とにかく響きの強いホールです。

 ちょっと驚いたのは、ファーストヴァイオリンのメロディーが表に出るところでは、かなり前のめりに弾いていたことです。場合によっては指揮者より先だったかもしれません。そうすることによって、ホールの中に響く時点では他の楽器とちょうどいいタイミングになるのでしょう。私の席がファーストヴァイオリンの直接音が聴こえる場所だったので気がついたのかもしれませんが、上手側にいるセカンドヴァイオリンともかなりの時差がありました。この時差を調整しながら弾くというのはかなりの熟練がいるはずです。

 マリス・ヤンソンスの指揮で、ストラヴィンスキーの詩篇交響曲とモーツァルトのレクイエムでした。合唱はオランダ放送合唱団。4回連続の最後に当たる日曜のマチネーです。合唱もオーケストラもソリストも舌を巻くくらい文句のつけようがありません。演奏とホールが作り出す暖色系の彩りの豊かな響きににどうしても耳がいってしまい、ストラヴィンスキーやモーツァルトを聴いているという実感がありませんでした。下からヤンソンスを見上げ、その上にひろがる高い天井を眺めながら、こんなに豊満なモーツァルトもあるのかと思いました。ウィーンのムジークフェラインも一度だけ聴く機会があり、これも素晴らしいホールですが、コンセルトヘボウほどホールの個性が前面に出てくるところは他にないのではないでしょうか。ものすごいホールです。

 ホールの響きに溶け込んだ管楽器の歌いまわしも素晴らしいものでした。後でホームページを見てみたら、一番フルートの女性はイギリス人で、何と1903年製のLouis Lotのフルートを使っていると書いてあります。ピッチのことなど考えると実際の演奏会で使っているのかどうか半信半疑ですが、確かにオーケストラ全体が角の取れた独特の柔らかい音色です。他の大多数のオーケストラの近代的な音色と大きく違うので、かなりのこだわりがあるのは確かだと思います。


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2011年3月23日 (水)

兵庫芸術文化センター管弦楽団第41回定期演奏会

2011年3月20日
兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール
  指揮:岩村力
  大鼓:林英哲

伊福部昭:SF交響ファンタジー第1番
山下洋輔:プレイゾーン組曲(オーケストレーション:挾間美帆)
武満徹:鳥は星形の庭に降りる
松下功:飛天遊


 墓参りで関西にいった機会に、何か音楽会はないかと探しだしました。2005年にできたばかりの若いオーケストラで、芸術文化センター(Performing Arts Center)の名から、PACと呼ばれているようです。どうかなと思いながら足を運んだのですが、指揮者ともども終始集中力の張り詰めた立派な演奏でした。コアメンバーと呼ばれる団員の他に、主要ポストに他のオーケストラの主席奏者などを呼んでくるという体制ですが、奏者全員の一体感、音楽に対する誠実な態度が演奏をとてもすがすがしいものにしていました。現代日本の作品ばかりの正味で二時間を越えるプログラムを聴き終え、少し疲れを感じたくらい、こちらも力が入りました。

 内容から言うと二曲の和太鼓協奏曲を演奏しきった林英哲の音楽会とも言えるものでした。こういうプログラムはなかなかお目にかかれないものですが、満員の盛況でした。毎月の定期演奏会は金土日の三日連続ですが、2001人のホールをいつも満員にしているのであれば見事です。

 オーケストラのむらのない明るい音色、安定した音程とリズムに感心しました。一週間前に聴いた上海交響楽団をホームページの方で報告しましたが、PACの方が格段に上です。素晴らしいホールの響きとあいまって聴き応えがありました。これだけのものを、一番いい席でも4000円ではなかなか聴けるものではありません。
 
 ただ、どこをとっても同じような音色でなめらかに進んでいってしまうところがあります。最初の伊福部昭は、濁ったり軋んだりする音によって生きてくるところがあると思うのですが、PACのひっかかるところがあまりない演奏だと、せっかくの曲の味が外に出てきません。耳や目は楽しめるのですが、それがただ通り過ぎていくのを眺めているだけといった気分でした。これは、この演奏会全体を通して感じられました。

 今のレベルになるだけでも大変なことではもちろんですが、音楽はそこから始まるように思えます。音符ごとに響きを変え、時には細かく伸び縮みしながら、まるで話すように演奏するオーケストラが世の中にはあります。その演奏は音楽のなかの世界を感じさせます。若い団員が多いPACは、経験を積んでいくことで、遠からずそこに近づいていく可能性が十分にあります。

 林英哲の和太鼓にも、ところどころで同じように感じました。和太鼓というものは、一打ごとの音色の不均一性、あるいは西洋の楽器のようには整理されてない、いくつもの音色が重なった複雑な響き、といったものがまず最初に頭に浮かびます。また、間合いもいわゆるクラシック音楽とは違っています。この日の和太鼓の協奏曲では、曲のせいかもしれませんが、そういった和太鼓本来のものからかなりクラシック音楽寄りだなと感じました。一ヶ月前にN響で聴いたグルービンガーの、クラシック音楽的なものの一つの究極のような痛快な打楽器が耳に残っているので、それに対して和太鼓ならどうできるかをつい考えてしまいました。

 そんな事を思いながら聴いていたのですが、大きな太鼓の腹に響くような音にしだいに圧倒され、林英哲の音楽への誠実で真摯な姿勢に感銘を受けました。終演後は、余韻にひたりながら、とぼとぼと宿に向かいました。


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2011年3月20日 (日)

上海の吉野家

Yoshimoya01

 上海の街角で吉野家を見つけました。ちょうど昼時だったので、さっそく入ってみました。

 カウンターで牛丼(中国語では牛肉飯でした)を注文し、その場で受け取ってテーブルに移動します。私の知っている限り日本以外ではこのカウンター式です。値段は16元(だいたい200円)ですが、20元札で払うとおつりとして10元札を渡されました。計算が合わないのでとまどっていると、店員のおねえさんが壁の張り紙を指差します。特別割引でその日は10元ということらしいとわかりました。日本に比べるとかなり割安です。

 味は日本とまったく同じです。日本のご飯は最近の安売り競争のせいか味が落ちましたが、その落ちた味と同じです。中国のお米なのでしょうか。写真のとおり器も同じです。言葉が通じず勝手のわからない海外の街で、食べ慣れたものを気楽に食べられるのはとても助かります。同じような意味で、マクドナルドにもあちこちでお世話になっています。

Yoshimoya06

 下の写真は、窓に張り出された日替わりの割引品です。その日は土曜日(中国語で周六)だったのですが、牛肉飯の中碗(すなわち並盛)が通常16元のところを10元とたしかに出ています。牛丼以外にもいろいろなメニューがあることがわかります。

Yoshimoya051


 ニューヨークの吉野家もこのブログで報告しているので、よかったら読んでください。この間シンガポールでも吉野家を見つけました。地下の食品売り場の一角にカウンターがあり、その前にテーブルが並んでいました。その時は食べる機会がありませでしたが、こちらもいずれレポートしたいと思ってます。

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2011年2月19日 (土)

N響定期

 第1696回をサントリーホールで聴いてきました。ショスタコーヴィチとペルトにはさまれて、2007年に作曲されたドルマンの打楽器協奏曲です。いずれも我々の世代の音楽ですが、どちらかというと感覚的に捉えやすい曲です。とても聴き応えのある演奏会で、大いに満足しました。

 10年くらい前にデュトワの指揮でN響のラヴェルを聴いた時に、ちょっと墨絵のようだと感じたことがありました。やや地味な音色ですが、とても整っていて、全体に何とも言えない静けさがありました。こんな印象のオーケストラは世界中に他にないと思います。韓国はもっと積極的な音色を持っています。東京の他のオーケストラも確かにこれと似た雰囲気がありますが、N響ほどそれがつきつめられていないように思います。

 盛り上がるところでも、外よりも内に向かうようなところがあり、時に物足りなく感じられることがあるかもしれません。これがいい方に向かうと、他では聴けないような瞑想を音楽から引き出してくるのです。これを可能にしている高い技術も相当なものですが、それが音を研ぎ澄ますことにまっすぐに向かっています。日本人の資質の一つに音楽がうつしだされた演奏とも言えると思います。

 ペルトなどはそういった瞑想だけでできているような曲で、感覚的な捉え方だけだと薄っぺらく感じられることもあるのですが、N響だと外面的なところが抑えられて、深い静けさが生まれてきます。ショスタコーヴィチは、私の耳には何が起こっているのか捉まえきれないとことがあるのはいつものことなのですが、曲が進むに従って徐々に奥に入ってくるものがありました。

 オーケストラの定期演奏会では真ん中に協奏曲が置かれることが多く、このせいで印象が散漫になりがちなので、協奏曲のないものを探して行くようにしています。ところがそういう演奏会はほとんどありません。今回は打楽器なので、ありがちなショー的なところはないだろうと予想していました。独奏者のグルービンガーはまだ二十代の若手ですが、圧倒的な演奏を繰り広げ、そんな心配は無用でした。リズムというものは、この精度までつきつめられるとまったく違ったものに聴こえてきます。この曲は彼の委嘱なのだそうで、内容的にはやや気楽なところもありますが、技の冴えに最後まで惹きつけられました。とにかくすごい奏者です。

 指揮者はジョナサン・ノットです。比べられるほどはN響の演奏会に行っていないのですが、最後まで演奏の集中力がとぎれなかったのは、指揮者の力が大きいのでしょう。またN響を聴きたくなりましたが、プログラムを見ると相変わらず協奏曲付きのものばかりなので、次はしばらく先になってしまいそうです。今回はLBブロックで聴きましたが、とてもいい席でした。


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2011年2月14日 (月)

カラヤンのチャイコフスキー第五番

 カラヤン75年録音のチャイコフスキー第5番を久しぶりに聴いてみました。なりふりかわまず突き進む激しさは聴くたびに驚かされます。カラヤンといえば端正で優美な印象がありますが、まったく正反対のカラヤンのもう一つの顔です。実演のカラヤンは録音と違った勢いがあったと書かれているのを時々見かけますが、このレコードはそういった実演に近いのかもしれません。記録によると一日で録音されています。あるいは興に乗った一発録りのようなものだったのでしょうか。オーケストラも限界を越えそうなくらい楽器を鳴らしていて、あらゆるものを押しのけて突進していくような熱気があります。カラヤンの録音では珍しいことですが、アインザッツがどうのとかいう細かいことは後まわしです。フルートやファゴットの音がひっくりかえっているところもあります。その一方で、この時期のカラヤンならではの、絶妙なバランスを保ちながらの透き通ったような静寂もあります。ホルンが遠くから響いてくるところなど、その独特な寂寥感が印象的です。

 ちょっと乱暴なところはこの曲だからなのかと思い、写真にあるように他の録音も集めては聴き比べしたものです。年代的に近い71年のEMI盤は基本的には同じような熱い演奏です。この時期のカラヤンとベルリン・フィルは一つの絶頂にあって、あり余る力が時として曲の枠を越えてしまうような演奏も残しています。EMIに録音した未完成などは、まるでブルックナーのような巨大な響きで、聳え立つようなシューベルトになっています。ただ、このチャイコフスキーはイエス・キリスト教会を使っていた頃の録音で、音像のスケールは大きいのですが残念ながら鮮明ではありません。これより若い頃の65年のグラモフォン盤は、スマートさが前面に出たカラヤンらしいもので、安心して気持ちよく聴いていられます。これはこれで魅力的ですが、75年の演奏を聴いた後だと何となく物足りません。この曲は先に進んでいくほど音楽に深みがなくなっていくところがあるので、なおさらです。古い録音で、音色はとてもいいのですが、ダイナミックレンジが狭いところが聴き栄えしません。晩年のウィーン・フィルとのものは、淡々としてまったく別人のようでした。

 最近はCDが中心なので、ひさしぶりのLPの音にとまどいました。アナログ録音のレコードも、室内楽やピアノなどの音の幅が大きくないものでは違和感が少ないのですが、オーケストラだと細かいところが聴こえないぼやけた音像だったり、狭いダイナミックレンジに納めるための編集や誇張がCDよりも耳につきます。75年あたりになるとダイナミックレンジも解像度もかなり良くなってはいるのですが、慣れてくるまで音量を変えたりしながら何度も聴くはめになってしまいました。EMIでも前出の未完成のように同じ時期に同じフィルハーモニーでの録音がありますが、オーケストラの近くで聴いたような、それぞれの楽器がくっきりと聴こえるものです。解像度や迫力はこちらの方が上ですが、ちょっと誇張されているかなとも思います。音の精度を上げるための犠牲になったのか、音色もややモノクロです。一方DGは、ホールの真ん中よりちょっと後ろくらいの距離感で、音色の美しさとホールトーンの雰囲気の豊かさがすぐれていますが、音が遠いぶんだけレコードらしい盛り上がりは今一つです。生で聴いたらたぶんDGに近い音なのだろうと思いますが、フィルハーモニーでの録音ではEMIのほうが聴き映えはします。


Karajan_no5

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2010年11月16日 (火)

サントリーホールのポリーニ

 2010年10月17日サントリーホールのポリーニのリサイタル(ショパン、ドビュッシー、ブーレーズ)。音楽の聴き方が根本から変わるような体験をしました。ポリーニのCDやレコードは日頃から聴いていますが、実演ははるか30年前以来です。見た目もずいぶん歳をとっていました。演奏も古い録音のような鮮やかさはありませんが、とにかく不思議な印象でした。音楽が盛り上がってきそうになると、それを消し去るように敢えて勢いを落とすのです。湧き上がるような感動を避けていると言ってもよさそうです。他の演奏家や、音楽学校で教えているのとは正反対です。聴いていると頭が冴えてきて、頭のなかが整理整頓されていくような、今まで経験したことのない感覚を体験しました。これを音楽の感動と言っていいのだろうかと思いながら聴いていました。

 家に帰ってからポリーニのCDを聴いてみました。音楽の勢いを抑えているとは今まで感じなかったのですが、そのつもりで聴くとたしかにそうです。ショパンのような勢いのある曲では独特の落ち着きといった程度ですが、内向的なドビュッシーになるとかなりはっきり感じられ、だんだん気持ちが沈んできたくらいです。ポリーニは音楽の構造以外の表面的なものを取り除こうとしているのでしょうか。録音で聴いても、最近のものほどその傾向が強くなっているようです。グールドのところで書いた気分に近いものがあるのですが、ポリーニの最大の特徴の強くてしかも決して途切れない緊張が前面に出てきて、ショパンでもバッハでも同じように聴こえるのは、ポリーニだけです。

 ポリーニの残した感触を頼りに他のピアニストの録音を聴いてみると、たとえば今までは音が多いだけにしか感じられなかった多声的な音楽が、何となく見えてくるような気がしました。バッハでは、声部が折り重なっていくと音楽の中に圧力のようなものが生まれてくるのが伝わってきます。音楽は憧れに形を与えて夢見心地にしてくれるところがありますが、この正反対です。普段のままの心のなかに、強さを生み出してくれるのです。

 何十年も音楽を聴いてきましたが、メロディーに感情移入し日常から離れて夢想するという聴き方から抜け出すことがなかったのだろうと思いました。音楽に最も感動するのが仕事などのあとでほっと一息いれる時というのも、そのためなのでしょう。私の場合、休養でのんびりしてしまうと音楽の効き目がそれほどでもないのも、同じことだと思います。定年退職して毎日が日曜日というような生活になったとしたら、果たして音楽を聴く気になるだろうかと、勝手に心配していたくらいです。

 一方でポリーニが示してくれたのは、音楽に慰謝を求めない聴き方と言えるかもしれません。没我的な陶酔や熱狂の音楽ではありません。耳を傾けるのにちょっと骨が折れますが、どんな時でも力を与えてくれるような気がします。これまでも西洋の理知的なところを感じさせられる機会がありましたが、たぶん今回もそれだろうと思いました。これで定年後の音楽鑑賞も大丈夫かもしれません。

 10月23日のベートーヴェンの晩(30、31、32番)も続けて聴きに行きました。ベートーヴェンだとどうなるのだろうかと期待していたのですが、早目でほとんど伸び縮みしないテンポで、さらさらと弾いていき、あっという間に終わってしまいました。後からレコードで31番を聴いてみたのですが、もうちょっとめりはりがあって盛り上がりもあり、こちらはかなり聴き応えがありました。今回の演奏はそっけないものでしたが、今まで聴いたことのない左手の不思議な雰囲気や、高い音や低い音の音色を目立たせない抑えた響きなどは印象に残りました。CDなどで何となくぱっとしないと思うこともあったのですが、今はどう聴いたらいいのか何となくわかりました。

 かなりの境地に達している演奏家だとあらためて思いますが、演奏会の一回勝負なかではそこまで感じることはできませんでした。レコードやCDで繰り返し聴けるのは、私のようなレベルの聴き手にはとても有益です。満場の客席がポリーニに喝采を送っていましたが、それぞれがどのように感じたのかを想像しにくいくらい違った音楽でした。

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2010年2月19日 (金)

CDMP352にやっと居場所

Cdmp352


 ホームページのカセットウォークマンのところにポータブルCDプレーヤーのCDMP352を紹介しましたが、ようやくいい音が出せるようになりました。イギリスのe-Bayで見つけてから数年になります。いくつかのイヤホンを試してきたのですが、なかなか満足できる音になりませんでした。最近になって中国製のMUSIC MAX LT1というポータブルヘッドフォンアンプを買ってしばらくエージングしてみたところ、誇張のない自然な音でいい具合です。これにEthymoticのER-4Sを組み合わせると、ところどころでポータブルとは思えないような音を出すようになりました。自宅の据え置きのシステムには太刀打ちできませんが、そういった比較を忘れて十分に楽しめるところまでになりました。オーケストラも結構いけます。

 値段を考えずに欲を言えば、音色の色合いがあまりありません。響きの広がりに鮮やかさがあるとカラフルに感じるのですが、その意味ではサントリーホールはカラフルで、上野の文化会館はややモノクロです。CDMP352で聴く時は、地味な音のホールにいるつもりになると素直に聴けます。鮮やかさという意味ではカセットウォークマンのDD9が一枚上手で、DD9が動くうちは持ち歩くのはそれ一本のつもりです。ダビングではなく、デジタル録音のミュージックテープが中心です。今頃ミュージックテープなどどこで手に入れるのかとよく聞かれますが、LPほどではないにしてもアメリカやイギリスのサイトまで手を伸ばせば中古品がまだかなり出回っています。

 CDMP352+MUSIC MAXだと今となってはポータブルというにはちょっとかさばることもあり、CDMP352は勤め先で昼休みにのんびり聴いたりしています。持ち運べないほどではないので、DD9が動かなくなった時の代りができました。家のシステムで聴いたCDも、演奏会場の別の席で聴いたような、また違った印象が楽しめます。演奏のそのものの印象がほとんど変わらず、これが何より大事なところです。

 値段を考えるとプレーヤーとアンプを足したものよりもイヤフォンの方が高く、同じレベルで揃えるとイヤフォンが割高ということなのだろうと思います。DD9用ではSHUREのSCL4(E4)に席を譲っているER-4Sですが、それなりに高いものなので、有効活用できてこれも一安心です。

 音の純度が上がってきたのでCDプレーヤーの電源による違いが出るかなと思ったのですが(MUSIC MAXは電池駆動)、ACアダプターでも電池でも私にわかるほどの差はありませんでした。CDMP352はテープヒスのようなシャーというノイズが入るのですが、アンプ経由だとインピーダンスの違いのせいかこれが消えます。CDMP352はイヤホン出力の他にライン出力があり、イヤホン出力からだと音質が落ちます。他のところに書いている廉価盤CDの音質は、この程度の装置だと気にならないものです。

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2010年2月 1日 (月)

ハムかつ

Ham
 家内がハムかつを作ってくれました。ハムかつといえば子供の頃のおやつの一つです。昭和三十年台中頃でしたが、おやつ代わりに母が私と弟にそれぞれ十円をくれて、それを持って近所のパン屋でコッペパンを買ったりしていました。肉屋の店先で揚げていたハムかつは確か一枚五円で、コロッケが十円だったと思います。コッペパンは十円で、ジャムをつけてもらうと十五円といった記憶もありますが、もう五十年も前の事なので、値段についてはあまり確かではありません。

 陸軍の駐屯地だったところの隣に住んでいて、茶色い木造二階の兵舎が何棟もあり、住宅として使われていました。反対側は陸軍病院が国立病院になっていて、同じような木造の建物が土手の中に並んでいました。私はその病院で生まれたのだそうです。そんななかの小路に、駄菓子屋や八百屋や床屋など、いろいろの店が並んでいました。国道が舗装されてきたことが授業で話題になるくらいで、あたりの道は土か砂利でした。茶色や土色ばかりの風景で、その寂しいような暗いような色合いが私の体の芯に残っています。中国の古い町並み通り過ぎながら、薄暗い電灯の下で夕食の材料などを買う人々を見かけたりすると、心の奥からなつかしさのような独特な気持ちがこみあげてきます。そこに戻ろうという気持ちはありませんし、戻るれるわけでもありません。ホームページのほうのあるところに書きましたが、過去がなつかしいのは、確定してしまってるところにもぐりこめる安心感と無縁ではないと思っています。

 買ってきたハムかつをどんな場所で食べたか思い出せませんが、せいぜい近くの原っぱだったような気がします。すぐになくなってしまわないように、表のころもをはがして食べ、次に裏のころもを食べてから、油のしみたハムを食べました。紙カップに入ったアイスクリームはたまにしか食べる機会がありませんでしたが、ふたの裏にはりついたところから食べるものと決まっていました。私と同世代には同じことを言う人がいます。すりこまれているので、まわりを気にする必要がなければ今でもそうします。家内のハムかつはころもを剥いで食べたりはしませんでしたが、しばし感慨にふけりました。

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2009年7月20日 (月)

輸入盤CDの音質(違うプレーヤーで試聴)

Cd72

 輸入盤と国内盤のCDの音質の違いをかなり断定的に書いてきたことに多少責任を感じ、実家に移してあったマランツのCD72を持ち帰ってきて、聴き比べの再確認をしました。



 CD72もそれなりの機器なので、FMJCD33とはまた違ったいい音かもしれないと期待していたのですが、やはり3倍の値段の差は歴然でした。CD72では上も下もいま一つ伸びきらず、ゼンハイザーのヘッドホンの傾向にちょっと似たつまった音です。響きにわずかにホールの残響がのっているはずのところでも、あまり聴こえてきません。中音域はだんご気味です。もっとも、響きの細かいところを味わおうというでなければ、音楽の表情と雰囲気を感じ取るにはまあ十分です。



 プレーヤーによってはもしかしたら国内盤の方が相性がいいかもしれない思っていたのですが、結果はそうではありませんでした。聴き比べたのは、86年録音のポリーニのベートーヴェンのピアノソナタと、91年録音のブーレーズ指揮クリーブランド管弦楽団のストラビンスキーです。国内盤のピアノソナタはSUPER BEST 100として再発されたものですが、ストラビンスキーは最初に出たものです。輸入盤はいずれもドイツ製で、後から中古CDを買ったものです。



 ピアノではFMJ以上に差が出ました。国内盤ではプレーヤーの性格とも重なって上下の伸びがさらに抑えられ、響きのないスタジオで聴いているような音でした。これはこれで好きな人がいるかもしれませんが、音楽会で聴く生の響きとは違った感触です。音の表情は倍音の具合の変化によるところが多いように感じているのですが、国内盤では高次倍音があまり出ていないのかもしれません。グラデーションと言われるのもこれに関係しているのか、国内盤はやや一本調子な傾向です。



 オーケストラではCDにおさめられた情報量がCD72の能力を越えてしまっているようで、国内盤、輸入盤のいずれでもだんご状態になってしまいました。わずかではありますが国内盤の高音が硬く私には耳障りで、輸入盤の方がひろがりがありましたが、その差は聴き比べてやっとわかる程度でした。



 ホームページにも書いていますが、再生機器で音楽の印象が結構変わってしまうことをあらためて感じました。どんな環境で聴くかは(ある演奏会をどの席で聴いたか、どんな装置で聴いているかなど)、その人にとってのめぐりあわせのようなものです。大きく言うとそれぞれの人生の反映でもあり、他人とは共有できない部分でもあります。共有できない部分の存在を認めながら、残されたところを共有していくことが人のつながりなのでしょう。


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2009年5月30日 (土)

オーケストラ・リベラ・クラシカ第23回公演

 第20回をこのブログに書きましたが、一年ぶりに出かけてきました。満員の盛況のなかで直前にチケットを探したのですが、運良く良い席を手に入れることができ、湧き立つような演奏を堪能しました。彼らの演奏に比べると、CDで聴く有名な楽団の演奏はなんだか音が合いすぎているように思えるくらいです。OLCの奏者達も高い技術を持っていますが、最後は精巧さよりものりの良さが前面に出て来ます。音のお尻などがちょっとばらけるところがあっても、それがかえって生演奏の勢いとして感じられました。主宰する鈴木秀美氏の音楽を全員で分かち合えているのでしょう。ライブ録音のCDも出ていますが、録音では臨場感が目減りしてしまうタイプの演奏とも言えます。

 こういった熱気もハイドンの本質を追い求めた末に出てくるものなので、違和感のない正統的な安定感があります。声楽やオルガンが入り、いろいろな角度からハイドンの音楽を見渡していくなかで、一つの世界が立体的に浮かびあがってきました。遠いハイドンの時代の宮廷の広間から響いてくるように感じられたものです。特に人の声が入ると、いにしえの世界へ一気につながったように感じられました。それは私の毎日の生活のなかには存在しないものなのですが、豊かで不思議になつかしく感じられるものです。18世紀の貴族は今の我々のように世界中の一流のものを身近に持っていませんでしたが、特権的な貴族にとってはあたりまえにしても、はるかに豊かな時間を過ごしていたことを実感できたように思いました。

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2009年5月 5日 (火)

輸入盤CDの音質(フィリップス編)

 今回は、国内盤の方が輸入盤より音がいい、あるいは同等という、私の経験では例外に近いものをご紹介します。先に書いておかなければならないのですが、中古CDしか買わないこともあって、私が聴くのは90年前後の録音が中心です。そんなわけで、最近のものについては比較できていないことをお断りしておきます。

 図書館にクラウディオ・アラウが晩年にデジタル録音したベートーヴェンのピアノソナタがありました。悲愴などの入った、オリジナルと思われる西ドイツ製のCDです。最初に借りた時は何となくおぼつかない演奏に感じられたのですが、二度目に聴いて、深い落ち着きがとても印象に残りました。さっそく中古CDを探しましたが、アラウの晩年のものはあまり見つからず、あっても中古としては高い値がついているので、たまたま見かけたワルトシュタインの入った国内盤を買ってみました。すると、輸入盤と同等以上の音質に驚きました。しかも、この国内盤は再発物です。

 フィリップスに限らず、輸入盤でのピアノは、ダンパーやハンマーが動くのが目に浮かぶような鮮やかな音がします。胴に伝わったり蓋から反射したり、あちこちからの響きが混じりあったピアノが鳴っているという感覚を見事につかまえています。まるで、舞台の上に立って聴いているよう感じです。演奏会場ではピアノのそばで聴くことはほとんどないので、オーディオの魅力でもあります。なお、ピアノに限って言えばドイツグラモフォンも近い響きですが、フィリップスに比べるとより華麗で、フィリップスはくっきりしたなかにも落ち着いたたたずまいがあります。

 悲愴の入った西独製CDもあらためてネットオークションで手に入れたのですが、ワルトシュタインの国内盤もほどんど同じ上質な音です。高い音の音色がちょっと違うのは楽器のせいか、あるいは調律の関係もあるのかもしれません。他のソナタのCDも聴いてみれば元の楽器の音がどれくらい違うのかだいたいわかるかもしれませんが、まだ機会がありません。これも、どちらがいいかという差ではなく、ピアノの響き方のわずかな違いです。

 フィリップスの国内盤CDはそれほど持っていないのですが、あらためて聴いてみるといい音のものが多いこともわかりました。国内盤CDにがっかりさせられ続けて買う気持ちがなくなっていたところだったので、日本人としてうれしい発見でした。

 なお、最初に書いたように最近のCDは持っていないので、ユニバーサルの傘下になってからのことはわかりません。

Arrau

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2009年2月23日 (月)

輸入盤CDの音質(英米対決)

 CDを聴く時の音質向上は、私の場合はノイズ対策が効果的でした。ヘッドフォンで聴いているので、よけいノイズが気になるのかもしれません。デジタル録音のみで、アナログ音源のものをCDで聴くことはほとんどありません。音がくっきりしているデジタル録音だと特に音の立ち上がりのガサガサが気になり、いかにも電気的な音に興ざめしてしまいます。いわゆるクリーン電源を使ったりしていますが、一番はっきり変わったのはクリーン電源からCDプレーヤーまでの電源ケーブルを替えた時でした。穂先の乱れた筆のようだったものが、一本の繊細な線にまとまり、音の見通しが良くなって、無音の時の静けさが際立つようになりました。この他に、スタビライザーのようなものも使っていて、結構効果があります。

 ここまで来ると、CDごとの音の違いが気になってきます。文庫本のような廉価盤CDの音質についてはこのブログに掲載済みですが、ハードカバーに相当する通常の値段の国内盤でも、輸入CDと音が違います。どちらがいい音かといった判断について軽はずみなことは言いにくいのですが、違うことは間違いありません。家族に手伝ってもらってブラインドテストをして実証しようかと思ったことがありますが、差はそれほどはっきりしています。そして、私の装置と私の聴覚や好みの組み合わせでは、欧米でプレスされたCDの方がいい音に思えるのです。

 LPでは国ごとの音色の違いが話題になることが多いのですが、デジタル情報であるCDでは、元のデータが同じであれば音はほとんど同じことを期待してしまいます。ところが、CDの場合は読み取り精度の問題があるようで、製盤の具合などが影響するのかもしれません。あるいは、ポリカーボネートの材質の微妙な違いが、レーザービームのかく乱の度合のようなものに関係してくるのでしょうか。いずれにしても、LPほどではないにしても音は確かに違い、それが主に「ノイズ」の差になってきます。

 こんな様子なので、中古CD屋で輸入盤CDを見ると、つい買ってしまって音を比べたりしています。オーディオは音楽を聴くためのもので、再生音の細かいところに過度にこだわるのは後ろめたくはあるのですが、一つの趣味です。いつもそんなことばかり気にしてCDを聴いているわけではないことを、言い訳がましいですが付け加えておきます。

 廉価盤CDの話に続いて、こういったCD音質比較を報告したいと思っています。手始めに、バーンスタイン指揮コンセルトヘボウ管弦楽団によるシューベルトの交響曲9番(7番)ハ長調のCDの比較です。アメリカ製と、ドイツ製が手元にあります。ドイツ製のパッケージに入っているCD本体は何故かMADE IN UKと表示されているのでイギリスのものです。

 一言で言うと、アメリカ製の勝ちです。特に弦楽器の響きに「ノイズ」がなく、純度の高い音がします。それに関係するのか、広がりと色彩感があります。もっとも、比べてみて初めてわかるくらいのわずかな差です。輸入盤を手に入れたもともとの理由が、国内プレスの廉価盤だと音がぱっとしないので、聴きながら気になってしまうからでした。これに比べると、アメリカ製でもイギリス製でも、鑑賞には差し支えなさそうです。

 日本製の悪口を書くのは気がひけるのですが、廉価盤でなければ日本製の方が音がいいこともあるかもしれず、機会をみて比較を報告していきたい思います。

Bernstein

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2008年12月12日 (金)

ニューヨークの牛丼

 一年半ぶりにニューヨークに出張し、吉野家に寄ってきました。一人だけでレストランに行くのはわびしいので、出張先ではマクドナルドのようなところで簡単にすましたりします。ニューヨークだったらラーメンもあります。吉野家は、東海岸では今のところタイムズスクエア近くのこの一軒だけです。インターネットでも情報が少ないようなので、こんな記事でも旅行者の参考にもなるかもしれません。

Yoshinoya11

 何年か前に車から見かけて朝早く歩いていったのが最初ですが、何と営業時間外で閉まっていました。24時間営業ではないのです。今回は朝の10時前にやっているかどうかわからないまま行ってみたのですが、運良く開いていました。朝の8時から早朝3時が営業時間と書いてあったような気がしますが、曜日によっても違うようです。ちゃんと見なかったので、旅行者用情報としては不足ですがあしからず。

 牛丼の味は日本とほぼ同じです。前に行った時は、肉がやや厚くて何となくステーキっぽいと思ったことがあったのですが、今回はそんなこともありませんでした。吉野家のホームページを見てみたら、レシピは世界中同じとありました。ごはんも日本と大差ありません。

 メニューは以前から牛丼以外もいろいろあるのですが、牛丼以外はアメリカ風の大味なジャンクフードに思えて、いつも牛丼の単品です。前の時の値段はおぼえていませんが、今回は牛丼単品では4.49ドルでした。写真を撮るために初めて味噌汁をたのんでみましたが、やはりちょっと違う味でした。日本と味を変えているのか、その日の担当の作り方のせいか、どちらかわかりません。写真にあるように、容器が発泡スチロールなのがちょっと寂しいです。

Yoshinoya22

 行く前に場所の確認も含めてインターネットを見てみたら、アメリカ人がいろいろ書き込みをしていましたが、味の評価は意外に低いものでした。それほどおいしいものではないと言われればそんな気もしてきます。まあまあ客も入るようだし、何より何年も営業しているので、ある程度の人気はあるのでしょう。

 店の雰囲気は、マクドナルドの店で牛丼を出していると思えばだいたい合っています。席の写真も載せておきます。朝のせいか、広い店内に客は私ともうひとりだけでした。

Yoshinoya33

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2008年11月15日 (土)

ガルバ、インドの盆踊り

 なかなか記事の追加ができないので、少し古い話なのですが、2003年にインドで見た盆踊りのようなものをご紹介します。

 10月に一週間かけて行われるお祭りの間に毎晩行われるもので、ガルバと言います。日ごとに盛り上がって、最後の晩は徹夜で踊り明かすのだそうです。本場はグジャラート州で、そこの化学肥料プラントを訪問した時がたまたまガルバの時期だったので、連れていってくれました。大きな工場で、周りには社宅があり、そういった会社関係の人達を中心にした会社主催のものです。

 行って驚いたのが、日本の盆踊りにあまりによく似ていることです。広場の真ん中に歌と楽器の舞台があり、そのまわりを輪になって踊ります(左回り)。歌手が歌うフレーズの合間にバックコーラスの女性達が高い声で合いの手を入れるところなど、日本の民謡にそっくりです。メロディーは五音音階風ですし、日本の盆踊りほどはゆったりしていないものの、踊りのためなのでテンポもそれほど違いません。私には盆踊りそのものとしか思えませんでした。

Gharbhaa

 ガルバは、両手に短い棒を持って、それを隣の人のものとカチンカチンと打ち合わせながら踊るものなのですが、私が見ていた間は棒を持たずにくるくると回るものでした。このステップを練習するための講習会がたくさん開かれ、何週間かかけて身につけることも多いようです。若い男女の出会いの場でもあり、グジャラートで見たものでは、みんなきれいに着飾ってとても華やかでした。インド人は踊りが好きなようですが、晴れがましい表情でとても楽しそうでした。私自身はいつものように尻込みしてしまって一緒には踊らず、脇に設けられた観覧席で蚊に悩まされながらしばし観賞させてもらいました。

 下の写真は、ムンバイに戻って宿舎の窓から近くの広場を撮ったものです。こちらは一般の人達が集まるもので、入口で料金を払って中に入るようになっていました。はっきり覚えていませんが、全体が輪になって踊るのではなく、それぞれその場で踊っていたような気がします。

Gharbha2003b

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2008年9月 5日 (金)

オクラホマ

 オクラホマ州のタルサに二週間半滞在しました。この街は、私の出身の宇都宮と姉妹都市なんだそうです。アメリカ訪問は今まで長くても一週間程度だったので、私のアメリカ滞在最長記録になりました。時差ぼけがおさまるまで一週間かかってしまうので、初めて時差ぼけなしの平常心でアメリカに接しました。

 アメリカに来ると感じ方が変わってしまうとホームページのほうのあちこちに書きましたが、気持ちが落ち着いてくるとこういった違和感もやわらいできます。なんだ意外と日本と同じじゃないかと思ったりしました。だだっぴろいだけに思えていた風景も、彼らなりに細かい気配りをしているところもあることがわかって、親しみがわきました。建物の色や形も慣れるとあたりまえに思えてきて、以前の特別な印象がかなり消えました。それでも気持ちの底に流れている気分はやはりアメリカで、音楽の感じ方も日本と変わってしまうことは同じです。

 アメリカで感じる音楽の音色、あるいはアメリカ人が音色に感じているだろうと想像されるものは、日本やヨーロッパとも、もちろん中国やインドとも違うものなのでしょう。音をより立体的に感じるような気がするのと、陰影や含みよりも素朴な音そのものを楽しんでいるような気がします。日本人の感じ方はかなり平面的です。なかなか言葉で伝えられるものではなく、アメリカに来て感じるしかないかもしれません。日本とどちらがいいかという問題ではなく、それぞれの特徴を活かした独自の表現の可能ということです。

 ただ、アメリカでのクラシック音楽が私の心の比較的浅いところまでしか届かないことが多いのは、陰影のなさが関係していると思います。一方では、広々としたたたずまいが日本以上にくつろいだ気持ちにさせてくれるところもあります。これもなかなか悪くありません。古典派やロマン派の曲がのんびりした大柄な音楽に聴こえてくるから、不思議なものです。

 タルサの地平線の写真を載せておきます。

Tulsa

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2008年6月23日 (月)

グレン・グールド

 たまたまグレン・グールドの演奏を耳にしたら何となく面白そうだったので、CDを集めていろいろ聴いてみました。今までそれほど熱心に聴いたことがなく、印象もはっきりしなかったのですが、新鮮な驚きでした。聴き始めてから最初のうちはつかみどころがなく感じられたのですが、慣れてくると独特の感興があります。はまる人がいても不思議ではないと思いました。

 馴染むのに時間がかかったところは、音楽以外のところにつながっていくような何か退行的な雰囲気がただよってくることでした。これがしだいに独特の落ち着きとして感じられるように変わってきました。もともと演奏という行為には芝居がかったところが大なり小なりあるものですが、私にとっては余計なものです。劇場的な気分の高揚や、終演後の拍手などは、どちらかというと無いほうが気楽です。オペラが好きになれないのは、言葉のわからないと聴く意味が半減すると思っているだけではなく、こういったことも理由です。グールドは、聴き手にこういった劇場のカタルシスを与えることを徹底して避けています。グールドを聴くと、音楽だけを聴いている静かで落ち着いた気持ちになります。その力がとても強いので、あまり続けて聴いていると気分が沈んでくるというか、自分が魂を抜かれたようになってしまいそうで不安になってくるくらいです。副作用の強い精神安定剤といったところでしょうか。

 それでは冷たい音楽なのかというと、音楽独特の気持ちの盛り上がりは十分にあります。音楽一般にとって、この気持ちの盛り上がりこそ本質と言っていいと思うのですが、言葉で言い表すのは簡単ではありません。音楽モードに切り替わった頭のなかにある世界がひろがって、その空間に力が生まれてくるような感じです。グールドの演奏の最大の魅力は、人間の雑多な感情から音楽を隔離し、そこで開放された音楽の力を聴き手に返すことではないでしょうか。音楽の盛り上がりとそこに生まれる力は人間的でロマンティックなものなので、主知的なグールドの演奏の核心がそういったところにあるというのは、見方によっては矛盾でもあり、なかなかつかまえにくいところです。

 最初にこれはいいかもしれないと思ったのはスクリャービンでした。ある意味思わせぶりな音楽を、静かなたたずまいのなかでじっくり聴かせてくれました。ベートーヴェンも最初は屈折した演奏だと思ったのですが、ベートーヴェンの演奏で時に鼻につく押し付けがましさがなく、気に入りました。モーツァルトはパロディーだとまで評されてきた演奏ですが、それほど抵抗はありません。最近はもっと変わったモーツァルトの演奏が出てきているからかもしれませんが、既に歴史のなかに入ってしまったような古めかしさはあっても、不自然さはそれほどありません。グールドのなかで一番わかりにくかったのが実はバッハの演奏でした。これをつかまえるポイントになったのが、音楽が生み出す力を感じることでした。意外にロマンティックな聴き方が合っているんだと思いました。

 いずれにしても、グールドの場合は、グールドの演奏であることを強く意識して、そのつもりで聴くことが必要で、その意味では他の演奏とは別の扱いが必要です。聴きすぎると気分が落ち込んでくるところが、私としては一番注意すべきところです。

 一連の演奏はLPではなくCDで聴いたのですが、思った以上に新鮮な音で聴けました。デジタル化技術の進化のおかげだと思います。もともと高域と低域がカットされたような音なので、MP3に落としてもあまり劣化しませんでした。クラシック音楽はカセットテープ以外のポータブルプレーヤーでは無理だと思っていましたが、グールドの録音は今のところ唯一の例外です。

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2008年3月21日 (金)

AKGのK601

K601_3 CD用のヘッドフォンとして、ネットオークションでAKGのK601の中古を手にいれました。「驚きの高音質」という題でアマゾンにレビューを書いたので、若干追記してここにも載せておきます。アマゾンのものは、ヘッドフォンナビにも転載されています。

 スピーカーとアンプは片付けてしまって、ヘッドフォンとヘッドフォンアンプだけで聴いています。CDにはゼンハイザーのHD580とAKGのK501を使いながら、ヘッドフォンだとこの程度なのかなと思っていたところです。もう少しいい音と思いAKGのK601を手に入れ、別格の音質に驚いてしまいました。K501と同系の音と言われていますが、比較にならないくらいです。実力を発揮させるには電源まで含めてそれなりのシステムが必要ですが、それに応えてくれるヘッドフォンです。ポータブルで使う意味はなさそうに思います。

 私はクラシックしか聴かないのですが、たとえて言うならK501はホールの中から後ろ寄り、K601だとかなり舞台に近い感じです。音像が前後左右に大きく広がり、それぞれの楽器の鳴りの細かいところまで聴こえてきて、臨場感は十分です。オーケストラで弦楽器の内声が実体をもってしっかり聴こえてくるのは、解像度が高いだけではなく音色のバランスがいいからだと思います。これはスピーカーも含めて高級オーディオでもめったにないことです。低音が薄いという評価も見かけますが、まったくそんなことはありません。これ以上低音が目立ったら音楽がひっくり返ってしまいます。もっとも、クラシック以外ではわかりませんが。

 AKGはあっさりした音と言われていますが、生に比べるとやや明るくつやがあります。こういった色づけはオーディオではありがちで、生の音とは違ったものになることが多いのですが、K601はまだ許容範囲に入ります。実演に近いということではK501がこれまで使ったなかでは一番ですが、残念ながら高音がきつく聴きづらいところがありました。

 ARCAMのFMJCD33にTalismanのヘッドフォンアンプを直接つないでいます。K601を手に入れて最初に音を出した時のケーブルはオルトフォンの7NXで、ちぐはぐな音だったのでZU Cableの一番安いPILに替えたところ、がぜんバランスが良くなりました。値段でいうと2割弱の安いケーブルの方が音がいいということがあるのかと、いまだに半信半疑です。今はSAECのSL-1903にして、わずかですが音の曇りが取れ、さらに生に近い感じです。このSAECのケーブルも、K501では甲高くて耳障りな音だったのですが、相性なのでしょう。

 値段が安い機器がまじっているとその癖のようなもので全体のバランスを損ねてしまい、他の機器のいいところが裏目に出るようなことを何度か経験してきました。反対から言うと、高い値段のそれなりの機器を揃えれば、上の7NXのことも起こったりはしますが、相性などをあまり気にしなくてもある程度の音になるような気もします。K601を手に入れたことで全体がすっきりと通るようになり、あくまで私のシステムでの比較ですが、デジタル録音であればCDがLPを凌ぐところまでにやっとなりました。

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2008年2月23日 (土)

オーケストラ・リベラ・クラシカ 第20回定期演奏会

 めったにないくらい印象深い音楽会でした。余韻からまだ抜け出せないでいます。

 去年の10月から東京勤務になり、いろいろな音楽会に行きやすくなりました。さっそく選んだのがオーケストラ・リベラ・クラシカ(OLC)です。評判が高いうえ会場の浜離宮朝日ホールはそれほど座席数が多くないので、売り切れだろうと思いながら朝日ホールに電話してみたのですが、最前列や端ならわずかに残っているとのことだったので、最前列を選びました。

 OLCは初めてだったのですが、プログラムを開くと、資金の関係で大きな編成での演奏会は当面今回が最後とのこと。定期的に聴こうかとも考えていたのでちょっと残念でしたが、しばらく聴けなくなってしまう編成での最後の音楽会に行けたのは幸運でした。

 ハイドンも素晴らしかったのですが、何と言ってもジュピター交響曲の演奏に心を打たれました。とらえどころのない曲に思えていたのですが、初めてこういう曲だったんだと感じることができました。古楽器による演奏としては正統かつ真摯なものでしたが、それに加えて、これだけ趣深くいきいきとした演奏にはめったに出会えるものではありません。各声部が手にとるように聴こえてくるので、古い楽器の澄んだ響きと、あちこちに力点が置かれた立体的な演奏を堪能することができました。最前列の客席で、演奏者の集中と熱意に巻き込まれてしまいました。

 第四楽章の展開部が繰り返されたあたりで、聴いている集中力がちょっと落ちてしまったのですが、力が抜けたためか、もうひとつ奥の境地から音楽が響いてくるような不思議な体験をしました。最後のフーガはこれ以上はないくらい切実な音楽ではないかと思っているのですが、ずっしりした余韻を私の中に残しながら通り過ぎていきました。

 終演のあとにロビーでワインがふるまわれて、そこに演奏者も参加していたました。随分前にアマチュアオーケストラでご一緒したことのあるコントラバスの小室さんに話かけたら、覚えていてくれたようで、演奏についての話をうかがうことができました。

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2007年12月12日 (水)

廉価盤CDの音

 中古CD屋で、ガーディナー/ビルソンのモーツァルトピアノ協奏曲20&21番のCDを見つけて買ってきました。ドイツのオリジナル盤です。すでに同じ演奏のCDを持っているのですが、そちらは国内版の再発CDで、何となく音が薄っぺらいのが気になっていました。聴き比べてみると、ドイツ盤の方はやや厚みと奥行きがありました。それほどの差ではないのですが、ちょっとした臨場感の違いがその気になって聴けるかどうかの差になってくるので、無視できません。再発CDでも特に廉価盤の場合はこういった薄い響きが多いように感じています。どれくらい違うのか調べるために、鮫島有美子の「日本のうた」というCDを買い集めて比較したことがありました。

 鮫島有美子のCD聴き比べの発端は、日本航空に乗った時におみやげにもらったCDで、そのなかの夫君のドイッチュのピアノ伴奏で歌った日本歌曲が気に入りました。しばらくたって、もっとちゃんと聴いてみようと思い、図書館で「春・櫻」というCDを借りたのですが、同じ演奏でも録音レベルも音質も違いました。この2枚は室内オーケストラ伴奏のものも入ったコンピレーションアルバムだったので、廉価盤CDで出ていたピアノ伴奏だけのオリジナルの「日本のうた」を買いました。ところが、この音が薄っぺらいのです。こんなはずではと思い、インターネットで90年の再発CDを手に入れたら、やはり奥行きと厚みがありました。それならということで、85年のオリジナルのCDまで買って比べてみたのですが、こちらは90のものと同じ音でした。

 音の厚さでは、図書館で借りた「春・櫻」が一番でしたが、全体的には85/90年のCDが一番バランスがいいように思いました。音が薄いと、中音域でメゾピアノ以下だと音程がぶれるのが気になります。音が豊かだと、表情と勢いで不思議と気になりません。オリジナルのLPレコードをYahoo!オークションで見かけましたが、これだけCDを集めた後だったので、さすがにあきらめました。ホームページに書いているように、LPではまったく違った響きであることは確かです。

 再生装置によって出る音が違うので、廉価盤の音は安っぽいと一概には言えませんが、オリジナルと音が違うことは確かです。もしかしたら、高価な装置で聴くとあまり差がないのかもしれませんし、ヘッドフォンで聴いているので必要以上に差が気になるのかもしれません。廉価盤の音は、聴きようによってはくっきりしているとも言えるので、もしかしたら最新の技術でマスタリングしなおした結果かもしれず、装置によっては案外そちらの方がいいということもあるのかもしれません。

 なお、鮫島有美子の「日本のうた」の音楽について、いずれ書いてみたいと思っています。

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2007年8月 5日 (日)

アジア・フィルハーモニー管弦楽団2007

 またソウルに来ていますが、今度はアジア・フィルハーモニー管弦楽団をアートセンターで聴いてきました。提唱者のチョン・ミョンフンの指揮で、ドボルザークの8番、ブラームスの1番、他です。切符は三ヶ月前に売り切れという状態でしたが、キャンセルの切符を韓国の人に電話予約してもらえました。満員の客席の熱気がすごく、若い人がほどんどでしたが、一曲目の5分もないよう曲が終わった瞬間から、怒涛のような歓声が起こり、なかなか次の曲にかかれないくらいでした。

 オーケストラのメンバーは、弦楽器の半数はチョン・ミョンフンが音楽監督を務めるソウル・フィルからでしたが、残りはシカゴやニューヨークなどの欧米のオーケストラから駆けつけた韓国人、中国人、日本人です。私のウェブサイトの方に紹介していますが、アメリカの主要オーケストラの弦楽器のかなりの部分が今やアジア人で、コンサートマスターを始め、見覚えのある人も何人かいました。管楽器は、ほとんどがソウル・フィル以外のオーケストラからの混成メンバーでした。

 チョン・ミョンフンとソウル・フィルは、6月にブラームスの二番を聴いたばかりですが、オーケストラの印象も含めてとても似ています。ソウル・フィルに比べると、ちょっと鳴りが良く、管楽器が上手かなといった程度の違いに思いました。アジア人奏者のよく訓練されたむらのない柔らかい音が特徴で、チョン・ミョンフンの大きな節回しにぴったりつけていました。明るめの音色ですが深みもあり、歌いこんでいくと情緒的な表情が濃くでてきます。こういった特徴は、ソウルで聴いたKBS交響楽団とソウル・フィルとまったく同じです。全てを同じ会場で聴いているので、ホールの性質ももしかしたら関係しているのかもしれません。ソウル・フィルの時に比べると比較的はっきり拍をきざむ指揮だったのは、臨時編成のためもあったのでしょう。

 ドボルザークでは、音楽の表情のひだに分け入るような素晴らしい演奏でしたが、ブラームスの、それも1番となると、やや勝手が違います。6月に聴いた2番は、歌心と深い表現が素晴らしい演奏でしたが、1番では響きの重さがどうしても出てきません。フレーズを細かく歌い込んでいくので、インテンポをベースに石を積み重ねたような演奏で出てくる重層性がないのです。どちらがいいかは好みの問題かもしれませんし、ブラームスの演奏の一つの方法ではあると思いますが、アジア人が西洋クラシック音楽にどう向き合うかというむずかしさが出たように感じました。

アンコールは、ブラームスのハンガリー舞曲第一番ですが、ジプシーっぽいところがこういったアジア的な性格ではうまく表現されて、見事な演奏でした。聴衆の興奮もややあきれるくらいの絶頂に達しました。

 カーテンコールの途中でチョン・ミュンフンが指揮台からかなり長いあいさつをしていました。もちろん韓国語でいっさいわかりませんでしたが、マイクを使わなくてもよく通る声でした。あちこちのオーケストラからメンバーが集まったという以上の特別な雰囲気があったのは、チョン・ミュンフンのこの熱意があったからなのでしょう。

このブログの本編にあたるウェブサイト「音楽と形のページ」にも世界中のオーケストラの聴き歩きを載せています。

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ソウルフィルハーモニー管弦楽団

【ブログ引越しにともない、2007年6月30日作成のものを転記します。】

 インドからの帰国の途中で韓国に寄りました。先月のKBS交響楽団に続いて、今月はソウルフィルハーモニーを聞くことができました。KBS交響楽団の演奏会はホームページの方で報告しているので、ブログではソウルフィルハーモニーの方を書いておくことにします。同じ公営放送のオーケストラということもあり、KBS交響楽団は韓国のN響とも言えるリーディングオーケストラです。これに対し、今や世界的指揮者であるチョン・ミョンフンを音楽監督に持つソウルフィルは、小沢征爾と新日フィルを思わせます。一方ではソウル市が面倒を見ているらしいので、都響とも言えます。

 会場はアートセンター、曲目は、ブラームスの二重協奏曲(ジャン・ワン他)と、同じくブラームスの交響曲第二番でした。音楽監督であるチョン・ミュンフンの指揮です。

 何より凄かったのは、演奏後の聴衆の盛り上がりです。他の国のクラシック演奏会にはない若い兄ちゃん達のイェーという嬌声が一斉にあがりました。演奏も以下に書くように立派なものではありましたが、そこまで騒ぐほどではないと思ったのは、私が韓国事情に疎いからかもしれません。カーテンコールが続くなかで、チョン・ミョンフンも指揮台からガッツポーズを繰出し、聴衆全員に立ち上がるように求めたり、舞台と客先が一体になって喜びを分かち合っていました。

 韓国の音楽界は今が伸び盛りなので、一回ごとに成長していく充実感が共有されているのだろうと思いました。今度はここまでできたぞ、ということなのかもしれません。今はマンネリとも言える安定期に入ってきている日本とは大違いです。若い聴衆の方が多いのは世界的に見ても珍しく、勢いの現れです。

 KBS交響楽団との比較は、それぞれ一回しか聴いていないし、同じホールとはいえ席が違うので(今回は一階下手8列目)、断言はできませんが、音色などを含めてソウルフィルの方がわずかに地味かなと思いました。ただ、印象はかなり似ています。若々しい弦楽器群がなかなか聴かせるのも同じです。音色の変化はどちらかというと控え目です。こちらもコントラバス10本の大編成でしたが、音量的にも、それほど大きな音にはなりませんでした。KBS交響楽団はほぼ韓国人だけですが、ソウルフィルは西洋人が主要ポストを含めてかなりいました。ヴィオラを筆頭に、ボディーアクションがかなり大きい主席奏者が何人か目立ちました。

 独特だったのはフレージングです。チョン・ミョンフンのものなのでしょうが、とにかくフレーズの頭がどこから始まったかわからないくらい湧き上がってきて、アインザッツはないといってもいいくらいです。メロディーのなかの短い音符を長めにたっぷりとるので、拍からどんどん後乗りになっていき、次のフレーズの始まりがさらに遅れるという、最近はあまりない歌謡的なものでした。ブラームスだからそうしているのだろう想像しながら聞いていました。もしかしたら繰り返し練習したのかもしれません。指揮者がアインザッツを出さないので、木管の出だしなどがちょっと揃わないことがあるのは、大きな流れの方を優先したということだと思いました。

 演奏は十分に準備された正統的なもので、現代におけるブラームスの可能性と限界までも的確に表現しきった演奏だと思いました。聴きながら、ヨーロッパで聴いた音楽の感触を思い出したのも一度ではありませんでした。

 アンコールはハンガリー舞曲第五番ですが、アンコールにはもったいないくらい立派な演奏でした。団員達も楽しそうに弾いていました。その後の喝采がものすごかったのは言うまでもありません。

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ムンバイから

【ブログ引越しにともない、2007年6月24日作成のものを転記します。】

 記念すべき最初の書き込みはインドのムンバイからです。初めて来てから10年以上になります。最近は、年に一回か二回くらいです。

 インドでは道には車がひしめきあっていて、顔の黒いインド人があふれていたり、あちこち汚れていたりぼろぼろだったりするのですが、なんとなくゆったりした気分がただよっています。宗教的な深みといったらいいのか、そこに南国的な色彩や香りがまざったような、濃くて豊かな静けさです。私はこれがとても好きです。インドの女性のしなやかな身のこなしを連想させたりします。インドの魅力の本質はこれではないかと思うようになりました。言葉ではわかりにくいと思いますが、たとえば日本の夏の昼下がりや黄昏に、どこかゆったりした気分になるのに近いかもしれません。

 基本はのんびりしているのですが、表面は騒々しいエネルギーがあふれています。ムンバイの道には、蜂の巣に蜂がむらがっているのと同じくらい車がびっしりで、クラクションを鳴らしながら5センチくらいの隙間を争っています。そういうのを見ていると、こちらまで何となくわくわくしてきます。あちこちに小さな飾りをつけていることもあって、毎日がお祭りといった気分です。

 妙に細かいのに、大雑把なところもあり、歴史や宗教など、とにかく奥が深い国です。事務所にいるだけではだめで、旅行したり、音楽会などに通ったりしているうちに、そんな風に感じるようになりました。インドにはまる人がいるのもわかります。インドに親しんでしまうと、東南アジアや韓国は、薄っぺらく思えてあまり魅力を感じません。アジアでインド文化に対抗できるのは中国くらいだと思います。

 今回も音楽や踊りの会を新聞で探しては、出向いています。音楽もそういうゆったりとした雰囲気が下敷きになっているので、くつろいだ気分になります。実は最近ジャズにも同じような穏やかな気分を感じるのですが、これが何故かはまだわかりません。

 バッハからマーラーまで、何本かカセットテープを持ってきているのですが、何故か西洋のクラシック音楽を聴く気になりません。反対に、日本でインド音楽を聴く気にはならないし、聴いたとしてもつまらないはずです。おみやげを買って帰っても、日本で見るとさっぱりなのと同じです。

 ついでですが、インドのバナナは、見た目は悪いですが、味が濃くてとてもおいしいです。宿舎から見た写真をつけました。

このブログの本編にあたるウェブサイト「音楽と形のページ」でもお待ちしています。

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